二宮翁夜話 / 巻之四
翁又曰、杣が深山に入て木を伐るは、材木が好きにて伐るにはあらず、炭焼が炭を焼くも、炭が好きにて焼くにはあらず、夫杣も炭やきも、其職業さへ勉強すれば、白米も自然に山に登り、海の魚も里の野菜も、酒も油も皆自ら山に登るなり、奇々妙々の世の中といふべきなり。
書き下し
翁(おきな)又(また)曰(いわ)く、杣(そま)が深山に入りて木を伐(き)るは、材木が好(す)きにて伐るにはあらず。炭焼(すみやき)が炭を焼くも、炭が好きにて焼くにはあらず。夫(それ)杣も炭やきも、其(そ)の職業(しょくぎょう)さへ勉強(べんきょう)すれば、白米も自然に山に登(のぼ)り、海の魚も里の野菜も、酒も油も皆自(おのづか)ら山に登るなり。奇々妙々(ききみょうみょう)の世の中といふべきなり。
現代語訳
翁がまた言われた。木こりが深山に入って木を伐るのは、材木が好きで伐るのではない。炭焼きが炭を焼くのも、炭が好きで焼くのではない。そもそも木こりも炭焼きも、その仕事さえ精を出して励めば、白米も自然に山へ登ってくるし、海の魚も里の野菜も、酒も油も、みなおのずと山へ登ってくる。まことに不思議きわまる世の中というべきである。
解説
木こりや炭焼きが精を出して働けば、その稼ぎで米も魚も野菜も酒も油も、深山の暮らしに自然と集まってくる――分業と交換の仕組みを、素朴で味わい深い言葉で説いた一条です。ここには報徳思想の柱「勤労」への確かな信頼があります。自分の職分に懸命に励むこと自体が、めぐりめぐって必要なものすべてを引き寄せる。それを尊徳は「奇々妙々の世の中」と感嘆します。好き嫌いや損得で仕事を選ぶのではなく、目の前の職業を天から与えられた務めとして勉励する。その地道な労働こそが世の中を回し、暮らしを支えているという気づきは、あらゆる仕事に誇りと意味を与えてくれます。分業社会に生きる私たちにも通じる、勤労の尊さを説く教えです。
この章句が説くこと
二宮翁夜話報徳勤労職分分業と交換天職
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