二宮翁夜話 / 巻之一
翁曰、百事決定と注意とを肝要とす、如何となれば、何事によらず、百事決定と注意とによりて、事はなる物なり、小事たりといへども、決定する事なく、注意する事なければ、百事悉く破る、夫れ一年は十二ヶ月也、然して月々に米実法るにあらず、只初冬一ヶ月のみ米実法りて、十二月米を喰ふは、人々しか決定して、しか注意するによる、是によりて是を見れば、二年に一度、三年に一度実法るとも、人々其通り決定して注意せば、決して差支あるべからず、凡そ物の不足は、皆覚悟せざる処に出るなり、されば人々平日の暮し方、大凡此位の事にすれば、年末に至て余るべしとか、不足すべしとか、しれざる事はなかるべし、是に心付ず、うかうかと暮して、大晦日に至り始て驚くは、愚の至り不注意の極なり、ある飯焚女が曰、一日に一度づゝ米櫃の米をかき平均して見る時は、米の俄に不足すると云事、決してなしといへり、是飯焚女のよき注意なり、此米櫃をならして見るは、則ち一家の店卸しに同じ、能々決定して注意すべし。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、百事決定(けつじょう)と注意とを肝要とす、如何(いか)となれば、何事によらず、百事決定と注意とによりて、事はなる物なり、小事たりといへども、決定する事なく、注意する事なければ、百事悉(ことごと)く破る、夫(そ)れ一年は十二ヶ月也、然(しか)して月々に米実法(みの)るにあらず、只初冬一ヶ月のみ米実法りて、十二月米を喰(くら)ふは、人々しか決定して、しか注意するによる、是(これ)によりて是を見れば、二年に一度、三年に一度実法るとも、人々其通り決定して注意せば、決して差支(さしつかえ)あるべからず、凡(およ)そ物の不足は、皆覚悟せざる処に出(いず)るなり、されば人々平日の暮し方、大凡(おおよそ)此位の事にすれば、年末に至て余るべしとか、不足すべしとか、しれざる事はなかるべし、是に心付(づ)かず、うかうかと暮して、大晦日に至り始(はじ)めて驚くは、愚の至り不注意の極(きわま)りなり、ある飯焚(めしたき)女が曰(いわ)く、一日に一度づゝ米櫃(こめびつ)の米をかき平均(なら)して見る時は、米の俄(にわか)に不足すると云事、決してなしといへり、是飯焚女のよき注意なり、此米櫃をならして見るは、則(すなわ)ち一家の店卸(たなおろ)しに同じ、能々(よくよく)決定して注意すべし。
現代語訳
翁(二宮尊徳)が言われた。何事も、心を決めて取り組むこと(決定)と、細心の注意を払うこととが肝要である。なぜなら、どんなことでも、この決定と注意とによってはじめて事が成るからだ。たとえ小さなことでも、心を決めず、注意もしなければ、すべては破綻してしまう。そもそも一年は十二か月あるが、毎月米が実るわけではない。ただ初冬の一か月だけ米が実り、それを十二か月食べていけるのは、人々がそう心を決め、そう注意して暮らしているからである。この理からすれば、二年に一度、三年に一度しか実らなくても、人々がその通りに心を決めて注意すれば、決して困ることはない。およそ物の不足は、みな心構えのない所から生じる。だから普段の暮らし方を、だいたいこの程度にすれば年末に余るとか不足するとか、あらかじめ分からないはずはない。それに気づかず、うかうかと暮らして、大晦日になって初めて驚くのは、愚かさの極み、不注意の極みである。ある飯炊きの女が言った。一日に一度ずつ米櫃の米をかき均して見れば、米が急に足りなくなるなどということは決してない、と。これは飯炊き女のよい注意である。この米櫃を均して見ることは、すなわち一家の棚卸しに等しい。よくよく心を決めて注意すべきである。