二宮翁夜話 / 巻之四
翁曰、「郭公鳴つる方をながむれば只有明の月ぞ残れる」、此歌の心は、譬ば鎌倉の繁花なりしも、今は只跡のみ残りて物淋しき在様なりと、感慨の心をよめる也、只鎌倉のみにはあらず、人々の家も又然り、今日は家蔵建並べて人多く住み賑はしきも、一朝行違へば、身代限りとなり、屋敷のみ残るに至る、恐れざるべけんや、慎まざる可けんや、惣て人造物は、事ある時は皆亡びて、残る物は天造物のみぞ、と云心を含て詠めるなり、能味ひて其深意を知るべし。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、「郭公(ほととぎす)鳴つる方をながむれば只有明(ありあけ)の月ぞ残(のこ)れる」、此歌の心は、譬(たと)へば鎌倉(かまくら)の繁花(はんか)なりしも、今は只跡(あと)のみ残りて物淋(さび)しき在様(ありさま)なりと、感慨(かんがい)の心をよめる也、只鎌倉のみにはあらず、人々の家も又然り、今日は家(いえ)蔵(くら)建並(たてなら)べて人多く住み賑(にぎ)はしきも、一朝行違へば、身代限(かぎ)りとなり、屋敷のみ残るに至る、恐れざるべけんや、慎(つつし)まざる可けんや、惣(すべ)て人造物は、事ある時は皆亡びて、残る物は天造物のみぞ、と云心を含(ふくみ)て詠めるなり、能味ひて其深意を知るべし。
現代語訳
翁(二宮尊徳)が言われた。「ほととぎすが鳴いた方を眺めれば、ただ有明の月だけが空に残っている」という古歌がある。この歌の心は、たとえば鎌倉がかつて栄華を極めた地であっても、今はただ跡だけが残って物寂しい有様だと、感慨を詠んだものである。鎌倉ばかりのことではない。人々の家もまた同じだ。今日は家や蔵が建ち並び、多くの人が住んで賑わっていても、ひとたび歯車が狂えば身上をつぶし、屋敷だけが残るに至る。恐れずにいられようか、慎まずにいられようか。すべて人が造ったものは、いざとなればみな亡びて、残るものは天が造ったものだけである――という思いを込めて詠んだのだ。よくよく味わってその深い意味を知るがよい。
解説
人が築いた繁栄はいかに盛んでも、ひとたび道を誤れば消え去る――尊徳は古歌に託して、人造物の無常と天造物の不変を対比させます。鎌倉の栄枯を引きながら、栄華に安住せず慎むことの大切さを説くのです。報徳思想では、富や家業は放っておけば減り、勤労と分度(身の丈に応じた支出の枠)を守ってこそ保たれると考えます。栄えている時ほど油断せず、天地自然の理に従って質素と勤勉を守る。これは現代の企業や家計にも通じます。好調な時こそ足元を見つめ直し、身の丈を超えた膨張を戒めることが、長く続く土台になるのです。
この章句が説くこと
二宮翁夜話報徳無常天造物慎み分度
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