二宮翁夜話 / 巻之四
翁曰、方今の憂は村里の困窮にして、人気の悪敷なり、此人気を直さんとするには、困窮を救はざれば免るる事能はず、之を救ふに財を施与する時は、財力及ばざる物なり、故に無利足金貸附の法を立たり、此法は実に恵で費えざるの道也、此法に一年の酬謝金を附するの法をも設けたり、是は恵で費えざる上に又欲して貪らざるの法也、実に貸借両全の道と云べし。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、方今(ほうこん)の憂(うれ)ひは村里の困窮にして、人気(じんき)の悪敷(あしき)なり。此(こ)の人気を直さんとするには、困窮を救はざれば免(まぬか)るる事能(あた)はず。之(これ)を救ふに財を施与(せよ)する時は、財力及ばざる物なり。故に無利足(むりそく)金貸附(かしつけ)の法を立てたり。此の法は実に恵(めぐ)んで費(つい)えざるの道なり。此の法に一年の酬謝(しゅうしゃ)金を附するの法をも設けたり。是(これ)は恵んで費えざる上に又欲して貪(むさぼ)らざるの法なり。実に貸借両全(りょうぜん)の道と云ふべし。
現代語訳
翁が言われた。今の世の憂いは、村里の困窮と、それによる人心の荒廃である。この人心を立て直すには、まず困窮を救わなければどうにもならない。しかし施しで救おうとすれば、財力が足りず続かない。だから無利子で金を貸し付ける方法を立てた。これは実に、恵みを施しながら自分の元手を減らさずに済む道である。さらにこの方法に、一年ごとにわずかな謝礼金を添える仕組みも設けた。これは恵みを施して元手を減らさない上に、欲を出して貪ることもない方法である。まことに貸す側・借りる側の双方が全うされる道と言うべきだ。
解説
尊徳が困窮する農村の再建に用いた「無利子貸付」の仕組みを、自らの言葉で説いた一条です。単なる施しは尊い一方で財が尽きて続かない――尊徳はその限界を見抜き、無利子で貸し付けて元手を減らさず、返済に少額の謝礼を添えてもらう方法を編み出します。これにより貸す側も借りる側も共に立ちゆく「貸借両全」の道が成り立ちます。恵みつつ費えさせず、益を得つつ貪らない――ここには報徳の「推譲」と「分度」の思想が、具体的な金融の仕組みとして結実しています。持続可能な相互扶助のモデルとして、現代のマイクロファイナンスや社会的金融にも通じる先駆的な発想を示す一節です。
この章句が説くこと
二宮翁夜話報徳無利子貸付貸借両全推譲分度
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二宮翁夜話・続篇翁(おきな)曰(いわ)く、身体一所(ひとところ)悩む所あれば、惣身(そうしん)之が為に悩むは人の知る所なり。脳なり胃なり肺なり皆同じ、甚(はなは)だしき時は死に至る、これ一体なるが故なり。国家も亦(また)同じ、一家負債あれば是が為に悩み、国凶作なれば之が為に悩む、皆人の知る所なり。故に身も家も国も悩む所無からんことを欲するを衛生(えいせい)といひ、勤倹(きんけん)といふ。又泰平(たいへい)を祈るといふ。而(しか)して家に負債多ければ、人身に及んで神経を悩ますに至るも皆人の知る所なり。方今(ほうこん)の世の中、驕奢(きょうしゃ)行はるゝが為にこの悩み多し、此悩み甚だしければ家を失ひ身を失ふに至る、愍然(びんぜん)の至りなり、之を自業自得(じごうじとく)といへば夫(それ)までなれど、自業自得は戸主に在りて、老幼婦女(ろうようふじょ)は相伴(しょうばん)をするなり、いたましからずや。之を救ふの道を考ふるに、予が立てたる報徳金貸付(かしつけ)の道を第一とす。如何(いか)となれば此報徳金の貸付は、日輪(にちりん)の神徳と同じければなり、此功徳の広大なる事は、予が数年心を尽して考へ、数年自(みづか)ら取扱ひて経験したる法なればなり、天地の万物を生育し給ひて、恵まざる所なき、天地の徳に法(のっと)りたる法なればなり。
