二宮翁夜話 / 続篇
翁、日光御神領の興復法の取調帳数十巻を指して曰、夫れ此興復法、計算は独り日光のみにはあらず、国家興復の計算なり。日光神領の文字誠に妙なり、世界の事と見て可なり、されば此帳簿は計算帳と見るべからず、是皆一々悟道にして天地自然の理なり。夫れ天地は昼夜変満して違ひなく、偽りなし、而して算術又然り、故に算術をかりて世界の変満するは此の如き道理なれば、決して油断は出来ぬぞと示して誡めしなり。此帳を開かば初の一を何になりとも定めて見るべし、善なり、悪なり、邪なり、正なり、直なり、曲なり、何なりとも定め置て見る時は、元に仍て利を生み、利が返て又元となり、其の元に利が付き繰返し繰返し、仏説に云ふ因果因果と引続きて絶えざる事年々歳々此の如し。譬へば毎朝己先に眼を覚して人を起すか、又人に毎朝起さるゝか、是一事にても知らるべし。人世は一刻勤むれば一刻丈け、一時働けば一時丈け、半日励めば半日丈け、善悪邪正曲直皆此計算の如く、一厘違へば一厘丈け、五厘違へば五厘丈け、多きは多き丈け、少きは少き丈け、此の通りと皆八十年間明細に調べ上げたり。朝早く起きたる因縁によりて麦が多く取れ、麦が多く取れた因縁によりて田を多く作り、田を多く作りたる因縁によりて馬を買ひ、馬を買ひ求めたる因縁によりて田畑が能く出来、田畑が能く出来たる因縁によりて田が殖え、田が殖えたる因縁によりて金を貸し、金を貸したる因縁によりて利が取れる。年々此の如くなるに依て富有の者となるなり。而して富有者の貧困になりゆくも又此道理なり。原野の艸、山林の木の生長も又同じ理なり。春延びたる力にて秋根を張り、秋根を張りたる力を以て春延び、去年延びたる力を以て今年太り、今年太りたる力を以て来年又太るなり、天地間の万物皆然り。是を理論にて云ふ時は種々の異論ありて面倒なれば、予は算術をかりて示せるなり、算術にて示す時は、如何なる悟道者も、いかなる論者も一言あらず。天地開闢の昔、人も禽獣も未だ無き時より、違ひ無き物を以て証拠として、天地間の道理は此の如き物ぞと知らしめたるなり。決して此帳を計算と見る事勿れ、夫れ数は免るゝ事能はず、此数理によりて道理を悟るべし、是悟道の捷径なり。弁算和尚傍にありて曰、是ぞ真の一切経なる、仰ぐべし尊ぶべしと。
書き下し
翁(おきな)、日光御神領(にっこうごしんりょう)の興復法(こうふくほう)の取調帳(とりしらべちょう)数十巻を指して曰(いわ)く、夫(そ)れ此(この)興復法、計算は独(ひと)り日光のみにはあらず、国家興復の計算なり。日光神領の文字誠に妙なり、世界の事と見て可なり、されば此帳簿は計算帳と見るべからず、是(これ)皆一々(いちいち)悟道(ごどう)にして天地自然の理なり。夫れ天地は昼夜変満(へんまん)して違ひなく、偽りなし、而(しか)して算術又然り、故に算術をかりて世界の変満するは此の如き道理なれば、決して油断は出来ぬぞと示して誡(いまし)めしなり。此帳を開かば初(はじめ)の一を何になりとも定めて見るべし、善なり、悪なり、邪(じゃ)なり、正なり、直(ちょく)なり、曲(きょく)なり、何なりとも定め置きて見る時は、元に仍(よっ)て利を生み、利が返(かえっ)て又元となり、其の元に利が付き繰返し繰返し、仏説(ぶっせつ)に云ふ因果(いんが)因果と引続きて絶えざる事年々歳々(ねんねんさいさい)此の如し。譬(たと)へば毎朝己(おのれ)先に眼を覚して人を起すか、又人に毎朝起さるゝか、是一事にても知らるべし。人世(じんせい)は一刻(いっこく)勤むれば一刻丈(だ)け、一時(いっとき)働けば一時丈け、半日励めば半日丈け、善悪邪正曲直(ぜんあくじゃせいきょくちょく)皆此計算の如く、一厘(いちりん)違へば一厘丈け、五厘違へば五厘丈け、多きは多き丈け、少きは少き丈け、此の通りと皆八十年間明細に調べ上げたり。