二宮翁夜話 / 巻之五
翁曰、九の字に一点を加えて、丸の字を作れるは面白し、○は則十なり、十は則一なり、「元日やうしろに近き大卅日」と云る俳句あり、又此意なり、禅語に此類の語多し、此句「うしろに近き」を「うしろをみれば」と為さば、一層面白からんか。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、九の字に一点を加へて、丸の字を作れるは面白し、○(まる)は則(すなわ)ち十なり、十は則ち一なり、「元日やうしろに近き大卅日(おおみそか)」と云へる俳句あり、又此意なり、禅語(ぜんご)に此類の語多し、此句「うしろに近き」を「うしろをみれば」と為(な)さば、一層面白からんか。
現代語訳
翁が言われた。「九」の字に一点を加えて「丸」の字を作ってあるのは面白い。○はすなわち十であり、十はすなわち一である。「元日や、すぐ後ろに大晦日が迫っている」という俳句がある。これもまた同じ意味だ。禅の言葉にはこの類のものが多い。この句の「うしろに近き」を「うしろをみれば」とすれば、いっそう面白いだろうか。
解説
「九」に一点を加えると「丸」の字になる――この文字遊びから、尊徳が円環する時間の道理を語った軽妙な一条です。○は満ちて十となり、十はまた一に戻る。数も暦も、終わりが始まりへと円をなして循環する。「元日やうしろに近き大晦日」の句を引き、一年の初めの日がすでに一年の終わりと背中合わせだ、と説きます。禅語にもこの種の逆説が多いと言い添え、句の言い換えまで楽しむところに、尊徳のしなやかな精神がうかがえます。終わりと始まりが一つに結ばれるという円環の感覚は、日々の営みが積み重なって巡り続ける報徳の時間観にも通じるもの。区切りに追われがちな現代の私たちにも、始まりの中に終わりを、終わりの中に始まりを見る視点を与えてくれます。
この章句が説くこと
二宮翁夜話報徳円環時間禅語俳句
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