二宮翁夜話 / 続篇
翁曰、学者皆大学の三綱領と云といへども、至善に止るの至善とは何なるや明かならず。予はひそかに其実は二綱領なるべしと愚考せり。如何となれば、明徳を明にするは道徳の至極なり、民を新にするは、国家経綸の至極なり、其上に至善に止るといへども、明徳と新民との外に至善とさす物はあるまじと思へばなり。仍て三綱領と云といへども、其実二綱領と心得て可なり。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、学者皆(みな)大学(だいがく)の三綱領(さんこうりょう)と云ふといへども、至善(しぜん)に止(とど)まるの至善とは何なるや明かならず。予(よ)はひそかに其実(そのじつ)は二綱領なるべしと愚考(ぐこう)せり。如何(いか)となれば、明徳(めいとく)を明にするは道徳の至極(しごく)なり、民を新(あらた)にするは、国家経綸(けいりん)の至極なり、其上(そのうえ)に至善に止まるといへども、明徳と新民(しんみん)との外(ほか)に至善とさす物はあるまじと思へばなり。仍(よっ)て三綱領と云ふといへども、其実二綱領と心得て可なり。
現代語訳
翁が言われた。学者はみな『大学』の三綱領と言うが、「至善に止まる」の至善とは何であるのか、はっきりしない。私はひそかに、その実は二綱領であろうと考えている。なぜなら、明徳を明らかにするのは道徳の極致であり、民を新たにするのは国家を治める政治の極致である。そのうえに「至善に止まる」と言っても、明徳と新民のほかに至善が指すものはあるまいと思うからだ。よって三綱領とは言うものの、その実は二綱領と心得てよいのである。
解説
儒教の経典『大学』が掲げる三綱領――「明徳を明らかにす」「民を新たにす」「至善に止まる」――について、尊徳が独自の解釈を示した一条です。尊徳は、明徳を明らかにするのが道徳の極致、民を新たにするのが政治の極致であり、「至善に止まる」はその二つに尽きるとして、実質は二綱領だと喝破します。権威ある経典を鵜呑みにせず、自らの実践経験に照らして本質をつかみ直す。これは書物より現実を重んじる尊徳の実学精神の表れです。現代でも、定説や権威を無批判に受け入れず、自分の頭で筋道を問い直す姿勢の大切さを教えてくれます。
この章句が説くこと
二宮翁夜話報徳大学三綱領明徳新民
関連する章句
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大学大学の道は、明徳を明らかにするに在り、民を親(あら)たにするに在り、至善に止まるに在り。止まるを知りて而后(のち)定まる有り、定まりて而后能く静かなり、静かにして而后能く安し、安くして而后能く慮(おもんぱか)る、慮りて而后能く得。物に本末有り、事に終始有り、先後する所を知れば、則ち道に近し。
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二宮翁夜話・巻之三翁(おきな)曰(いわ)く、大学に、安(やす)じて而(しか)して后(のち)能(よ)く慮(おもんぱか)り、慮りて而して后能く得(う)、とあり。真(まこと)に然(しか)るべし。世人(せじん)は大体苦し紛(まぎ)れに、種々(しゅじゅ)の事を思ひ謀(はか)る故(ゆえ)に、皆成らざるなり。安じて而して后に能く慮りて、事を為(な)さば、過(あやま)ちなかるべし。而して后に能く得(う)ると云へる、真に妙(みょう)なり。
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二宮翁夜話・巻之二弘化元年八月、其筋(すじ)より日光神領荒地起返(おこしかえ)し方申付る見込の趣(おもむき)、取調べ仕法書差出すべしと、翁(おきな)に命ぜらる、予(よ)が兄大沢勇助出府(しゅっぷ)し恐悦(きょうえつ)を翁に申す、予随(したが)へり、翁曰く、我(わが)本願(ほんがん)は、人々の心の田の荒蕪(こうぶ)を開拓して、天授(てんじゅ)の善種、仁義礼智を培養(ばいよう)して、善種を收獲(しゅうかく)し、又蒔(まき)返し蒔返して、国家に善種を蒔弘(まきひろ)むるにあり、然るに此度の命令は、土地の荒蕪の開拓なれば、我本願に違(たが)へるは汝(なんじ)が知る所ならずや、然るを遠く来て、此命あるを賀(が)すは何ぞや、本意に背(そむ)きたる命令なれど、命なれば余儀なし、及ばずながら、我輩も御手伝ひ致さんと、云はゞ悦ぶべし、然らざれば悦ばず、夫(それ)我道は、人々の心の荒蕪を開くを本意とす、心の荒蕪一人開くる時は、地の荒蕪は何万町あるも憂(うれ)ふるにたらざるが故なり、汝が村の如き、汝が兄一人の心の開拓の出来たるのみにて、一村速(すみやか)に一新せり、大学に、明徳を明にするにあり、民を新(あら)たにするにあり、至善に止(とど)まるにありと、明徳を明にするは心の開拓を云、汝が兄の明徳、少し斗(ばか)り明になるや直(すぐ)に一村の人民新になれり、徳の流行する、置郵(ちゆう)して命を伝ふるより速(すみやか)也とは此事也、帰国せば早く至善に止まるの法を立て父祖の恩に報ぜよ、是専務(せんむ)の事なり
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二宮翁夜話・巻之五翁(おきな)曰(いわ)く、世人(せじん)皆、聖人は無欲と思へども然(しか)らず、其(そ)の実(じつ)は大欲にして、其の大は正大なり、賢人之(これ)に次ぎ、君子之に次ぐ、凡夫(ぼんぷ)の如きは、小欲の尤(もっと)も小なる物なり、夫(そ)れ学問は此の小欲を正大に導(みちび)くの術(じゅつ)を云ふ、大欲とは何ぞ、万民の衣食住を充足せしめ、人身に大福を集(あつ)めん事を欲するなり、其の方、国を開き物を開き、国家を経綸(けいりん)し、衆庶(しゅうしょ)を済救(さいきゅう)するにあり、故に聖人の道を推窮(おしきわ)むる時は、国家を経済して、社会の幸福を増進するにあり、大学中庸等に其の意明かに見ゆ、其の欲する処(ところ)豈(あに)正大ならずや、能(よ)く思ふべし。
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大学《康誥》(こうこう)に曰く、「克(よ)く徳を明らむ」と。《太甲》(たいこう)に曰く、「諟(こ)の天の明命を顧(かえり)みる」と。《帝典》(ていてん)に曰く、「克く峻徳(しゅんとく)を明らむ」と。皆自ら明らむるなり。
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二宮翁夜話・巻之五翁(おきな)曰(いわ)く、天地は一物なれば、日も月も一つなり、されば至道(しどう)二つあらず、至理(しり)は万国同じかるべし、只理(り)の窮(きわ)めざると尽(つく)さゞるあるのみ、然(しか)るに諸道各々(おのおの)道を異(こと)にして、相争(あらそ)ふは、各(おのおの)区域(くいき)を狭(せば)く垣根(かきね)を結回(ゆいまわ)して、相隔(へだ)つるが故なり、共に三界城内(さんがいじょうない)に立籠(たてこも)りし、迷者(めいしゃ)と云(いい)て可なり、此(この)垣根を見破りて後に道は談ずべし、此垣根の内に籠(こも)れる論は、聞(きく)も益なし、説(とく)も益なし。