朝早く起きたる因縁によりて麦が多く取れ、麦が多く取れた因縁によりて田を多く作り、田を多く作りたる因縁によりて馬を買ひ、馬を買ひ求めたる因縁によりて田畑が能(よ)く出来、田畑が能く出来たる因縁によりて田が殖(ふ)え、田が殖えたる因縁によりて金を貸し、金を貸したる因縁によりて利が取れる。年々此の如くなるに依(よっ)て富有(ふゆう)の者となるなり。而して富有者の貧困になりゆくも又此道理なり。原野の艸(くさ)、山林の木の生長も又同じ理なり。春延びたる力にて秋根を張り、秋根を張りたる力を以て春延び、去年延びたる力を以て今年太り、今年太りたる力を以て来年又太るなり、天地間の万物皆然り。是を理論にて云ふ時は種々の異論ありて面倒なれば、予(よ)は算術をかりて示せるなり、算術にて示す時は、如何(いか)なる悟道者も、いかなる論者も一言(いちごん)あらず。天地開闢(かいびゃく)の昔、人も禽獣(きんじゅう)も未だ無き時より、違ひ無き物を以て証拠として、天地間の道理は此の如き物ぞと知らしめたるなり。決して此帳を計算と見る事勿(なか)れ、夫れ数は免(まぬか)るゝ事能(あた)はず、此数理によりて道理を悟るべし、是悟道の捷径(しょうけい)なり。弁算(べんさん)和尚傍(かたわ)らにありて曰く、是ぞ真の一切経(いっさいきょう)なる、仰ぐべし尊ぶべしと。
現代語訳
翁が、日光御神領の復興計画の調査帳数十巻を指して言われた。この復興法の計算は、ただ日光のためだけのものではなく、国家を復興する計算なのだ。日光神領という文字も、世界の事と見てよい。だからこの帳簿を単なる計算帳と見てはならない。これはみな一つ一つが悟りであり、天地自然の理なのだ。天地は昼夜移り変わって満ちても狂いなく、偽りがない。算術もまた同じである。だから算術を借りて、世界の移り変わりはこのような道理なのだから決して油断はできないぞ、と示して戒めたのだ。この帳簿を開いて、最初の「一」を何とでも定めてみるがよい。善でも悪でも、邪でも正でも、真っ直ぐでも曲がっていても、何とでも定めて見れば、元手によって利が生まれ、利が返ってまた元手となり、その元手に利が付き、繰り返し繰り返して、仏説にいう因果因果と続いて絶えないことが、年々歳々このとおりだ。たとえば毎朝自分が先に目を覚まして人を起こすか、それとも毎朝人に起こされるか、この一事だけでも分かるだろう。人生は一刻勤めれば一刻だけ、一時働けば一時だけ、半日励めば半日だけ、善悪邪正曲直みなこの計算のとおりで、一厘違えば一厘だけ、五厘違えば五厘だけ、多いものは多いだけ、少ないものは少ないだけ――このとおりだと、みな八十年間つぶさに調べ上げた。朝早く起きた因縁で麦が多く取れ、麦が多く取れた因縁で田を多く作り、田を多く作った因縁で馬を買い、馬を買い求めた因縁で田畑がよくでき、田畑がよくできた因縁で田が増え、田が増えた因縁で金を貸し、金を貸した因縁で利が取れる。毎年このようになるから富める者となるのだ。そして富める者が貧しくなっていくのも、また同じ道理である。原野の草、山林の木の生長もまた同じ理だ。春に伸びた力で秋に根を張り、秋に根を張った力で春に伸び、去年伸びた力で今年太り、今年太った力で来年また太る。天地間の万物みなそうである。これを理屈で言えばさまざまな異論が出て面倒なので、私は算術を借りて示したのだ。算術で示せば、どんな悟りを得た者も、どんな論者も一言も返せない。天地の始まりの昔、人も鳥獣もまだいなかった時から狂いのないものを証拠として、天地の道理はこのようなものだと知らしめたのだ。決してこの帳簿を計算と見てはならない。数は逃れることができないのだから、この数理によって道理を悟るべきだ。これが悟りへの近道である。弁算和尚がそばにいて言った。これこそまことの一切経である、仰ぐべし尊ぶべしと。
解説
この章句が説くこと
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