二宮翁夜話 / 巻之五
翁曰、予飢饉救済の為、野常相駿豆の諸村を巡行して、見聞せしに、凶歳といへども、平日出精人の田畑は、実法り相応にありて、飢渇に及ぶに到らず、予が歌に「丹精は誰しらねどもおのづから秋の実法のまさる数々」といへるが如し、論語に、苟に仁に志さば悪なし、と云り、至理なり、此道理を押すに苟に農業に志せば、凶歳なしと言て可なる物なり、されば苟に商法に志せば、不景気なしと云て可ならん、汝等能勤めよ。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、予(よ)飢饉救済の為、野常相駿豆(やじょうそうすんず)の諸村を巡行して、見聞せしに、凶歳といへども、平日出精人(しゅっせいにん)の田畑は、実法(みの)り相応にありて、飢渇(きかつ)に及ぶに到らず、予が歌に「丹精は誰(たれ)しらねどもおのづから秋の実法(みの)りのまさる数々」といへるが如し、論語に、苟(まこと)に仁に志さば悪なし、と云へり、至理(しり)なり、此の道理を押すに苟に農業に志せば、凶歳なしと言ひて可なる物なり、されば苟に商法に志せば、不景気なしと云ひて可ならん、汝等(なんじら)能(よ)く勤めよ。
現代語訳
翁が言われた。私は飢饉救済のため、下野・常陸・相模・駿河・伊豆の諸村を巡って見聞したところ、凶年といっても、日ごろ精を出す人の田畑は相応に実っていて、飢えや渇きに及ぶことはなかった。私の歌に「丹精は誰も知らないけれど、おのずから秋の実りは他に勝るものだ」と詠んだとおりである。論語に「まことに仁を志せば悪はない」とある。至極の道理だ。この道理を推し進めれば、まことに農業を志せば凶年はない、と言ってよい。ならば、まことに商いを志せば不景気はない、と言ってよかろう。おまえたち、よく務めよ。
解説
凶年でも精を出す者の田畑はちゃんと実る、という尊徳の実地の観察を伝える一条です。「丹精は誰も知らないが、秋の実りは自然と勝る」という自作の歌に、日ごろの地道な努力は必ず実りとなって返るという確信が込められています。論語の「まことに仁を志せば悪はない」を引き、農業も商いも本気で志せば凶年も不景気もない、と説く論法には、報徳思想の核である「勤労」への揺るぎない信頼があります。環境や運のせいにせず、まず自らの働きを尽くすことを求めるこの教えは、景気や状況を言い訳にしがちな現代のビジネスにも、地道な努力の積み重ねこそが確かな成果を生むという普遍の真理を伝えています。
この章句が説くこと
二宮翁夜話報徳勤労丹精積小為大努力の実り