二宮翁夜話 / 巻之二
翁曰、夫天地の真理は、不書の経文にあらざれば、見えざる物なり、此不書の経文を見るには、肉眼を以て、一度見渡して、而て後肉眼を閉ぢ、心眼を開きて能見るべし、如何なる微細の理も見えざる事なし、肉眼の見る処は限あり、心眼の見る処は限なければなりと、大島勇助曰、師説実に深遠なり、おこがましけれど、一首を詠りと云、其歌「眼を閉ぢて世界の内を能見れば晦日の夜にも有明の月」、翁曰、卿が生涯の上作と云べし。
書き下し
翁曰く、夫(それ)天地の真理は、不書(ふしょ)の経文にあらざれば、見えざる物なり。此不書の経文を見るには、肉眼を以て、一度見渡して、而(しか)て後肉眼を閉(と)ぢ、心眼を開きて能(よく)見るべし。如何なる微細(びさい)の理も見えざる事なし。肉眼の見る処は限(かぎり)あり、心眼の見る処は限なければなりと。大島勇助曰く、師説実に深遠なり、おこがましけれど、一首を詠(よ)めりと云ふ。其歌「眼(め)を閉(と)ぢて世界の内を能見れば晦日(みそか)の夜にも有明の月」。翁曰く、卿(けい)が生涯の上作と云ふべし。
現代語訳
翁が言われた。そもそも天地の真理は、書かざる経文でなければ見えないものだ。この書かざる経文を見るには、まず肉眼で一度見渡して、そのあと肉眼を閉じ、心眼を開いてよく見るべきだ。そうすればどんな微細な理も見えないことはない。肉眼で見えるものには限りがあるが、心眼で見えるものには限りがないからだ、と。大島勇助が言った。先生のお説はまことに深遠です、おこがましいですが一首詠みました、と。その歌は「眼を閉じて世界の内をよく見れば、月の出ない晦日の夜にも有明の月が見える」。翁は言われた。これはそなたの生涯の傑作というべきだ、と。
解説
前条に続き「書かざる経」を心眼で読むことを説いた短い一条です。天地の真理は文字の経典ではなく、まず肉眼で世界を見渡し、次に眼を閉じて心眼を開いてこそ見える――肉眼には限りがあるが心眼には限りがない、という認識論が語られます。これを受けた弟子大島勇助の「眼を閉じて世界の内をよく見れば晦日の夜にも有明の月」という歌は、心眼で見れば闇夜にも真理の光が見えるという師説を見事に詠み込み、尊徳から生涯の傑作と讃えられました。師弟の呼吸が伝わる場面です。現代でも、表面の情報を追うだけでなく、静かに内省して本質を見抜く目を養うことの大切さを教えてくれます。
この章句が説くこと
二宮翁夜話報徳書かざる経心眼天地の真理内省
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