二宮翁夜話 / 続篇
翁曰、世人家業と欲とを混じて其弁別を知らざるものあり、故に家業を出精するを欲深しと思ふなり、大なる誤と云ふべし。家業は出精せねばならぬ物なり、怠りては済まぬものなり。欲は夫とは違ひ、押へねばならぬものなり。夫人皆家の業あり、官吏の国家の為に尽力するは家業出精なり、教師の教育に勉強するも家業出精なり、僧侶の戒律を能く守るも家業出精なり、医師の病者に心力を尽すも家業出精なり、農工商皆同じ。能く心得て思ひ混ふべからず。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、世人(せじん)家業(かぎょう)と欲とを混じて其(そ)の弁別を知らざるものあり、故に家業を出精(しゅっせい)するを欲深しと思ふなり、大なる誤と云ふべし。家業は出精せねばならぬ物なり、怠りては済まぬものなり。欲は夫(それ)とは違ひ、押へねばならぬものなり。夫(そ)れ人皆家の業あり、官吏(かんり)の国家の為に尽力するは家業出精なり、教師の教育に勉強(べんきょう)するも家業出精なり、僧侶の戒律を能(よ)く守るも家業出精なり、医師の病者に心力を尽すも家業出精なり、農工商皆同じ。能く心得て思ひ混(まが)ふべからず。
現代語訳
翁(二宮尊徳)が言われた。世の人は家業(本業への精励)と欲とを混同して、その区別を知らない者がいる。だから家業に励むことを欲深いと思ってしまう。これは大きな誤りというべきだ。家業は精を出さねばならないものであり、怠ってはならないものである。欲はそれとは違い、抑えなければならないものだ。そもそも人には皆それぞれの家業がある。官吏が国家のために力を尽くすのは家業への精励であり、教師が教育に努めるのも家業への精励であり、僧侶が戒律をよく守るのも、医師が病人に心と力を尽くすのも家業への精励である。農・工・商もみな同じだ。よく心得て、両者を取り違えてはならない。
解説
本業に励むことと私欲とを混同してはならない、と説く一条です。尊徳は、家業への精励は励むべきもの、欲は抑えるべきものと明確に区別します。勤労は報徳思想の柱であり、官吏も教師も僧侶も医師も、農工商も、それぞれの職分を尽くすことこそが尊い務めなのだと説きます。ここで大切なのは、一生懸命働くことが決して「欲深さ」ではないという点です。私利私欲を満たすための働きと、職分を全うするための働きは、まったく質が異なります。現代でも、自分の仕事に真剣に打ち込むことを卑しむ必要はなく、むしろ職業を通じて社会に尽くす勤労の尊さを、この一条は教えてくれます。
この章句が説くこと
二宮翁夜話報徳勤労家業職分私欲を抑える
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