二宮翁夜話 / 巻之三
翁曰、論語に、孔子に問ふ時、孔子知らずと答ふる事しばしばあり、是は知らざるにあらず、教ふべき場合ひにあらざると、教ふるも益なき時となり、今日金持の家に借用を云込に、先方にて折悪く金員なしと云に、同じ場合ひなり、知らずと云に大なる味ひあり、能味ひて其意を解すべし。
書き下し
翁曰(いわ)く、論語に、孔子に問ふ時、孔子知らずと答ふる事しばしばあり。是(これ)は知らざるにあらず、教ふべき場合ひにあらざると、教ふるも益なき時となり。今日金持の家に借用を云ひ込むに、先方にて折悪(おりあ)しく金員なしと云ふに、同じ場合ひなり。知らずと云ふに大なる味(あじわ)ひあり、能(よ)く味ひて其の意を解すべし。
現代語訳
翁が言われた。『論語』で、孔子に問う時、孔子が「知らない」と答えることがしばしばある。これは本当に知らないのではなく、教えるべき場面でない時と、教えても益のない時なのだ。今日、金持ちの家に借金を申し込んだのに、先方が折悪しく「持ち合わせがない」と言うのと同じ場合だ。「知らない」という言葉に大きな味わいがある。よく味わってその意味を理解すべきだ。
解説
孔子がしばしば「知らない」と答えたのは、無知だからではなく、教えるべき時機でなかったり、教えても相手のためにならなかったりしたからだ――尊徳はそう読み解きます。金持ちに借金を申し込んだ相手が「あいにく持ち合わせがない」と断るのと同じで、断りの言葉の裏に相手を思う分別が隠れている、というのです。何でも知っていることを見せびらかすのではなく、相手と時機を見て言葉を選び、あえて語らない――そこに深い味わいがある、と尊徳は説きます。教育や助言は相手の受け入れる準備が整って初めて実を結ぶという配慮であり、報徳が重んじる至誠と相手本位の精神の表れです。何を語り何を控えるかを見極める知恵は、指導や対人関係の場に生きる普遍的な教えです。
この章句が説くこと
二宮翁夜話報徳至誠時機を見る相手本位論語
関連する章句
-
二宮翁夜話・続篇翁(おきな)曰(いわ)く、論語に己に如(し)かざる者を友とする事勿(なか)れとあるを、世に取違(とりちが)へる人あり。夫(そ)れ人々皆長ずる所あり、短なる所あるは各々(おのおの)免れ難きなり、されば其人の長ずる所を友として、短なる所を友とする事勿れの意と心得べし。譬(たと)へば其人の短なる事をば捨て、其人の長所を友とするなり。多くの人には短才の人にも手書(てが)きあるべし、世事には疎(うと)きも学者あるべし、無学にも世事に賢(かしこ)きあるべし、無筆には農事に精(くわ)しき有るべし、皆其長所を友として短所を友とする事勿れの意なり。
-
二宮翁夜話・巻之三翁(おきな)曰(いわ)く、君子は、食(しょく)飽(あ)かん事を求むる事なく、居(きょ)安(やす)からん事を求むる事なし。仕事は骨(ほね)を折り、無益(むえき)の言(げん)は云はず、其(そ)の上に有道(ゆうどう)に就(つ)いて正す。余程(よほど)誉(ほ)むるならんと思ひしに、学(がく)を好むと云ふべきのみとあり。聖人の学は厳(げん)なる物なり。今日(こんにち)の上にいはば、酒は呑(の)まず仕事は稼(かせ)ぎ、無益の事は為(な)さず、是(これ)通常の人なり、と云へるが如し。
-
二宮翁夜話・巻之二或人(あるひと)論語曾点(そうてん)の章を問ふ、翁曰(いわ)く、此の章は左程(さほど)に六(むつ)ヶ敷(しき)訳(わ)けにはあるまじ、三子(さんし)の志余り理屈に過ぎたれば、我は点に組(くみ)せんと、一転したるのみなるべし、三子同じく皆、舞雩(ぶう)に風して詠じて帰らん、と云はば、孔子又一転して、用を節にして人を愛し、民を使ふに時を以てす、とか、言忠信行篤敬(げんちゅうしんこうとっけい)などと云ふなるべし、別に深意あるにはあらず、則(すなわ)ち前言は是に戯(たわむ)るるのみの類なるべし。
-
二宮翁夜話・巻之三翁(おきな)曰(いわ)く、才智(さいち)勝(すぐ)れたる者は、大凡(おおよそ)道徳に遠き物なり。文学あれば申韓(しんかん)を唱(とな)へ、文学なければ三国志太閤記(たいこうき)を引く。論語中庸(ちゅうよう)などには一言も及ばざる物なり。如何(いか)となれば、道徳の本理(ほんり)は才智にては解(げ)せぬものなればなるべし。此の流の人は必ず行ひ安(やす)き中庸を難(かた)しと為(す)る物なり。中庸に、賢者は之に過(す)ぐ、とあり、うべなり。凡(およ)そ世人は、太閤記三国志等の俗書(ぞくしょ)を好(この)めども、甚(はなは)だ宜(よろ)しからず。さらでだに争気(そうき)盛(さか)んに、偽心(ぎしん)萌(きざ)し初(そ)むる若輩(じゃくはい)の者に、かかる書を読ましむるは悪(あ)し。世人太閤記三国志等を能く読めば、怜利(れいり)になるなどと云ふは誤(あやま)りなり。心すべし。
-
二宮翁夜話・巻之三翁(おきな)曰(いわ)く、哀公(あいこう)問ふ、年饑(う)ゑて用足らず是(これ)を如何(いかん)、有若(ゆうじゃく)答(こた)へて曰く、何ぞ徹(てっ)せざるやと。是(これ)面白(おもしろ)き道理なり。予(よ)常に人を諭(さと)す、一日十銭取て足らずんば、九銭取るべし、九銭取て足らずんば、八銭取るべしと。夫(そ)れ人の身代(しんだい)は、多く取れば益々(ますます)不足を生じ、少(すく)く取りても、不足なき物なり。是(これ)理外(りがい)の理なり。
-
二宮翁夜話・巻之五或(あるひと)問(と)ひて曰(いわ)く、三年父の道を改(あらた)めざるを孝と為す、とあり、然(しか)りといへ共(ども)、父道(ふどう)不善ならば、改めずばあるべからず、翁(おきな)曰く、父の道誠(まこと)に不善ならば、生前能(よ)く諫(いさ)め又他に依頼(いらい)しても、改むべし、生前諫めて改るまでに及ばざるは、不善と云ふといへ共、不善と云ふ程の事にはあらざる、明(あきら)かなり、然るを、没(ぼっ)するを待ちて改るは、不孝にあらずして何ぞ、没後(もつご)速(すみやか)に改めんとならば、何ぞ生前諫(いさ)めて改めざる、生前諫めず改る事もせず、何ぞ没するを待ちて改るの理あらんや。