師導古典を学びたいすべての人に

二宮翁夜話 / 続篇

翁曰、君を諫めて用ひられざるを憤るは、諫争にはあらずして、憤争なり。真の忠諫は、一旦君意に違ひ退けらるゝとも、正鵠を失すれば之を此身に求むるの金言を師として、君を不明と云はず、我が忠心の至らざるを責めて、敬を起し忠を起し、憤らず怨まず、慎んであらば、用ひられざる事あらんや。然るに君を諫むる者、用ひられざれば、君を怨み憤を含んで、君を不明と言ふに至り、忠臣といふべけんや。

書き下し

翁(おきな)曰(いわ)く、君を諫(いさ)めて用ひられざるを憤(いきどお)るは、諫争(かんそう)にはあらずして、憤争(ふんそう)なり。真の忠諫(ちゅうかん)は、一旦(いったん)君意に違(たが)ひ退(しりぞ)けらるゝとも、正鵠(せいこく)を失すれば之を此(こ)の身に求むるの金言を師として、君を不明と云はず、我が忠心の至らざるを責めて、敬を起し忠を起し、憤らず怨(うら)まず、慎んであらば、用ひられざる事あらんや。然(しか)るに君を諫むる者、用ひられざれば、君を怨み憤を含んで、君を不明と言ふに至り、忠臣といふべけんや。

現代語訳

翁(二宮尊徳)が言われた。主君を諫めて聞き入れられないのを憤るのは、諫める争いではなく、単なる憤りの争いである。真の忠義の諫言とは、いったんは主君の意に反して退けられても、的を射なかった原因を我が身に求めるという金言を師として、主君を暗愚だと言わず、自分の忠誠心の足りなさを責め、敬いの心を起こし忠義の心を起こし、憤らず恨まず、慎んでいれば、いつか用いられないことがあろうか。ところが主君を諫める者が、聞き入れられないと主君を恨み、憤りを抱いて、ついには主君を暗愚だと言うに至る。これを忠臣と言えるだろうか。

解説

諫言をめぐる忠臣のあり方を説いた一条です。尊徳は、諫めが用いられないのを憤るのは「諫争」ではなく「憤争」だと戒めます。真の忠諫は、退けられても主君を責めず、うまくいかない原因をまず我が身の忠誠の至らなさに求め、敬いと忠を新たにして憤らず恨まず慎み続ける。そうすればいずれ聞き入れられる、というのです。ここには至誠を尽くして相手の心が動くのを待つ報徳の姿勢が現れています。失敗の責任を他者に転嫁せず、まず自らを省みる。上司や相手に意見が通らないときこそ、恨むのではなく自分の伝え方や真心を問い直す――現代の人間関係にも通じる深い教えです。

この章句が説くこと

二宮翁夜話報徳忠諫至誠自省反求諸己

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる