二宮翁夜話 / 巻之三
翁曰、国家の盛衰存亡は、各々利を争ふの甚しきにあり。富者は足る事をしらず、世を救ふ心なく、有るが上にも願ひ求めて、己が勝手のみを工夫し、天恩も知らず国恩も思はず。貧者は又何をかして、己を利せんと思へ共、工夫あらざれば、村費の納むべきを滞り、作徳の出すべきを出さず、借りたる者を返さず。貧富共に義を忘れ、願ひても祈りても出来難き工夫のみをして、利を争ひ、其の見込の外れたる時は身代限りと云ひ、大河のうき瀬に沈むなり。此の大河も覚悟して入る時は、溺れ死するまでの事はなき故、又浮み出る事も向ふの岸へ泳ぎ付く事も、あるなれども、覚悟なくして、此の川に陥る者は、再び浮み出る事出来ず、身を終るなり。愍む可し。我が教は世上かかる悪弊を除きて、安楽の地を得せしむるを勤とす。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、国家の盛衰(せいすい)存亡(そんぼう)は、各々(おのおの)利を争(あらそ)ふの甚(はなは)だしきにあり。富者は足る事をしらず、世を救(すく)ふ心なく、有るが上にも願ひ求めて、己(おの)が勝手(かって)のみを工夫し、天恩(てんおん)も知らず国恩(こくおん)も思はず。貧者は又何をかして、己を利せんと思へ共、工夫あらざれば、村費(そんぴ)の納むべきを滞(とどこお)り、作徳(さくとく)の出すべきを出さず、借(か)りたる者を返(かえ)さず。貧富共に義(ぎ)を忘れ、願ひても祈りても出来難(がた)き工夫のみをして、利を争ひ、其の見込の外(はず)れたる時は身代限(しんだいかぎ)りと云ひ、大河のうき瀬(せ)に沈(しず)むなり。此の大河も覚悟して入る時は、溺(おぼ)れ死するまでの事はなき故、又浮(うか)み出る事も向ふの岸(きし)へ泳(およ)ぎ付く事も、あるなれども、覚悟なくして、此の川に陥(おちい)る者は、再び浮み出る事出来ず、身を終(お)はるなり。愍(あわ)れむ可し。我が教は世上(せじょう)かかる悪弊(あくへい)を除(のぞ)きて、安楽の地を得せしむるを勤(つとめ)とす。
現代語訳
翁(二宮尊徳)が言われた。国家の盛衰存亡は、めいめいが利を争いすぎることにある。富者は満足を知らず、世を救う心もなく、有り余るうえにさらに欲しがって、自分の都合ばかりを工夫し、天の恩も国の恩も思わない。貧者もまた何とかして自分を利しようと思うが、工夫がないから、納めるべき村費を滞らせ、出すべき小作料を出さず、借りたものを返さない。貧富ともに義を忘れ、願っても祈っても叶わない儲け話ばかりを企てて利を争い、その見込みが外れると「破産だ」と言って、大河の急流に沈むのだ。この大河も、覚悟して入れば溺れ死ぬことはないから、また浮かび上がることも向こう岸へ泳ぎつくこともあるが、覚悟なくこの川に落ちる者は、二度と浮かび上がれず身を終える。哀れなことだ。私の教えは、世の中のこうした悪弊を取り除いて、人々に安楽の地を得させることを務めとする。