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二宮翁夜話 / 続篇

翁曰、農家は作物の為とのみ勤めて朝夕力を尽し、心を尽す時は、自然願はずして穀物蔵に満るなり。穀物蔵にあれば呼ばずして魚売りも来り、小間物屋も来り、何もかも安楽自在なり。又村里を見るに籬丈夫に住居の掃除も届き、積肥沢山積重ねたるは、何となく福々しき。其家の田畑は隅々まで行届き出来、平に穂先揃ひて見事なるものなり。又之に反して出来不平にして穂先揃はず、稗あり艸あり、何となく見苦しき田畑の作主の家は、籬も破れ、家居不潔なるものなり。又一種不精者の困窮ながらも家居は清潔に住むあり、是は籬其外も行き届きたれど、家に俵なく、農具なく、庭に積肥なく、何となくさみしきものなり。又人気和せざる村里は四壁の竹木も不揃にて、道路悪敷堰用水路に笹茂るなど見苦しきものなり、大凡違はじ。

書き下し

翁(おきな)曰(いわ)く、農家は作物の為とのみ勤めて朝夕力を尽し、心を尽す時は、自然願はずして穀物蔵に満(みつ)るなり。穀物蔵にあれば呼ばずして魚売りも来り、小間物屋(こまものや)も来り、何もかも安楽自在なり。又村里を見るに籬(まがき)丈夫に住居の掃除も届き、積肥(つみごえ)沢山積重ねたるは、何となく福々(ふくぶく)しき。其家の田畑は隅々まで行届き出来、平(たいら)に穂先揃ひて見事なるものなり。又之に反して出来不平(ふびょう)にして穂先揃はず、稗(ひえ)あり艸(くさ)あり、何となく見苦しき田畑の作主(つくりぬし)の家は、籬も破れ、家居(いえい)不潔なるものなり。又一種不精者(ぶしょうもの)の困窮ながらも家居は清潔に住むあり、是は籬其外も行き届きたれど、家に俵(たわら)なく、農具なく、庭に積肥なく、何となくさみしきものなり。又人気(じんき)和せざる村里は四壁の竹木も不揃(ふぞろ)ひにて、道路悪敷(あしく)堰(せき)用水路に笹茂るなど見苦しきものなり、大凡(おおよそ)違はじ。

現代語訳

翁が言われた。農家がただ作物のためと思って朝夕に力を尽くし、心を尽くして働けば、願わずとも自然に穀物が蔵に満ちてくる。穀物が蔵にあれば、呼ばなくても魚売りも来る、小間物屋も来る、何もかも安楽で思いのままだ。また村里を見ると、垣根が丈夫で住まいの掃除も行き届き、堆肥をたくさん積み重ねている家は、なんとなく福々しい。その家の田畑は隅々まで行き届いて実り、平らに穂先が揃って見事なものだ。反対に、実りが不揃いで穂先も揃わず、稗や雑草が生えて何となく見苦しい田畑の持ち主の家は、垣根も破れ、住まいも不潔なものだ。また一方で、無精者ながら貧しくても住まいだけは清潔にしている家もある。これは垣根やその他は行き届いているが、家に米俵がなく、農具もなく、庭に堆肥もなく、何となく寂しいものだ。また人心が和まない村里は、四方の竹木も不揃いで、道は悪く、堰や用水路に笹が茂るなど見苦しいものだ。おおよそ間違いあるまい。

解説

田畑と家の佇まいを見れば、その家や村の勤勉と繁栄の度合いが分かる、という観察の一条です。心を尽くして働けば蔵は満ち、暮らしは福々しく整う。逆に手を抜けば田畑は荒れ、住まいも荒む――尊徳は具体的な情景を並べて、勤労の有無が生活のすみずみに現れると説きます。これは報徳の「勤労」と「積小為大」の教えで、日々の丹精が目に見える豊かさとして結実することを示します。現代でも、身の回りの整い方や仕事ぶりの細部に、その人の姿勢がおのずと表れることを教えてくれます。

この章句が説くこと

二宮翁夜話報徳勤労積小為大農家勤勉

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