二宮翁夜話 / 続篇
翁曰、商業の繁栄し、大家となるは高利を貪らず、安価に売るを以てなり。其高利を貪らざるが為に、国中の買人集り来るは当然の事なれど、売る物も又之に集るは妙と云ふべし。買ふと売るとの間に立て、高く買て安く売るは、行はるべからず、然らば安く売るは買ひ方も安かるべし、安く買ふ所に売る者の集るは、実に妙なり、是皆双方に高利を貪らざるの致す所なり。高利を貪らざるのみにて、買ふ者も売る者も共に集りて、次第に富を致す、是又妙なり。商家にして高利を貪らざるすら此の如し、然るを況んや我方法は、無利足なり、尊ばざるべけんや。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、商業の繁栄し、大家(たいか)となるは高利を貪(むさぼ)らず、安価(あんか)に売るを以てなり。其高利を貪らざるが為に、国中の買人(かいにん)集り来るは当然の事なれど、売る物も又之に集るは妙と云ふべし。買ふと売るとの間に立ちて、高く買ひて安く売るは、行はるべからず、然らば安く売るは買ひ方も安かるべし、安く買ふ所に売る者の集るは、実に妙なり、是皆双方に高利を貪らざるの致す所なり。高利を貪らざるのみにて、買ふ者も売る者も共に集りて、次第に富を致す、是又妙なり。商家にして高利を貪らざるすら此の如し、然るを況(いわ)んや我方法は、無利足(むりそく)なり、尊ばざるべけんや。
現代語訳
翁が言われた。商売が繁盛して大店(おおだな)になるのは、暴利を貪らず、安く売るからである。暴利を貪らないから国中の買い手が集まってくるのは当然だが、売り手(仕入れの品)もまた集まってくるのは実に不思議なことだ。買いと売りの間に立って、高く仕入れて安く売ることはできない。だとすれば、安く売るには仕入れも安くなければならない。安く仕入れられる所に売り手が集まってくるのは、まことに妙なことだ。これはみな、双方が暴利を貪らないことのもたらす結果である。暴利を貪らないというだけで、買い手も売り手もともに集まり、しだいに富を成す。これもまた妙である。商家でさえ暴利を貪らぬだけでこうなるのだ。まして私の方法(報徳の仕法)は無利息である。どうして尊ばずにいられようか。
解説
商売繁盛の秘訣を「高利を貪らず安く売る」ことに見た一条です。暴利を捨てれば買い手も売り手も集まり、自然に富を成す――尊徳はこの循環を「妙」と称え、そのうえで自らの報徳仕法が無利息であることの尊さを説きます。これは報徳の「推譲」(利を独占せず他に譲り分かつ)の精神そのものです。目先の利益を追わず、双方が得をする関係を築くことが、結果として長く続く繁栄を生む。現代のビジネスでも、短期の利ざやを追うより、顧客と取引先の双方に誠実であることが信頼を呼び、持続的な発展につながることを教えてくれます。
この章句が説くこと
二宮翁夜話報徳推譲商業高利を貪らず無利息
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二宮翁夜話・巻之二翁曰く、夫(それ)入るは出(いで)たる物の帰るなり、来るは押し譲(ゆず)りたる物の入り来るなり。譬(たと)へば、農人田畑の為に尽力し、人糞(こやし)を掛け干鰯(ほしか)を用ひ、作物の為に力を尽せば、秋に至りて実法(みの)りを得る事、必ず多き勿論なり。然るを菜を蒔(まき)て、出るとは芽をつみ、枝が出れば枝を切り、穂を出せば穂をつみ、実がなれば実を取る、此の如くなれば、決して収獲(しゅうかく)なし。商法も又同じ。己が利欲のみを専(もっぱら)として買人の為を思はず、猥(みだ)りに貪(むさぼ)らば、其店の衰微(すいび)、眼前なるべし。古語に、人心は惟(これ)危(あや)うし道心惟(これ)微(かす)かなり、惟(これ)精惟(これ)一、允(まこと)に其中を執(と)れ、四海困窮せば天禄永く終らん、とあり。是舜(しゅん)禹(う)天下を授受(じゅじゅ)するの心法なり。上として下に取る事多く、下困窮すれば、上の天禄も永く終るとあり。終るにはあらず、天より賜(たまわ)りたるを、天に取上げらるゝなり。其理又明白なり。誠に金言(きんげん)といふべし。然(しか)りといへども、儒者(じゅしゃ)の如く講じては、今日の用、何の用にもたゝぬ故、今汝等(なんじら)が為に、分り安く読みて聞かせん。支那(から)の咄(はな)しと思ひて、迂闊(うかつ)に聞かず、能く肝(きも)に銘(めい)ぜよ。人心惟危うし道心惟微かなりとは、身勝手にする事は危き物ぞ、他の為にする事は、いやになる物ぞと云ふ事なり。惟精惟一允に其中を執れとは、能く精力を尽し、一心堅固に二百石の者は、百石にて暮し、百石の者は、五十石にて暮し、其半分を推譲(おしゆず)りて、一村の衰(おとろ)へざる様、一村の益々(ますます)富(と)み益々栄(さか)える様に勉強せよ、と云ふ事なり。四海困窮せば、天禄永く終らんとは、一村困窮する時は、田畑を何程持ち居るとも、決して作徳は取れぬ様になる物ぞ、と云ふ事と心得べし。帝王の咄(はな)しなればこそ、四海と云ひ、天禄と云ふなれ。汝等が為には、四海を一村と読み、天禄は作徳と読むべし。能々(よくよく)肝銘せよ。
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