二宮翁夜話 / 続篇
翁曰、世の人とかく小事を厭ひて大事を欲すれども、本来大は小の積りたるなり、されば小を積んで大をなすの外に術はなきなり。夫れ国中の田は広太無辺無数なり、然るに其田地は皆一鍬づゝ耕し、一株づゝ植え、一株づゝ刈り取るなり。其田一反を耕す鍬の数三万以上なり、其の稲の株数は一万五千内外なるべし、皆一株づゝ植えて、一株づゝ刈るなり。其田より実法りたる米粒一升の数は六万四千八百余あり、此米を白米にするには、一臼の杵の数千五六百以上なり、其手数思はざるべけんや。小の勤めざる可からざる知るべきなり。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、世の人とかく小事(しょうじ)を厭(いと)ひて大事(だいじ)を欲すれども、本来大は小の積りたるなり、されば小を積んで大をなすの外(ほか)に術(すべ)はなきなり。夫(そ)れ国中(くにじゅう)の田は広太無辺(こうたいむへん)無数なり、然(しか)るに其(その)田地は皆一鍬(ひとくわ)づゝ耕し、一株(ひとかぶ)づゝ植え、一株づゝ刈り取るなり。其田一反(いったん)を耕す鍬の数三万以上なり、其の稲の株数は一万五千内外なるべし、皆一株づゝ植えて、一株づゝ刈るなり。其田より実法(みの)りたる米粒(べいりゅう)一升(いっしょう)の数は六万四千八百余あり、此米を白米にするには、一臼(ひとうす)の杵(きね)の数千五六百以上なり、其手数(てすう)思はざるべけんや。小の勤めざる可(べ)からざる知るべきなり。
現代語訳
翁が言われた。世の人はとかく小さな事を嫌って大きな事を望むが、そもそも大は小の積み重ねでできている。だから小を積んで大をなすほか、方法はないのだ。国じゅうの田は広大で無数にある。しかしその田地は、みな一鍬ずつ耕し、一株ずつ植え、一株ずつ刈り取るのである。田一反を耕す鍬の数は三万以上、その稲の株数は一万五千内外であろう。みな一株ずつ植えて、一株ずつ刈るのだ。その田から実った米粒は一升で六万四千八百余りもあり、この米を白米にするには一臼につく杵の数が千五、六百以上になる。その手間を思わずにいられようか。小を勤めなければならないことを知るべきである。
解説
尊徳の思想の核心「積小為大(せきしょういだい)」を、稲作の具体的な数字で説いた一条です。人は小事を軽んじ一足飛びの大成を望みますが、広大な田も一鍬一株の積み重ねであり、一升の米も六万余の粒の集まりだと数え上げます。大事とは小事の集積にほかならず、小を疎かにして大は成らない――農の現場の実感がこの教えを支えています。現代でも、大きな目標は日々の小さな実践の積み重ねでしか達しえません。目先の地味な一歩を厭わず着実に重ねることこそ成功への唯一の道であると、尊徳は数字の説得力をもって諭しています。
この章句が説くこと
二宮翁夜話報徳積小為大小事勤労稲作
関連する章句
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二宮翁夜話・巻之一翁(おきな)曰(いわ)く、大事をなさんと欲せば、小さなる事を、怠らず勤むべし、小(しょう)積(つも)りて大となればなり、凡(およそ)小人(しょうじん)の常、大なる事を欲して、小さなる事を怠り、出来難(できがた)き事を憂ひて、出来易(できやす)き事を勤めず、夫故(それゆえ)、終(つい)に大なる事をなす事あたはず、夫(それ)大は小の積(つも)んで大となる事を知らぬ故なり、譬(たと)へば百万石の米と雖(いえど)も、粒の大なるにあらず、万町(まんちょう)の田を耕すも、其(その)業(わざ)は一鍬(ひとくわ)づゝの功にあり、千里の道も一歩づゝ歩みて至る、山を作るも一簣(いっき)の土よりなる事を明かに弁(わきま)へて、励精(れいせい)小さなる事を勤めば、大なる事必(かならず)なるべし、小さなる事を忽(ゆるがせ)にする者、大なる事は必(かならず)出来ぬものなり。
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二宮翁夜話・巻之四翁(おきな)曰(いわ)く、世の中大も小も限(かぎ)りなし、浦賀港(うらがみなと)にては米を数(かぞ)ふるに、大船にて一艘(いっそう)二艘と云ひ、蔵前(くらまえ)にては三蔵(みくら)四蔵と云ふなり、実に俵(たわら)米は数を為(な)さざるが如し、然れ共、其米大粒なるにあらず、通常の米なり、其粒を数(かぞ)ふれば一升の粒六七万有るべし、されば一握(にぎ)りの米も、其数は無量と云て可なり、まして其米穀の功徳に於てをや、春種を下してより、稲生じ風雨寒暑を凌(しの)ぎて、花咲き実のり、又こきおろして、搗(つ)き上げ白米となすまで、此丹精容易(ようい)ならず実に粒々辛苦なり、其粒々辛苦の米粒を日々無量に食して命を継(つ)ぐ、其功徳、又無量ならずや、能思ふべし、故に人は小々の行を積(つ)むを尊(たっと)むなり、予が日課(にっか)繩索(なわない)の方法の如きは、人々疑(うたが)はずして勤るに進む、是(これ)小を積て大を為せばなり、一房の繩(なわ)にても、一銭の金にても、乞食に施(ほどこ)すの類(るい)にあらず、実に平等利益の正業にして、国家興復の手本なり、大なる事は人の耳