二宮翁夜話 / 続篇
翁曰、大雨の時井水溢るれば、洪水ありと知るべし。洪水の時は天より降るのみにあらず、地よりも湧くかと思はるゝ様に、井の水溢るゝものなり。又川流に随て風吹く時は、大雨といへども洪水少し。川流に逆ひて風の吹上る時は、必ず洪水あり、知るべし。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、大雨の時井水(せいすい)溢(あふ)るれば、洪水ありと知るべし。洪水の時は天より降るのみにあらず、地よりも湧(わ)くかと思はるゝ様に、井の水溢るゝものなり。又川流に随(したが)ひて風吹く時は、大雨といへども洪水少し。川流に逆(さから)ひて風の吹上(ふきあ)ぐる時は、必ず洪水あり、知るべし。
現代語訳
翁(二宮尊徳)が言われた。大雨のとき井戸の水があふれれば、洪水があると知るべきだ。洪水のときは天から雨が降るだけでなく、地からも湧き出るかと思われるように、井戸の水があふれるものである。また、川の流れに沿って風が吹くときは、大雨であっても洪水は少ない。川の流れに逆らって風が吹き上げるときは、必ず洪水がある。よく知っておくべきだ。
解説
尊徳が長年の観察から得た、洪水を予知する自然の知恵を記した一条です。大雨のとき井戸の水があふれるのは地中の水位が上がった証拠で、洪水の前兆となる。また風が川の流れに沿えば水は流れやすく洪水は少ないが、流れに逆らって吹き上げれば水がせき止められ必ず洪水になる、と説きます。書物ではなく天地自然そのものを師とし、身近な兆候から先を読む――巻頭で「天地を経文とす」と説いた尊徳の実学の精神が、ここでも具体的に生きています。日頃から自然をよく観察し、わずかな異変から危機を予見して備える。防災の知恵としても、変化の兆しを早く読む姿勢としても、現代に通じる教えです。
この章句が説くこと
二宮翁夜話報徳自然観察天地を経文とす洪水予見
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