史記 / 孫子呉起列伝
太史公曰、世俗所稱師旅、皆道孫子十三篇、吳起兵法、世多有、故弗論、論其行事所施設者。語曰、能行之者未必能言、能言之者未必能行。孫子籌策龐涓明矣、然不能蚤救患於被刑。吳起說武侯以形勢不如德、然行之於楚、以刻暴少恩亡其軀。悲夫。
新字:太史公曰、世俗所稱師旅、皆道孫子十三篇、吳起兵法、世多有、故弗論、論其行事所施設者。語曰、能行之者未必能言、能言之者未必能行。孫子籌策龐涓明矣、然不能蚤救患於被刑。吳起説武侯以形勢不如徳、然行之於楚、以刻暴少恩亡其軀。悲夫。
書き下し
太史公曰く、「世俗の師旅を称するは、皆孫子の十三篇を道ひ、呉起の兵法、世に多く有り。故に論ぜず、其の行事の施設する所を論ず。語に曰く、『能く之を行ふ者は未だ必ずしも能く言はず、能く之を言ふ者は未だ必ずしも能く行はず』と。孫子、龐涓を籌策すること明らかなり、然れども蚤く患ひを被刑より救ふ能はず。呉起、武侯に説くに形勢の徳に如かざるを以てす、然れども之を楚に行ふに、刻暴少恩を以て其の軀を亡ふ。悲しいかな」と。
現代語訳
太史公(司馬遷)は言う。「世間で軍事を語る者は、みな孫子の兵法十三篇を口にし、呉起の兵法も世に多く出回っている。だからその書物の内容は論じず、彼らの実際の行動と施策について論じる。ことわざに『実行できる者が必ずしも語れるとは限らず、語れる者が必ずしも実行できるとは限らない』とある。孫臏は龐涓を謀略で見事に破ったが、その孫臏自身は、かつて(龐涓の罠で)足を斬られる災難を、事前に防ぐことができなかった。呉起は武侯に『国の安泰は地形より徳にある』と説いたが、その本人は楚での統治において、残酷で無情なやり方をしたために身を滅ぼした。なんとも痛ましいことだ」。
解説
「知っていること・語れること」と「自分自身で実践できること」の間にある、深い断絶を突いた司馬遷の結論です。孫臏は他人(龐涓)を謀略で破る知略を持ちながら、自分がその龐涓の罠にかかるのは防げなかった。呉起は「徳こそ国の要」と正論を説きながら、自分自身は無情なやり方で人望を失い滅んだ。二人とも、他者に向けては最高の知恵を発揮しながら、その知恵を自分自身に適用できなかったのです。これは人間の普遍的な盲点です。他人にはよく見える欠点や危険が、いざ自分のこととなると見えなくなる。優れた戦略家・アドバイザーほど、この落とし穴に注意が要ります。教訓は二つ。第一に、知識や理論を持つことと、それを自分の生き方・振る舞いに実装することは全く別の課題だということ。第二に、だからこそ人は、自分を客観視してくれる他者の目や、自らを律する仕組みを必要とする。語れることに満足せず、それを自分自身に対して実践できているかを問い続けよ――孫臏と呉起の悲劇は、その問いを私たちに突きつけます。