二宮翁夜話 / 続篇
門人某平日悟道論を喜んで、大悟は小節に拘泥せずと云へり。翁曰、儒者は大行は細瑾を顧みずと云て放薄なり、仏者は大悟は小節に拘はらずと云て無頼なり。是道の罪人と云べし。何となれば徒らに此為にする事有て、云る古言を持出して、己大行もなく、大悟を夢にも見ずして忠言を防ぐの垣根となし、過を餝るの道具となして、人にほこりて大言を吐きて憚らざるは、大道の大罪人なり。汝等皷を鳴らして之をせめて可なりと云はんのみ。
新字:門人某平日悟道論を喜んで、大悟は小節に拘泥せずと云へり。翁曰、儒者は大行は細瑾を顧みずと云て放薄なり、仏者は大悟は小節に拘はらずと云て無頼なり。是道の罪人と云べし。何となれば徒らに此為にする事有て、云る古言を持出して、己大行もなく、大悟を夢にも見ずして忠言を防ぐの垣根となし、過を餝るの道具となして、人にほこりて大言を吐きて憚らざるは、大道の大罪人なり。汝等鼓を鳴らして之をせめて可なりと云はんのみ。
書き下し
門人某(もんじんぼう)、平日(へいじつ)悟道論(ごどうろん)を喜んで、大悟(たいご)は小節に拘泥(こうでい)せずと云へり。翁(おきな)曰(いわ)く、儒者は「大行は細瑾(さいきん)を顧みず」と云ひて放薄(ほうはく)なり、仏者は「大悟は小節に拘はらず」と云ひて無頼(ぶらい)なり。是(これ)道の罪人と云ふべし。何となれば徒(いたずら)に此(これ)為にする事有りて、云(いわゆ)る古言を持出して、己(おのれ)大行もなく、大悟を夢にも見ずして忠言を防ぐの垣根となし、過(あやまち)を餝(かざ)るの道具となして、人にほこりて大言を吐きて憚(はばか)らざるは、大道の大罪人なり。汝等(なんじら)皷(つづみ)を鳴らして之を攻めて可なりと云はんのみ。
現代語訳
門人のある者が、日ごろから悟りの論を好んで、「大きな悟りは小さな節目にこだわらないものだ」と言った。翁(二宮尊徳)が言われた。儒者は「大きな行いは小さな傷を気にしない」と言って放縦であり、仏者は「大きな悟りは小さな節目にこだわらない」と言って無頼である。これは道を害する罪人というべきだ。なぜなら、いたずらに自分の都合のために、いわゆる古人の言葉を持ち出して、自分には大きな行いもなく、大きな悟りを夢にも得ていないのに、それを忠告を防ぐ垣根とし、過ちを飾りたてる道具として、人に誇り大言を吐いてはばからない――これは大道の大罪人である。おまえたちは太鼓を打ち鳴らしてこれを責めてよいと言おう。
解説
この章句が説くこと
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