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二宮翁夜話・巻之五翁(おきな)曰(いわ)く、予(よ)此の時駿州御厨(みくりや)郷、飢民の撫育(ぶいく)を扱(あつか)ふ、既に米金尽き術計(じゅっけい)なし、仍(よっ)て郷中に諭(さと)して曰く、昨年の不熟(ふじゅく)六十年に稀(まれ)なり、然(しか)りといへども、平年農業を出精して米麦を余し、心掛宜敷(よろしき)ものは差閊(さしつかえ)有るまじ、今飢(う)ゑる者は平年惰農(だのう)にして、米麦を取る事少く、遊楽を好み博奕(ばくえき)を好み飲酒に耽(ふけ)り、放蕩(ほうとう)無頼(ぶらい)心掛宜しからざる者なれば、飢ゑるは天罰と云ひて可なり、然らば救はず共可なるが如しといへ共、乞食(こじき)となるものを見よ、無頼悪行、是より甚しく、終(つい)に処を離れて、乞食する者なれば、悪(にく)むべきの極なり、されども、是をさへ憐(あわ)れんで、或は一銭を施し、或は一握(にぎり)の米麦を施すは、世間の通法なり、今日の飢民は、是と異(こと)なり、元一村同所に生れ同水をのみ同風に吹かれ、吉凶葬祭相共に、助け来れる因縁(いんねん)浅からねば、何ぞ見捨てて救はざるの理あらんや、今予飢民の為に、無利足(むりそく)十ケ年賦の金を貸与へて是を救はんとす、然りといへども飢ゑに望む程のものは、困究(こんきゅう)甚しければ、返納は必ず出来ざるべし、仍て来年より、差支なく救を受けざる者といへども、日々乞食に施すと思ひ、銭十文又廿(にじゅう)文を出すべし、其の以下中下のものは、銭七文又五文を出すべし、来年豊年ならば、天下豊かならん、御厨郷のみ、乞食に施さゞるも、国中の乞食、飢ゑる事あらじ、乞食に施す米銭を以て、彼が返納を補(おぎな)はゞ、自(みずか)ら損せずして、飢民を救ふべし、是(これ)両全(りょうぜん)の道にあらずや、と諭せしに郡中の者一同、感戴(かんたい)して承諾せり、仍て役所より、無利子金を十ケ年賦に貸渡して、大に救助する事を得たり、是上に一銭の損なくして、下に一人の飢民なく、安穏(あんのん)に飢饉を免(まぬが)れたり、此の時小田原領のみにして、救助せし人員を、村々より書上げたる処、四万三百九十余人なりき。
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二宮翁夜話・巻之二翁曰(いわ)く、仏書に、光明遍照(こうみょうへんじょう)十方世界、念仏衆生(ねんぶつしゅじょう)摂取(せっしゅ)不捨(ふしゃ)といへり、光明とは太陽の光を云ふ、十方とは東西南北乾(いぬい)坤(ひつじさる)巽(たつみ)艮(うしとら)の八方に、天地を加へて十方と云ふ也、念仏衆生とは、此の太陽の徳を念じ慕(した)ふ、一切の生物を云ふ、夫(そ)れ天地間に生育する物、有情蠢動(うじょうしゅんどう)の物は勿論、無情の草木と雖(いえど)も、皆太陽の徳を慕ひて、生々を念とす、此の念ある物を仏国故に念仏衆生と云ふ也、神国にては念神衆生と読むべし、故に此の念ある者は洩(もら)さず、生育を遂(と)げさせて捨て玉(たま)はずと云ふ事にて、太陽の大徳を述べし物也、則(すなわ)ち我が天照大神の事也、此の如く太陽の徳は、広大なりといへども、芽を出さんとする念慮、育(そだ)たんとする気力なき物は仕方なし、芽を出さんとする念慮、育たんとする生気ある物なれば、皆是を芽だたせ、育たせ給ふ、是れ太陽の大徳なり、夫れ我が無利足金貸附の法は、此の太陽の徳に象(かたど)りて、立ちたるなり、故に如何なる大借といへ共、人情を失はず利足を滞(とどこお)りなく済(すま)し居る者、又是非とも皆済して他に損失を掛(か)けじ、と云ふ念慮ある者は、譬(たと)へば、芽を出したい、育ちたいと云ふ生気ある草木に同じければ、此の無利子金を貸して引立つべし、無利子の金といへども、人情なく利子も済さず、元金をも蹈倒(ふみたお)さんとする者は、既に生気なき草木に同じ、所謂(いわゆる)縁無き衆生なり、之を如何ともすべからず、捨置くの外に道なきなり。
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