二宮翁夜話 / 巻之三
翁曰、財宝を産み出して、利を得るは農工なり。財宝を運転して、利を得るは商人なり。財宝を産み出し、運転する農工商の大道を、勤めずして而て、富有を願ふは、譬へば水門を閉ぢて、分水を争ふが如し。智者のする処にあらざるなり。然るに世間智者と呼ばるる者のする処を見るに、農工商を勤めずして、只小智猾才を振ひて、財宝を得んと欲する者多し。誤れりと云ふべし。迷へりと云ふべし。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、財宝(ざいほう)を産(う)み出して、利を得るは農工(のうこう)なり。財宝を運転(うんてん)して、利を得るは商人(しょうにん)なり。財宝を産み出し、運転する農工商(のうこうしょう)の大道(だいどう)を、勤めずして而(しか)て、富有(ふゆう)を願ふは、譬(たと)へば水門を閉(と)ぢて、分水(ぶんすい)を争(あらそ)ふが如し。智者(ちしゃ)のする処にあらざるなり。然(しか)るに世間智者と呼ばるる者のする処を見るに、農工商を勤めずして、只(ただ)小智(しょうち)猾才(かっさい)を振(ふる)ひて、財宝を得んと欲する者多し。誤(あやま)れりと云ふべし。迷(まよ)へりと云ふべし。
現代語訳
翁(二宮尊徳)が言われた。財宝を生み出して利を得るのは農民と職人である。財宝を流通させて利を得るのは商人である。財宝を生み出し流通させる農工商の大道に励まずに富を願うのは、たとえば水門を閉じて分け前の水を争うようなものだ。賢者のすることではない。ところが世間で賢者と呼ばれる者のやり方を見ると、農工商に励まず、ただ小才とずる賢さを振るって財宝を得ようとする者が多い。誤りだというべきだ。迷いだというべきである。
解説
富の源泉はどこにあるかを説いた、報徳の経済観を示す一条です。農・工が財を生み、商が流通させる――この生産と流通の大道こそが富を生み出す本流であり、それに励まず富を願うのは、水源の門を閉じて乏しい水を奪い合うようなものだと尊徳は喝破します。小才やずる賢さで儲けようとするのは賢さではなく迷いにすぎません。ここには、地道な勤労こそが価値を生むという報徳思想の根本があります。汗して働き実際に富を産み出す営みを尊び、投機や小手先の術策を退ける姿勢は、実体を伴わない利益追求が問題化する現代の経済にも鋭い示唆を与えます。まず本業に励め、という揺るぎない勤労の教えです。
この章句が説くこと
二宮翁夜話報徳勤労農工商富の源泉積小為大
関連する章句
-
二宮翁夜話・巻之三翁(おきな)曰(いわ)く、世の中、とかく増減(ぞうげん)の事に付(つ)き、さわがしき事多かれど、世上(せじょう)に云ふ増減と云ふ物は、譬(たと)へば水を入(いれ)たる器(うつわ)の、彼方(かなた)此方(こなた)に傾(かたむ)くが如し、彼方増せば此方(こなた)へり、此方増せば彼方(かなた)減るのみ、水に於(おい)ては増減ある事なし、彼方にて田地(でんち)を買て悦(よろこ)べば、此方に田地を売て歎(なげ)く者あり、只(ただ)、彼方此方の違(たが)ひあるのみ、本来増減なし、予(よ)が歌に「増減は器傾(かたむ)く水と見よ」と云へる通り也(なり)、夫(それ)我道(わがみち)の尊(たっと)む増殖(ぞうしょく)の道は夫(それ)と異(こと)なり、直(ただち)に天地の化育(かいく)を賛成(さんせい)するの大道にして、米五合(ごごう)にても、麦一升(いっしょう)にても、芋(いも)一株(ひとかぶ)にても、天(あま)つ神の積置(つみおか)せらるる無尽蔵(むじんぞう)より、鍬(くわ)鎌(かま)の鍵(かぎ)を以て此世上(このせじょう)に取出(とりいだ)す大道なり、是を真の増殖の道と云ふ、尊むべし務(つと)むべし、「天(あま)つ日の恵(めぐみ)積置(つみおく)無尽蔵鍬(くわ)でほり出せ鎌(かま)でかりとれ」
-
