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二宮翁夜話 / 巻之四

或来り訪ふ、翁曰、某の家は無事なりや、曰、某の父稼穡に勤労する事、村内無比なり、故に作益多く豊に経営来りしに、其子悪き事はなしといへ共、稼穡を勤めず、耕耘培養行届かず、只蒔ては刈取のみ、好き肥を用ふるは損なりなど云て、田畑を肥すの益たるを知らず、故に父死して、僅に四五年なるに、上田も下田となり、上畑も下畑となりて、作益なく、今日は経営にも差閊る様になれりと、翁左右を顧みて曰、卿等聞けりや、是農民一家の事なれ共、自然の大道理にして、天下国家の興廃存亡も又同じ、肥を以て作物を作ると、財を散じて領民を撫育し、民政に力を尽すとの違ひのみ、夫国の廃亡するは民政の届かざるにあり、民政届かざるの村里は、堤防溝洫先破損し、道路橋梁次に破壊し、野橋作場道等は通路なきに至るなり、堤防溝洫破損すれば、川付の田畑は先荒蕪す、用悪水路破壊すれば、高田卑田は耕作すべからず、道路悪しければ牛馬通ぜず、肥料行届かず、精農の者といへども、力を尽すに困却し、之が為に耕作するといへ共作益なし、故に人家手遠、不便の地は捨て耕ざるに至る、耕さゞるが故に、食物減ず、食物減ずるが故に、人民離散する也、人民離散して、田畑荒るれば租税の減ずるは眼前ならずや、租税減ずれば、諸侯窮するは当然の事なり、前の農家の興廃と少しも違ふ事なし、卿等心を用ひよ、譬ば上国の田畑は温泉の如し、下国の田畑は、冷水の如し、上国の田地は耕耘行届かざれども、作益ある事温泉の自然に温なるが如し、下国の田畑は冷水を温湯にするが如くなれば、人力を尽せば作益ありといへども、人力を尽さゞれば、作益なし、下国辺境人民離散し、田畑荒蕪するは是が為なり。

書き下し

或(ある)人来り訪(と)う、翁曰く、某(それがし)の家は無事なりや、曰く、某の父稼穡(かしょく)に勤労する事、村内無比なり、故に作益(さくえき)多く豊(ゆた)かに経営(いとな)み来りしに、其の子悪(あ)しき事はなしといえども、稼穡を勤めず、耕耘(こううん)培養行届かず、只蒔(ま)きては刈取(かりと)るのみ、好き肥(こやし)を用うるは損なりなど云いて、田畑を肥(こや)すの益たるを知らず、故に父死して、僅(わず)かに四五年なるに、上田(じょうでん)も下田(げでん)となり、上畑(じょうばた)も下畑(げばた)となりて、作益なく、今日は経営にも差閊(さしつか)うる様になれりと、翁左右を顧(かえり)みて曰く、卿等(けいら)聞けりや、是農民一家の事なれども、自然の大道理にして、天下国家の興廃存亡も又同じ、肥を以て作物を作ると、財を散じて領民を撫育(ぶいく)し、民政に力を尽(つく)すとの違いのみ、夫(それ)国の廃亡(はいぼう)するは民政の届かざるにあり、民政届かざるの村里は、堤防溝洫(こうきょく)先(ま)ず破損し、道路橋梁(きょうりょう)次に破壊し、野橋作場道(さくばみち)等は通路なきに至るなり、堤防溝洫破損すれば、川付(かわつき)の田畑は先ず荒蕪(こうぶ)す、用悪水路破壊すれば、高田卑田(ひくた)は耕作すべからず、道路悪しければ牛馬通ぜず、肥料行届かず、精農の者といえども、力を尽すに困却(こんきゃく)し、之が為に耕作するといえども作益なし、故に人家手遠(てどお)、不便の地は捨てて耕(たがや)さざるに至る、耕さざるが故に、食物減ず、食物減ずるが故に、人民離散する也、人民離散して、田畑荒るれば租税(そぜい)の減ずるは眼前ならずや、租税減ずれば、諸侯窮(きゅう)するは当然の事なり、前の農家の興廃と少しも違う事なし、卿等心を用いよ、譬(たと)えば上国(じょうごく)の田畑は温泉の如し、下国(げこく)の田畑は、冷水の如し、上国の田地は耕耘行届かざれども、作益ある事温泉の自然に温なるが如し、下国の田畑は冷水を温湯(ぬるゆ)にするが如くなれば、人力を尽せば作益ありといえども、人力を尽さざれば、作益なし、下国辺境人民離散し、田畑荒蕪するは是が為なり。

現代語訳

ある人が訪ねてきた。翁が言った。「あなたの家は変わりないか」。その人が答えた。「私の父は農作に励むこと村内で並ぶ者なく、それゆえ収穫も多く豊かに営んでいました。ところがその子は悪いことをするわけではないが、農作に励まず、耕耘も肥培も行き届かず、ただ蒔いては刈り取るだけ。良い肥料を使うのは損だなどと言って、田畑を肥やすことの利益を知りません。それで父が死んでわずか四、五年で、良田も悪田となり、良畑も悪畑となって収穫がなくなり、今では暮らしにも差し支えるようになりました」。翁は左右の者を顧みて言った。「お前たち聞いたか。これは農民一家のことだが、自然の大道理であって、天下国家の盛衰存亡もまた同じだ。肥料で作物を作るのと、財を投じて領民を養い育て民政に力を尽くすのとの違いにすぎない。そもそも国が滅びるのは民政の行き届かないところにある。民政が行き届かない村里は、まず堤防や用水路が壊れ、次に道路や橋が壊れ、野の橋や耕地への道は通れなくなる。堤防や用水路が壊れれば川沿いの田畑がまず荒れ、用排水路が壊れれば高い田も低い田も耕せず、道が悪ければ牛馬も通らず肥料も行き届かない。腕のいい農民でも力を尽くすのに困り果て、そのため耕しても収穫がない。だから人家から遠く不便な土地は捨てられて耕されなくなる。耕さないから食物が減り、食物が減るから人民が離散する。人民が離散して田畑が荒れれば、租税が減るのは目の前のことではないか。租税が減れば領主が窮するのは当然だ。先の農家の盛衰と少しも変わらない。お前たち、心して考えよ。たとえば豊かな国の田畑は温泉のようなもの、貧しい国の田畑は冷水のようなものだ。豊かな国の田地は耕耘が行き届かなくても収穫がある。温泉が自然に温かいようなものだ。貧しい国の田畑は冷水を温めるようなもので、人が力を尽くせば収穫があるが、力を尽くさなければ収穫はない。貧しい辺境で人民が離散し田畑が荒れるのは、このためなのだ」。

解説

肥培を怠ってわずか数年で良田を痩せ地にしてしまった農家の話を、尊徳は天下国家の盛衰に重ねます。田畑に肥料を施すことと、領主が財を投じて民を養い民政に力を尽くすことは、まったく同じ道理だというのです。堤防・用水・道路が壊れれば耕作は行き詰まり、食が減り、民は離散し、租税も減って領主が窮する――荒廃は連鎖して進みます。豊かな土地は温泉、痩せた土地は冷水にたとえ、後者ほど人の努力(勤労)を要すると説く点も印象的です。目先の出費を惜しまず土台に投資すること、すなわち推譲と積小為大の精神が、家も国も栄えさせる。将来のための投資を怠らない大切さを教える一条です。

この章句が説くこと

二宮翁夜話報徳民政培養推譲積小為大

この一句を、あなたの毎日に。

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