二宮翁夜話 / 巻之三
翁曰、天に暴風雨あり、是を防がんが為に、四壁に大木を植え、水勢の向ふ堤には、牛枠に蛇籠を設け、海岸に家あれば、乱杭に柵を掛く、是皆平日は無用の物なれども、暴風雨あらん時の為に、費用を惜まずして修理するなり、夫天地にのみ暴風雨あるにあらず、往年大磯駅、其他所々に起りし暴徒乱民は、則土地の暴風雨なり、此暴風雨は必其地の大家に強く当る事、大木に風の強く当るが如し、地方豪家と呼ばるゝ者、此暴徒の防ぎを為さゞるは危からずや、瀛洲問て曰、此予防の法方如何、翁曰、平日心掛けて米金を蓄へ、非常災害あらんとする時、是を施与するの外、道なし、敢て問、此予防に備ふる金員、其家の分限に依るといへ共、大凡何程位備へて相当なるべきや、翁曰、其家々に取りて第一等の親類一軒の交際費丈を、年々此予防の為と、別途にして米麦稗粟等を蓄へ置て、慈善の心を表さば必免るべし、然りといへ共、是はこれ暴徒の予防のみ、慈善に非ず、譬ば雨天の時、傘をさし蓑を着るに同じ、只ぬれざらんが為のみ
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、天に暴風雨(ぼうふうう)あり、是(これ)を防(ふせ)がんが為に、四壁(しへき)に大木を植(う)え、水勢(すいせい)の向ふ堤(つつみ)には、牛枠(うしわく)に蛇籠(じゃかご)を設(もう)け、海岸(かいがん)に家あれば、乱杭(らんぐい)に柵(しがらみ)を掛(か)く、是皆平日は無用の物なれども、暴風雨あらん時の為に、費用を惜(おしま)ずして修理(しゅり)するなり、夫(それ)天地にのみ暴風雨あるにあらず、往年(おうねん)大磯駅(おおいそえき)、其他(そのた)所々に起りし暴徒(ぼうと)乱民(らんみん)は、則(すなわ)ち土地の暴風雨なり、此暴風雨は必ず其地の大家(たいか)に強(つよ)く当(あた)る事、大木に風の強く当るが如し、地方豪家(ごうか)と呼(よば)るる者、此暴徒の防(ふせ)ぎを為(な)さざるは危(あやう)からずや、瀛洲(えいしゅう)問(とう)て曰く、此予防(よぼう)の法方(ほうほう)如何(いかん)、翁曰く、平日心掛けて米金(べいきん)を蓄(たくわ)へ、非常災害あらんとする時、是を施与(せよ)するの外、道なし、敢(あえ)て問(とう)、此予防に備(そな)ふる金員(きんいん)、其家の分限(ぶんげん)に依(よ)るといへども、大凡(おおよそ)何程位(いかほどぐらい)備へて相当なるべきや、翁曰く、其家々に取りて第一等の親類一軒の交際費丈(だけ)を、年々此予防の為と、別途にして米麦稗(ひえ)粟(あわ)等を蓄へ置て、慈善(じぜん)の心を表(あらわ)さば必ず免(まぬか)るべし、然りといへども、是はこれ暴徒の予防のみ、慈善に非ず、譬(たと)へば雨天の時、傘(からかさ)をさし蓑(みの)を着(き)るに同じ、只(ただ)ぬれざらんが為のみ
現代語訳
翁が言われた。天には暴風雨がある。これを防ぐために、屋敷の四方の壁ぎわに大木を植え、水勢の向かう堤には牛枠に蛇籠を設け、海岸に家があれば乱杭に柵を掛ける。これらはみな平常は無用のものだが、暴風雨があるときのために、費用を惜しまず修理するのだ。そもそも暴風雨は天地にだけあるのではない。先年、大磯宿やその他あちこちに起こった暴徒・乱民は、いわば土地の暴風雨である。この暴風雨は必ずその土地の大家に強く当たること、大木に風が強く当たるのと同じだ。地方の豪家と呼ばれる者が、この暴徒への備えをしないのは危ないではないか。瀛洲が問うて言った。この予防の方法はどうすればよいのですか。翁が言われた。平常から心がけて米や金を蓄え、非常の災害が起ころうとするとき、これを施し与えるほかに道はない。さらに問うた。この予防に備える金額は、その家の分限によるとはいえ、おおよそどれくらい備えれば相当でしょうか。翁が言われた。その家々にとって第一等の親類一軒との交際費だけを、毎年この予防のためにと別枠にして、米・麦・稗・粟などを蓄えておき、慈善の心を表せば必ず免れるだろう。