二宮翁夜話 / 続篇
翁曰、因果の理を此柿の木の上にて説かんに、柿の実を見よ、人の食となるか、鳥の食となるか、落て腐るか、未だ其将来は知れざる以前、枝葉の陰にある時の精力の運びに因り熟するに及んで、市に出し売らるゝ時三厘になり五厘になり、一銭になるあり。其始は同じ柿にして、熟するに随て此の如く区々に価直の異なるは、是皆過去枝にある時の精力の運び方の因縁に依るなり。天地間の万物皆同じ、隠微の中に生育して、而して人に得られて、其徳をあらはすなり。人又此の如し、親の手元にある時、身を修めて諸芸を学び、能く勤めたる其徳に依て一生の業は立つなり。凡人少壮の時能く学べばよかつたと後悔心の出るは、柿の市に出て後に、今少し精気を運んで、太く甘くなればよかつたと思ふに同じ、後悔先に立たぬなり。古人前に悔めと教へたるあり、若輩者能く思ふべし。故に修行は入るか入らぬか、用に立つか、用にたゝぬか知れぬ前に、能く学びおくべし、然せざれば用に立たぬものなり。柿も枝葉の間にある時太くならざれば、市に出でゝ仕方なきに同じ、此れ則ち因果の道理なり。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、因果の理(ことわり)を此柿(このかき)の木の上にて説かんに、柿の実を見よ、人の食(じき)となるか、鳥の食となるか、落ちて腐るか、未だ其将来は知れざる以前、枝葉の陰にある時の精力の運びに因り熟するに及んで、市に出し売らるゝ時三厘(さんりん)になり五厘になり、一銭になるあり。其始は同じ柿にして、熟するに随(したが)ひて此の如く区々(まちまち)に価直(かじき)の異なるは、是皆過去枝にある時の精力の運び方の因縁に依るなり。天地間の万物皆同じ、隠微(いんび)の中に生育して、而(しか)して人に得られて、其徳をあらはすなり。人又此の如し、親の手元にある時、身を修めて諸芸を学び、能く勤めたる其徳に依りて一生の業(ぎょう)は立つなり。凡人少壮(しょうそう)の時能く学べばよかつたと後悔心の出るは、柿の市に出て後に、今少し精気を運んで、太く甘くなればよかつたと思ふに同じ、後悔先に立たぬなり。古人前に悔(く)いよと教へたるあり、若輩者能く思ふべし。故に修行は入るか入らぬか、用に立つか、用にたゝぬか知れぬ前に、能く学びおくべし、然せざれば用に立たぬものなり。柿も枝葉の間にある時太くならざれば、市に出でゝ仕方なきに同じ、此れ則(すなわ)ち因果の道理なり。
現代語訳
翁が言われた。因果の道理をこの柿の木で説いてみよう。柿の実を見よ。人の食べ物になるか、鳥の餌になるか、落ちて腐るか、まだその将来が分からないうち――枝葉の陰にあるときの精力の巡り方によって、熟したときの値打ちが決まる。市に出して売られるとき、三厘になるもの、五厘になるもの、一銭になるものがある。初めは同じ柿なのに、熟すにつれてこのようにまちまちに値段が異なるのは、みな枝にあったときの精力の巡らせ方の因縁によるのだ。天地の間の万物はみな同じで、目立たぬところで生育し、やがて人に得られてその徳を現す。人もまた同じだ。親の手元にあるときに身を修め、いろいろな技芸を学び、よく努めた、その徳によって一生の仕事が立つのである。凡人が、若いときによく学んでおけばよかったと後悔の念が起こるのは、柿が市に出てから、もう少し精気を巡らせて太く甘くなればよかったと思うのと同じで、後悔は先に立たない。昔の人も「事の前に悔いよ(先に慎め)」と教えている。若い者はよくよく考えるがよい。だから、修行は役に立つか立たないか分からないうちに、よく学んでおくべきだ。そうしなければ、いざというとき役に立たないものだ。柿も枝葉の間にあるうちに太くならなければ、市に出てからどうにもならないのと同じだ。これがすなわち因果の道理である。
解説
この章句が説くこと
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説苑・說叢夫れ水は山に出でて海に入り、稼は田に生じて廩に藏す。聖人は生ずる所を見れば則ち歸する所を知る。
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