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二宮翁夜話 / 続篇

翁曰、若き者は、毎日能く勤めよ、是我が身に徳を積むなり。怠りなまけるを以て得と思ふは大なる誤なり。徳をつめば天より恵あること眼前なり。今雇人を以て譬へん、彼の男は能く働きて貞実なり、来年は我が家に頼むべしといひ、能く勤むれば聟に貰ふべしと云に至るものなり。是に反する者は、本年は取り極めたれば是非なし、来年は断るべしと云様になるは眼前の事なり。無智短才なりとも能く謹み、能く顧み、身に過無き様にすべし。過ちは則身の疵なり。古語に「身体髪膚之を父母に受く、敢て毀傷せざるは孝の始めなり」とあり。人過てば身の疵となる事を知らず、傷さへせざればよしと思ふは違へり。且過ちは身の疵なるのみならず、父母兄弟の顔をも汚すなり。慎まざるべけんや。

書き下し

翁(おきな)曰(いわ)く、若き者は、毎日能(よ)く勤めよ、是(これ)我が身に徳を積むなり。怠りなまけるを以て得と思ふは大なる誤なり。徳をつめば天より恵あること眼前なり。今雇人(やといにん)を以て譬(たと)へん、彼の男は能く働きて貞実(ていじつ)なり、来年は我が家に頼むべしといひ、能く勤むれば聟(むこ)に貰ふべしと云ふに至るものなり。是に反する者は、本年は取り極めたれば是非なし、来年は断るべしと云ふ様になるは眼前の事なり。無智短才(むちたんさい)なりとも能く謹み、能く顧み、身に過(あやまち)無き様にすべし。過ちは則(すなわ)ち身の疵(きず)なり。古語に「身体髪膚(しんたいはっぷ)之を父母に受く、敢(あえ)て毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり」とあり。人過てば身の疵となる事を知らず、傷さへせざればよしと思ふは違へり。且(かつ)過ちは身の疵なるのみならず、父母兄弟の顔をも汚すなり。慎まざるべけんや。

現代語訳

翁(二宮尊徳)が言われた。若い者は、毎日よく勤めよ。これは自分の身に徳を積むことである。怠けなまけることを得だと思うのは大きな誤りだ。徳を積めば天から恵みがあることは目の前の事実である。いま雇い人でたとえよう。あの男はよく働いて誠実だ、来年もうちで頼もう、と言われ、よく勤めれば婿に迎えようとまで言われるようになる。これに反する者は、今年は約束したから仕方ないが来年は断ろう、と言われるようになるのは目に見えている。知恵や才能が乏しくても、よく身を慎み、よく我が身を省みて、過ちのないようにすべきだ。過ちはすなわち身の傷である。古語に「身体髪膚はこれを父母から受けたもの、あえて傷つけないのが孝行の始めである」とある。人は過ちを犯すとそれが身の傷になることを知らず、体さえ傷つけなければよいと思うのは間違いだ。しかも過ちは自分の身の傷であるばかりでなく、父母兄弟の顔をも汚すのである。慎まないでいられようか。

解説

若者に日々の勤労と身の慎みを説いた一条です。毎日よく働くことは自分の身に徳を積むことであり、その徳は必ず天からの恵みとなって返る――尊徳は雇い人の身近な例を挙げてわかりやすく諭します。ここには勤労と積小為大の思想が息づいています。小さな勤めと慎みの積み重ねが信頼を築き、大きな幸いを招くのです。さらに『孝経』を引き、過ちは自分の傷であると同時に父母兄弟の顔を汚すものだと戒めます。徳を積むことは孝の実践でもあるのです。現代でも、才能の有無より日々の誠実な努力と身の慎みこそが人の信頼を育て、道を開くことを、この一条は教えてくれます。

この章句が説くこと

二宮翁夜話報徳勤労積小為大徳を積む身を慎む

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