(みみ)を驚(おどろか)すのみにして、人々及ばずとして、退(しりぞ)けば詮(せん)無き物なり、縦令(たとい)退かざるも、成功は遂(と)げ難(がた)き物なり、今爰(ここ)に数万金の富者ありといへ共、必ず其祖其先一鍬(いっか)の功よりして、小を積(つ)んで富を致せしに相違なし、大船の帆柱、永代(えいたい)の橋(はし)杭(くい)などの如き、大木といへども一粒の木の実より生じ、幾百年の星霜(せいそう)を経て寒暑風雨の艱難を凌ぎ、日々夜々に精気(せいき)を運(はこ)んで長育せし物なり、而(しか)て昔の木の実のみ長育するにあらず、今の木の実といへ共、又大木となる疑(うたが)ひなし、昔の木の実今の大木、今の木の実後世の大木なる事を、能々(よくよく)弁(わきま)へて、大を羨(うらや)まず小を恥(は)ぢず、速(すみやか)ならん事を欲せず、日夜怠(おこた)らず勤るを肝要とす、「むかし蒔(ま)く木の実大木と成にけり今蒔く木の実後の大木ぞ」。
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二宮翁夜話・巻之一翁(おきな)曰(いわ)く、道の行はるるや難し、道の行はれざるや久し。その才ありといへども、その力なき時は行はれず。其才(そのさい)その力ありといへども、其徳(そのとく)なければ又行はれず。其徳ありといへども、その位(くらい)なき時は又行はれず。然れども是は是(これこれ)大道を国天下(くにてんか)に行ふの事なり。その難き勿論(もちろん)なり。然れば何ぞ此人なきを憂(うれ)へんや。何ぞ其位なきを憂へんや。茄子(なす)をならするは茄子作り能(よ)くすべし。馬を肥(こや)すは馬士(まご)能くすべし。一家を斉(ととの)ふるは亭主能くすべし。或(あるい)は兄弟親戚相結んで行ひ、或は朋友同志相結んで行ふべし。人々此道を尽し、家々此道を行ひ、村々此道を行はば、豈(あに)国家興復(こうふく)せざる事あらんや。
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二宮翁夜話・続篇翁(おきな)曰(いわ)く、農家は作物の為とのみ勤めて朝夕力を尽し、心を尽す時は、自然願はずして穀物蔵に満(みつ)るなり。穀物蔵にあれば呼ばずして魚売りも来り、小間物屋(こまものや)も来り、何もかも安楽自在なり。又村里を見るに籬(まがき)丈夫に住居の掃除も届き、積肥(つみごえ)沢山積重ねたるは、何となく福々(ふくぶく)しき。其家の田畑は隅々まで行届き出来、平(たいら)に穂先揃ひて見事なるものなり。又之に反して出来不平(ふびょう)にして穂先揃はず、稗(ひえ)あり艸(くさ)あり、何となく見苦しき田畑の作主(つくりぬし)の家は、籬も破れ、家居(いえい)不潔なるものなり。又一種不精者(ぶしょうもの)の困窮ながらも家居は清潔に住むあり、是は籬其外も行き届きたれど、家に俵(たわら)なく、農具なく、庭に積肥なく、何となくさみしきものなり。又人気(じんき)和せざる村里は四壁の竹木も不揃(ふぞろ)ひにて、道路悪敷(あしく)堰(せき)用水路に笹茂るなど見苦しきものなり、大凡(おおよそ)違はじ。
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二宮翁夜話・巻之一翁(おきな)曰(いわ)く、万巻(ばんかん)の書物ありといへども、無学の者に詮(せん)なし、隣家に金貸しありといへども、我に借(か)る力なきを如何(いかん)せん、向ひに米屋ありといへども、銭(ぜに)なければ買ふ事はならぬ也(なり)、されば書物を読(よ)まんと思はゞ、いろはより習ひ初(はじ)むべし、家を興さんと思はゞ、小(しょう)より積(つみ)初むべし、此外(このほか)に術(じゅつ)はあらざるなり。
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二宮翁夜話・巻之一翁(おきな)曰(いわ)く、百事決定(けつじょう)と注意とを肝要とす、如何(いか)となれば、何事によらず、百事決定と注意とによりて、事はなる物なり、小事たりといへども、決定する事なく、注意する事なければ、百事悉(ことごと)く破る、夫(そ)れ一年は十二ヶ月也、然(しか)して月々に米実法(みの)るにあらず、只初冬一ヶ月のみ米実法りて、十二月米を喰(くら)ふは、人々しか決定して、しか注意するによる、是(これ)によりて是を見れば、二年に一度、三年に一度実法るとも、人々其通り決定して注意せば、決して差支(さしつかえ)あるべからず、凡(およ)そ物の不足は、皆覚悟せざる処に出(いず)るなり、されば人々平日の暮し方、大凡(おおよそ)此位の事にすれば、年末に至て余るべしとか、不足すべしとか、しれざる事はなかるべし、是に心付(づ)かず、うかうかと暮して、大晦日に至り始(はじ)めて驚くは、愚の至り不注意の極(きわま)りなり、ある飯焚(めしたき)女が曰(いわ)く、一日に一度づゝ米櫃(こめびつ)の米をかき平均(なら)して見る時は、米の俄(にわか)に不足すると云事、決してなしといへり、是飯焚女のよき注意なり、此米櫃をならして見るは、則(すなわ)ち一家の店卸(たなおろ)しに同じ、能々(よくよく)決定して注意すべし。