二宮翁夜話 / 続篇
翁曰、我道は譲道を貴とぶ、譲道は富貴を永遠に保持するの道にして、富貴の者怠るべからざるの道なり、されば我道は富貴を永遠に維持するの道なりと云も不可なかるべし、されば富貴者たる者は、必我道に入りて誠心相勤め、永遠に富貴を祈るべし。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、我道は譲道(じょうどう)を貴(たっと)ぶ、譲道は富貴(ふうき)を永遠に保持するの道にして、富貴の者怠るべからざるの道なり、されば我道は富貴を永遠に維持するの道なりと云ふも不可なかるべし、されば富貴者たる者は、必(かならず)我道に入りて誠心(せいしん)相勤め、永遠に富貴を祈るべし。
現代語訳
翁が言われた。私の道は譲る道を貴ぶ。譲道は富貴を永遠に保つ道であり、富貴の者が怠ってはならない道である。だから、私の道は富貴を永遠に維持する道だと言っても差し支えないだろう。したがって富貴の者は、必ず私の道に入って誠心を込めて努め、永遠の富貴を祈るべきである。
解説
推譲こそが富貴を末永く保つ道だと説いた、簡潔で力強い一条です。財を独り占めして贅沢に使えばやがて富は失われるが、余剰を人や社会に譲り還元すれば、信頼と徳が積み重なって富貴が永続する――尊徳はこの逆説を「譲道は富貴を永遠に保持する道」と言い切ります。富める者ほど怠ってはならず、誠心を込めて報徳の道を実践せよと勧めます。ここには、譲ることが結局は自らを豊かにするという推譲の深い知恵があります。現代でも、富や成功を独占するのではなく分かち合う者こそ、長く繁栄を保てるという教訓として読むことができます。
この章句が説くこと
二宮翁夜話報徳推譲譲道富貴の維持誠心
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二宮翁夜話・巻之一翁(おきな)曰(いわ)く、農にても商にても、富家(ふか)の子弟は、業(ぎょう)として勤むべき事なし、貧家の者は活計(かっけい)の為に、勤めざるを得ず、且(かつ)富を願(ねが)ふが故に、自ら勉強す、富家の子弟は、譬(たと)へば山の絶頂に居るが如く、登るべき処なく、前後左右皆(みな)眼下なり、是に依(よ)りて分外(ぶんがい)の願を起し、士の真似をし、大名の真似をし、増長に増長して、終(つい)に滅亡す、天下の富者皆然(しか)り、爰(ここ)に長く富貴を維持し、富貴を保つべきは、只(ただ)我道(わがみち)推譲の教(おしえ)あるのみ、富家の子弟、此推譲の道を蹈(ふ)まざれば、千百万の金ありといへども、馬糞茸(ばふんたけ)と何ぞ異(ことな)らん、夫(それ)馬糞茸は季候に依りて生じ、幾程(いくほど)もなく腐廃し、世上の用にならず、只徒(いたず)らに生じて、徒らに滅するのみ、世に富家と呼ばるゝ者にして、如斯(かくのごとく)なる、豈(あに)惜しき事ならずや。
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二宮翁夜話・巻之三或(あるひと)問ふ、推譲(すいじょう)の論未だ了解する事能はず。一石の身代の者五斗(ごと)にて暮し五斗を譲り、十石の者五石にて暮し五石を譲るは行ひ難かるべし、如何。翁曰く、夫れ譲は人道なり。今日の物を明日に譲り、今年の物を来年に譲るの道を勤めざるは、人にして人にあらず。十銭取て十銭遣ひ、廿銭(にじっせん)取て廿銭遣ひ、宵越(よいご)しの銭を持ぬと云ふは、鳥獣(とりけもの)の道にして人道にあらず。鳥獣には今日の物を明日に譲り今年の物を来年に譲るの道なし。