とはいえ、これは暴徒の予防にすぎず、慈善ではない。譬えれば雨のときに傘をさし蓑を着るのと同じで、ただ濡れないためだけのものだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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説苑・建本豊牆磽下は未だ必ずしも崩れざるも、流行潦至れば、壊るること必ず先んず。樹の本浅く、根垓深からざるは、未だ必ずしも橛れざるも、飄風起こり暴雨至れば、抜けること必ず先んず。君子是の国に居りて、仁義を崇めず賢臣を尊ばざるも、未だ必ずしも亡びざるも、然れども一旦非常の変有らば、車馳せ人走り、指して禍至れば、乃ち始めて喉を干し唇を燋がし、天を仰ぎて歎じ、庶幾わくは天其れ之を救わんと、亦難からずや。孔子曰わく、「其の前を慎まずして其の後を悔ゆれば、悔ゆると雖も及ぶ無し」と。詩に曰わく、「其れ啜りて泣く、何ぞ嗟くも及ばん」と。本を先に正さずして末に憂いを成すを言うなり。
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葉隠・聞書第二湛然和尚風鈴を懸け置かれ、「音を愛するにてはなし、風を知りて火の用心すべき為なり。大寺を持つ気遣いは火の用心ばかりなり。」と御申し候。風吹きには自身夜廻りなされ、一生火鉢の火を消されず、枕元に行燈(あんどん)、附木(つけぎ)取揃え置き、「俄(にわか)の時ろたえて、火を早く立つる者なきものなり。」と御申し候。
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孫子・九変篇故に兵を用うるの法は、其の来たらざるを恃む無く、吾に以て之を待つ有るを恃む。其の攻めざるを恃む無く、吾に攻むべからざる所有るを恃むなり。
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葉隠・聞書第十一旅宿(りょしゅく)にては、先づ裏道詰(うらみちづま)り、後架(こうか)等見屆(みとど)け、火事の時分、退場(たいじょう)方角心當(こころあ)ていし、家の住居(すまい)、壁、天井、床、戸、障子、緣(えん)、疊(たたみ)等まで氣を附くべし。二重壁、床板取りはなしに拵(こしら)え、又は掛物(かけもの)の下の壁を明(あ)け、夜更けてより盜賊(とうぞく)入込(いりこ)む事あるべし。就中(なかんずく)御本陣(ごほんじん)に心を附くべし。休み候時、跡(あと)にならざる樣に仕るべきなり。
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葉隠・聞書第一覺りの士というのは、事に逢って仕(し)たるように、前方に、それぞれの仕様(しよう)を吟味し置いて、その時に出合い、仕果(しはた)す者である。不覺の士というのは、その時に至って前方に穿鑿せぬのは、不覺の士と申す。
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孟子・公孫丑章句上孟子曰く、「仁なれば則ち榮え、不仁なれば則ち辱めらる。今辱めらるるを惡んで不仁に居るは、是れ猶ほ濕を惡んで下きに居るがごときなり。如し之を惡まば、徳を貴びて士を尊ぶに如くは莫し。賢者位に在り、能者職に在り、國家閒暇なりとせん。是の時に及びて其の政刑を明らかにせば、大國と雖も、必ず之を畏れん。詩に云う、『天の未だ陰雨せざるに迨(およぶ)んで、彼の桑土を徹(とる)り、牖(ユウ)戶を綢繆す。今此の下民、敢て予を侮どること或らんや。』孔子曰く、『此の詩を為りし者は、其れ道を知れるか。』能く其の國家を治めば、誰か敢て之を侮らん。今國家閒暇なりとせん。是の時に及んで般樂怠敖せば、是れ自ら禍を求むるなり。禍ᐻは己自り之を求めざる者無し。詩に云う『永く言、命を配し、自ら多ᐻを求む。』太甲に曰く、『天の作せる孼は猶ほ違く可し。自ら作せる孼は活く可からず。』此を之れ謂うなり。」