二宮翁夜話 / 続篇
翁曰、芭蕉の句に、「古池や蛙飛込む水のおと」。この音は只の音と聞くべからず、有の世界より無の世界に入る時の音と観じて聞くべし。木の折るゝ時の音、鳥獣の死する時の声と同じ。是を通常の水の音とする時は、称讃すべき処なし。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、芭蕉(ばしょう)の句に、「古池や蛙(かわず)飛込む水のおと」。この音は只(ただ)の音と聞くべからず、有(う)の世界より無(む)の世界に入る時の音と観(かん)じて聞くべし。木の折るゝ時の音、鳥獣の死する時の声と同じ。是(これ)を通常の水の音とする時は、称讃(しょうさん)すべき処なし。
現代語訳
翁(二宮尊徳)が言われた。芭蕉の句に「古池や蛙飛び込む水の音」とある。この音を、ただの音として聞いてはならない。有の世界から無の世界へ入るときの音だと観じて聞くべきである。木が折れるときの音、鳥や獣が死ぬときの声と同じだ。これを普通の水の音として聞いてしまえば、称賛すべきところは何もない。
解説
尊徳が芭蕉の名句「古池や」を論じた珍しい一条です。蛙が飛び込む水の音を、単なる物音として聞いてはならない――有から無へと移りゆく瞬間の音、木の折れる音や生き物の命が尽きる声と同じ響きだと観じて聞け、と説きます。ここには、日常のありふれた現象の奥に天地生死の真理を読み取る、尊徳独自の観照の深さが表れています。同じ音でも、聞く者の心の眼が開いているかどうかで、平凡な物音にも天地の理が現れる。俳句という身近な題材を通して、物事の表面でなく本質を観る眼を養うことの大切さを示す味わい深い教えです。
この章句が説くこと
二宮翁夜話報徳芭蕉古池や観照有と無
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