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二宮翁夜話 / 巻之四

翁曰、世の中大も小も限りなし、浦賀港にては米を数ふるに、大船にて一艘二艘と云ひ、蔵前にては三蔵四蔵と云なり、実に俵米は数を為ざるが如し、然れ共、其米大粒なるにあらず、通常の米なり、其粒を数ふれば一升の粒六七万有べし、されば一握りの米も、其数は無量と云て可なり、まして其米穀の功徳に於てをや、春種を下してより、稲生じ風雨寒暑を凌ぎて、花咲き実のり、又こきおろして、搗き上げ白米となすまで、此丹精容易ならず実に粒々辛苦なり、其粒々辛苦の米粒を日々無量に食して命を継ぐ、其功徳、又無量ならずや、能思ふべし、故に人は小々の行を積むを尊むなり、予が日課繩索の方法の如きは、人々疑はずして勤るに進む、是小を積て大を為せばなり、一房の繩にても、一銭の金にても、乞食に施すの類にあらず、実に平等利益の正業にして、国家興復の手本なり、大なる事は人の耳を驚すのみにして、人々及ばずとして、退けば詮無き物なり、縦令退かざるも、成功は遂げ難き物なり、今爰に数万金の富者ありといへ共、必其祖其先一鍬の功よりして、小を積んで富を致せしに相違なし、大船の帆柱、永代の橋杭などの如き、大木といへども一粒の木の実より生じ、幾百年の星霜を経て寒暑風雨の艱難を凌ぎ、日々夜々に精気を運んで長育せし物なり、而て昔の木の実のみ長育するにあらず、今の木の実といへ共、又大木となる疑ひなし、昔の木の実今の大木、今の木の実後世の大木なる事を、能々弁へて、大を羨まず小を恥ず、速ならん事を欲せず、日夜怠らず勤るを肝要とす、「むかし蒔く木の実大木と成にけり今蒔く木の実後の大木ぞ」。

書き下し

翁(おきな)曰(いわ)く、世の中大も小も限(かぎ)りなし、浦賀港(うらがみなと)にては米を数(かぞ)ふるに、大船にて一艘(いっそう)二艘と云ひ、蔵前(くらまえ)にては三蔵(みくら)四蔵と云ふなり、実に俵(たわら)米は数を為(な)さざるが如し、然れ共、其米大粒なるにあらず、通常の米なり、其粒を数(かぞ)ふれば一升の粒六七万有るべし、されば一握(にぎ)りの米も、其数は無量と云て可なり、まして其米穀の功徳に於てをや、春種を下してより、稲生じ風雨寒暑を凌(しの)ぎて、花咲き実のり、又こきおろして、搗(つ)き上げ白米となすまで、此丹精容易(ようい)ならず実に粒々辛苦なり、其粒々辛苦の米粒を日々無量に食して命を継(つ)ぐ、其功徳、又無量ならずや、能思ふべし、故に人は小々の行を積(つ)むを尊(たっと)むなり、予が日課(にっか)繩索(なわない)の方法の如きは、人々疑(うたが)はずして勤るに進む、是(これ)小を積て大を為せばなり、一房の繩(なわ)にても、一銭の金にても、乞食に施(ほどこ)すの類(るい)にあらず、実に平等利益の正業にして、国家興復の手本なり、大なる事は人の耳(みみ)を驚(おどろか)すのみにして、人々及ばずとして、退(しりぞ)けば詮(せん)無き物なり、縦令(たとい)退かざるも、成功は遂(と)げ難(がた)き物なり、今爰(ここ)に数万金の富者ありといへ共、必ず其祖其先一鍬(いっか)の功よりして、小を積(つ)んで富を致せしに相違なし、大船の帆柱、永代(えいたい)の橋(はし)杭(くい)などの如き、大木といへども一粒の木の実より生じ、幾百年の星霜(せいそう)を経て寒暑風雨の艱難を凌ぎ、日々夜々に精気(せいき)を運(はこ)んで長育せし物なり、而(しか)て昔の木の実のみ長育するにあらず、今の木の実といへ共、又大木となる疑(うたが)ひなし、昔の木の実今の大木、今の木の実後世の大木なる事を、能々(よくよく)弁(わきま)へて、大を羨(うらや)まず小を恥(は)ぢず、速(すみやか)ならん事を欲せず、日夜怠(おこた)らず勤るを肝要とす、「むかし蒔(ま)く木の実大木と成にけり今蒔く木の実後の大木ぞ」。

現代語訳

翁が言われた。世の中は大きいものも小さいものも限りがない。浦賀港では米を数えるのに、大船で一艘二艘と数え、蔵前では三蔵四蔵と数える。まったく俵に入った米は数えきれないかのようだ。しかしその米が大粒なのではなく、ふつうの米である。その粒を数えれば一升で六、七万粒はあるだろう。だから一握りの米でも、その数は無量といってよい。まして、その米穀のありがたい働きはなおさらだ。春に種をまいてから、稲が生え、風雨や寒暑をしのいで花が咲き実り、脱穀して搗き上げ白米にするまで、この丹精は容易ではなく、まことに一粒一粒が辛苦の結晶だ。その一粒一粒の辛苦の米を、日々数えきれぬほど食べて命をつなぐ。その功徳もまた無量ではないか。よく考えるがよい。だから人は、小さな行いを積み重ねることを尊ぶのだ。私が日課とする縄をなう方法などは、人々が疑うことなく喜んで励む。これは小を積んで大を成すからだ。一房の縄でも一銭の金でも、乞食に施すたぐいのものではない。まことに誰もが利益を得る正しい仕事であり、国家再興の手本である。大きな事業は人の耳を驚かすだけで、人々が「自分には及ばない」と尻込みして退いてしまえば何にもならない。たとえ退かなくても、成功を遂げるのは難しいものだ。今ここに数万金の富者がいても、必ずその祖先が一鍬の働きから小を積んで富をなしたに違いない。大船の帆柱や永代橋の橋杭のような大木も、もとは一粒の木の実から生じ、幾百年の歳月を経て寒暑風雨の苦難をしのぎ、日々夜々に精気を運んで育ったものだ。しかも昔の木の実だけが育つのではない。今の木の実もまた大木となるのは疑いない。昔の木の実が今の大木、今の木の実が後世の大木となることをよくよくわきまえ、大を羨まず小を恥じず、早く成し遂げようと焦らず、日夜怠らず励むことが肝要である。「昔まいた木の実が大木となった。今まく木の実が、後の世の大木となるのだ」。

解説

一握りの米も数えれば無量であり、一粒一粒が農の辛苦の結晶である――尊徳は米粒を例に、小さなものの尊さと積み重ねの力を説きます。これこそ報徳思想の要「積小為大」です。数万金の富者も先祖の一鍬から始まり、大木も一粒の木の実から幾百年かけて育つ。人を驚かす大事業に飛びつくより、誰もが取り組める小さな正業(縄をなうなど)を怠らず積むことが、確実に大を成す道だと尊徳は身をもって示しました。「大を羨まず小を恥じず、速やかならんことを欲せず」という戒めは、成果を焦る現代人への処方箋でもあります。今日まく一粒が後世の大木になる――日々の地道な努力こそ未来を築くという励ましです。

この章句が説くこと

二宮翁夜話報徳積小為大勤労粒々辛苦一鍬の功

この一句を、あなたの毎日に。

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