人は然らず、今日の物を明日に譲り今年の物を来年に譲り、其上子孫に譲り他に譲るの道あり。雇人(やといにん)と成て給金を取り、其半を遣ひ其半を向来(きょうらい)の為に譲り、或は田畑を買ひ家を立て蔵を立るは、子孫へ譲るなり。是れ世間知らず知らず人々行ふ処、則ち譲道なり。されば一石の者五斗譲るも出来難き事にはあらざるべし。如何となれば我為(わがため)の譲なればなり。此譲は教なくして出来安(できやす)し。是より上の譲は教に依らざれば出来難し。是より上の譲とは何ぞ、親戚朋友の為に譲るなり、郷里の為に譲るなり、猶出来難きは国家の為に譲るなり。此譲も到底(とうてい)我が富貴を維持せんが為なれども、眼前他に譲るが故に難きなり。家産ある者は勤めて家法を定めて推譲を行ふべし。或問ふ、夫れ譲は富者の道なり。千石の村戸数百戸あり、一戸十石なり、是れ貧にあらず富にあらざるの家なれば、譲らざるも其分なり。十一石となれば富者の分に入るが故に、十石五斗を分度と定め五斗を譲り、廿石の者は同じく五石を譲り、三十石の者は十石を譲る事と定めば如何。翁曰く、可なり。されど譲りの道は人道なり、人と生るゝ者譲りの道なくば有べからざるは論を待たずといへ共、人に寄り家に寄り、老幼多きあり病人あるあり厄介あるあれば、毎戸法を立て厳に行へと云ふといへ共、行るゝ者にあらず。只富有者に能く教へ有志者に能く勧めて行はしむべし。而て此道を勤る者は富貴(ふうき)栄誉(えいよ)之に帰し、此道を勤ざる者は富貴栄誉皆之を去る。少く行へば少く帰し、大に行へば大に帰す。予が言ふ処必ず違(たが)はじ。世の富有者に能く教へ度(た)きは此譲道なり。独り富者のみにあらず、又金穀(きんこく)のみにあらず、道も譲らずばあるべからず、畔(あぜ)も譲らずばあるべからず、言も譲らずばあるべからず、功も譲らずばあるべからず。二三子(にさんし)能く勤めよ。
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二宮翁夜話・巻之一翁(おきな)曰(いわ)く、多く稼いで、銭を少く遣(つか)ひ、多く薪(たきぎ)を取(とっ)て焚く事は少くする、是(これ)を富国の大本(たいほん)、富国の達道(たつどう)といふ、然(しか)るを世の人是を吝嗇(りんしょく)といひ、又(また)強欲と云(いう)、是心得違ひなり、夫(それ)人道は自然に反して、勤めて立つ処の道なれば貯蓄を尊(たっと)ぶが故なり、夫貯蓄は今年の物を来年に譲る、一つの譲道(じょうどう)なり、親の身代(しんだい)を子に譲るも、則(すなわち)貯蓄の法に基(もと)する物なり、人道は言ひもてゆけば貯蓄の一法のみ、故に是を富国の大本、富国の達道と云(いう)なり。
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二宮翁夜話・続篇翁(おきな)曰(いわ)く、我道(わがみち)は勤倹譲(きんけんじょう)の三つにあり。勤とは衣食住になるべき物品を勤めて産出するにあり、倹とは産出したる物品を費(つい)さゞるを云ふ、譲は此三つを他に及ぼすを云ふ。扨(さて)譲は種々あり、今年の物を来年の為に貯(たくわ)ふるも則ち譲なり、夫(それ)より子孫に譲ると、親戚朋友(しんせきほうゆう)に譲ると、郷里に譲ると、国家に譲るなり。其身其身の分限(ぶんげん)に依(よ)りて勤め行ふべし、たとひ一季半季(いっきはんき)の雇人(やといにん)といへども、今年の物を来年に譲ると、子孫に譲るとの譲りは、必ず勤むべし。此三つは鼎足(ていそく)の如し、一をも欠くべからず、必ず兼(か)ね行ふべし。