二宮翁夜話・巻之三翁(おきな)曰(いわ)く、貧(ひん)となり富(とみ)となる、偶然(ぐうぜん)にあらず、富も因(よ)て来る処あり、貧も因て来る処あり、人皆貨財(かざい)は富者(ふうしゃ)の処に集ると思へ共(ども)然(しか)らず、節倹(せっけん)なる処と勉強(べんきょう)する処に集るなり、百円の身代(しんだい)の者、百円にて暮す時は、富の来る事なく貧の来る事なし、百円の身代を八十円にて暮し、七十円にて暮す時は、富是(これ)に帰(き)し財是に集る、百円の身代を百廿円(ひゃくにじゅうえん)にて暮し、百三拾円にて暮す時は、貧是に来り財是を去る、只(ただ)分外(ぶんがい)に進むと、分内(ぶんない)に退くとの違ひのみ、或歌(あるうた)に「有といへば有とや人の思ふらむ呼(よ)ば答ふる山彦(やまびこ)の声」と云(いえ)る如し、夫(そ)れ今有る物は今に無くなり、今無きものは今にあり、譬(たと)へば今有し銭のなくなりしは、物を買へば也、今無き銭の今あるは、勤(つと)むればなり、繩(なわ)一房(ひとふさ)なへば五厘(ごりん)手に入り、一日働けば十銭(じっせん)手に入る也、今手に入る十銭も、酒を呑めば直(じき)になし、明白疑(うたが)ひなき世の中なり、中庸(ちゅうよう)に曰く、誠なれば則(すなわ)ち明なり、明なれば則ち誠なりと、繩一房なへば五厘となり、五厘遣(や)れば繩一房来る、晴天白日(せいてんはくじつ)の世の中なり
-
二宮翁夜話・巻之四翁曰く、凡(およ)そ物、根元たる者は、必(かなら)ず卑(いや)しき物なり、卑しとて、根元を軽視するは過(あやまり)なり、夫(それ)家屋の如き、土台(どだい)ありて後に、床(とこ)も書院もあるが如し、土台は家の元なり、是(これ)民は国の元なる証(あかし)なり、扨(さて)諸職業中、又農を以て元とす、如何(いか)となれば、自(みずか)ら作りて食い、自ら織(お)りて着るの道を勤(つと)むればなり、此の道は、一国悉(ことごと)く是をなして、差閊(さしつかえ)無きの事業なればなり、然(しか)る大本の業の賤(いや)しきは、根元たるが故なり、凡そ物を置くに、最初に置きし物、必ず下になり、後に置きたる物、必ず上になる道理にして、是則(すなわ)ち農民は、国の大本たるが故に賤しきなり、凡そ事天下一同に之を為して、閊(つかえ)なき業こそ大本なれ、夫官員の顕貴(けんき)なるも、全国皆官員とならば如何、必ず立つ可(べ)からず、兵士の貴重なるも、国民悉く兵士とならば、同じく立つ可からず、工は欠く可からざるの職業なりといえども、全国皆工ならば、必ず立つ可からず、商となるも又同じ、然るに農は、大本なるを以て、全国の人民皆農となるも、閊なく立ち行く可し、然れば農は万業の大本たる事、是に於て明了なり、此の理を究(きわ)めば、千古の惑(まど)い破(やぶ)れ、大本定まりて、末業自ら知るべきなり、故に天下一般是をなして、閊あるを末業とし、閊なきを本業とす、公明の論ならずや、然れば農は本なり、厚くせずば有る可からず、養わずば有る可からず、其の元を厚くし、其の本を養えば、其の末は自ら繁栄せん事疑いなし、扨枝葉とて猥(みだ)りに折る可からずと雖(いえど)も、其の本根衰(おとろ)うる時は、枝葉を伐(き)り捨てて根を肥(こや)すぞ、培養の法なる。
-
二宮翁夜話・巻之四翁(おきな)又(また)曰(いわ)く、杣(そま)が深山に入りて木を伐(き)るは、材木が好(す)きにて伐るにはあらず。炭焼(すみやき)が炭を焼くも、炭が好きにて焼くにはあらず。夫(それ)杣も炭やきも、其(そ)の職業(しょくぎょう)さへ勉強(べんきょう)すれば、白米も自然に山に登(のぼ)り、海の魚も里の野菜も、酒も油も皆自(おのづか)ら山に登るなり。奇々妙々(ききみょうみょう)の世の中といふべきなり。
-
二宮翁夜話・巻之一翁(おきな)曰(いわ)く、多く稼いで、銭を少く遣(つか)ひ、多く薪(たきぎ)を取(とっ)て焚く事は少くする、是(これ)を富国の大本(たいほん)、富国の達道(たつどう)といふ、然(しか)るを世の人是を吝嗇(りんしょく)といひ、又(また)強欲と云(いう)、是心得違ひなり、夫(それ)人道は自然に反して、勤めて立つ処の道なれば貯蓄を尊(たっと)ぶが故なり、夫貯蓄は今年の物を来年に譲る、一つの譲道(じょうどう)なり、親の身代(しんだい)を子に譲るも、則(すなわち)貯蓄の法に基(もと)する物なり、人道は言ひもてゆけば貯蓄の一法のみ、故に是を富国の大本、富国の達道と云(いう)なり。
-
二宮翁夜話・続篇翁(おきな)曰(いわ)く、世人(せじん)家業(かぎょう)と欲とを混じて其(そ)の弁別を知らざるものあり、故に家業を出精(しゅっせい)するを欲深しと思ふなり、大なる誤と云ふべし。家業は出精せねばならぬ物なり、怠りては済まぬものなり。欲は夫(それ)とは違ひ、押へねばならぬものなり。夫(そ)れ人皆家の業あり、官吏(かんり)の国家の為に尽力するは家業出精なり、教師の教育に勉強(べんきょう)するも家業出精なり、僧侶の戒律を能(よ)く守るも家業出精なり、医師の病者に心力を尽すも家業出精なり、農工商皆同じ。能く心得て思ひ混(まが)ふべからず。