二宮翁夜話 / 続篇
翁曰、論語に己に如かざる者を友とする事勿れとあるを、世に取違へる人あり。夫れ人々皆長ずる所あり、短なる所あるは各々免れ難きなり、されば其人の長ずる所を友として、短なる所を友とする事勿れの意と心得べし。譬へば其人の短なる事をば捨て、其人の長所を友とするなり。多くの人には短才の人にも手書きあるべし、世事には疎きも学者あるべし、無学にも世事に賢こきあるべし、無筆には農事に精しき有るべし、皆其長所を友として短所を友とする事勿れの意なり。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、論語に己に如(し)かざる者を友とする事勿(なか)れとあるを、世に取違(とりちが)へる人あり。夫(そ)れ人々皆長ずる所あり、短なる所あるは各々(おのおの)免れ難きなり、されば其人の長ずる所を友として、短なる所を友とする事勿れの意と心得べし。譬(たと)へば其人の短なる事をば捨て、其人の長所を友とするなり。多くの人には短才の人にも手書(てが)きあるべし、世事には疎(うと)きも学者あるべし、無学にも世事に賢(かしこ)きあるべし、無筆には農事に精(くわ)しき有るべし、皆其長所を友として短所を友とする事勿れの意なり。
現代語訳
翁が言われた。『論語』に「自分に及ばない者を友とするな」とあるのを、世間には取り違える人がいる。そもそも人にはみなそれぞれ長所があり、短所があるのも各々避けがたいものだ。だから、その人の長所を友とし、短所を友とするな、という意味だと心得るべきだ。たとえば、その人の短所は捨て置いて、その人の長所を友とするのである。多くの人の中には、才の乏しい者でも字の上手い者がいるし、世事に疎くても学問のある者がいる。無学でも世事に賢い者がいるし、字が書けなくても農事に詳しい者がいる。みな、その長所を友として短所を友とするな、という意味なのだ。
解説
『論語』の「己に如かざる者を友とする事勿れ」を、尊徳が独自に読み解いた一条です。世間はこれを「自分より劣る者と付き合うな」と取り違えるが、本当は「相手の長所と交わり、短所とは交わるな」の意だと説きます。人は誰しも長短を併せ持つ。字の上手い者、農事に詳しい者――それぞれの優れた点に学べばよい、というのです。これは報徳の「至誠」に基づく寛容な人間観で、他人を選り好みせず、誰からも学ぶ姿勢を示します。現代でも、人を上下で選別するのではなく、それぞれの長所に目を向けて交わることの大切さを教えてくれます。
この章句が説くこと
二宮翁夜話報徳論語長所を友とする至誠人間観
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