二宮翁夜話 / 続篇
翁曰、若輩の者は、能家道を研究すべし、家道とは分限に応じて我家を持つ方法の事なり。家の持方は、安きが如くなれども、至て六ヶし、先早起きより始めて、勤倹に身を馴すべし、夫より農なり、商なり、家業の仕方を能学ばずして家を相続するは、将棊に譬ふれば、駒の並べ方も能知らずして指さんとするが如し、指す毎に打まけて、詰り失敗するは眼前なり、若余儀なくこの修業出来ずして相続せば、親類後見など能人を師として、一々差図を乞ふて、それに随ふべし、是将棊を一手毎に教を受けて指すに同じ、さすれば間違なし、然るに慢気して人に相談せず、気儘に金銀を遣はゞ、忽ち金銀を相手に取らるべし、譬へば父の拵へたる家を相続するは、将棊の駒を人に並べて貰ひたるが如し、凡て将棊の道を知らずして、我思ふ儘にさゝば、失敗は知れたる事なり、中庸に愚にして自用を好み、賎にして自専を好み、今の世に生れて古の道に反く、此の如くなれば必その身に及ぶとあり、今の世に生れて古の道に反くとは、後世の子孫と生れて、先祖数代の家を不足に思ひ、伝来の家具を不足に思ひ、先祖の家を誹したり、勤倹の道に背きて驕奢にふけるを云なり、古人はかく懇に戒置けり慎しむべし。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、若輩(じゃくはい)の者は、能(よ)く家道(かどう)を研究すべし、家道とは分限(ぶんげん)に応じて我家を持つ方法の事なり。家の持方(もちかた)は、安(やす)きが如くなれども、至(いた)って六ヶし(むつかし)、先(ま)づ早起きより始めて、勤倹(きんけん)に身を馴(なら)すべし、夫(それ)より農なり、商なり、家業の仕方を能く学ばずして家を相続するは、将棊(しょうぎ)に譬(たと)ふれば、駒の並べ方も能く知らずして指さんとするが如し、指す毎(ごと)に打まけて、詰(つま)り失敗するは眼前なり、若(も)し余儀なくこの修業出来ずして相続せば、親類後見(こうけん)など能(よ)き人を師として、一々差図(さしず)を乞ふて、それに随ふべし、是将棊を一手毎に教を受けて指すに同じ、さすれば間違なし、然るに慢気(まんき)して人に相談せず、気儘(きまま)に金銀を遣(つか)はゞ、忽(たちま)ち金銀を相手に取らるべし、譬へば父の拵(こしら)へたる家を相続するは、将棊の駒を人に並べて貰ひたるが如し、凡(およ)て将棊の道を知らずして、我思ふ儘(まま)にさゝば、失敗は知れたる事なり、中庸に愚にして自用(じよう)を好み、賎(せん)にして自専(じせん)を好み、今の世に生れて古の道に反(そむ)く、此の如くなれば必(かならず)その身に及ぶとあり、今の世に生れて古の道に反くとは、後世の子孫と生れて、先祖数代の家を不足に思ひ、伝来の家具を不足に思ひ、先祖の家を誹(くさ)したり、勤倹の道に背きて驕奢(きょうしゃ)にふけるを云ふなり、古人はかく懇(ねんご)ろに戒め置けり慎しむべし。
現代語訳
翁が言われた。若い者は、よく家道を研究すべきである。家道とは、身分・財産に応じて我が家を保つ方法のことだ。家の保ち方は、簡単なようで実にむずかしい。まず早起きから始めて、勤倹に身を慣らすべきだ。それから農なり商なり、家業のやり方をよく学ばずに家を相続するのは、将棋にたとえれば、駒の並べ方も知らずに指そうとするようなものだ。指すたびに負けて、結局失敗するのは目に見えている。もしやむを得ずこの修業ができないまま相続するなら、親類や後見人などの立派な人を師として、いちいち指図を乞い、それに従うべきだ。これは将棋を一手ごとに教えを受けて指すのと同じで、そうすれば間違いない。ところが、おごり高ぶって人に相談せず、気ままに金銀を使えば、たちまち金銀を相手に取られてしまう。たとえば父が築いた家を相続するのは、将棋の駒を人に並べてもらったようなものだ。総じて将棋の道を知らずに自分の思うままに指せば、失敗は分かりきったことだ。中庸に「愚かなのに自分の考えを用いたがり、身分が低いのに勝手を好み、今の世に生まれて昔の道に背く。このようであれば必ず災いがその身に及ぶ」とある。「今の世に生まれて昔の道に背く」とは、後世の子孫として生まれながら、先祖数代の家を不満に思い、伝来の家具を不満に思い、先祖の家をけなし、勤倹の道に背いて贅沢にふけることを言うのだ。昔の人はこのように懇ろに戒めておいた。慎むべきである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 伯夷列伝夫れ学ぶ者には載籍(書籍)極めて博きも、猶ほ信を六芸に考ふべし。詩・書は缺くると雖も、然れども虞・夏の文は知る可きなり。尭の将に位を遜らんとするや、虞舜に譲り、舜・禹の間は、岳牧咸な薦めて、乃ち之を位に試み、職を典ること数十年、功用既に興り、然る後に政を授く。天下は重器たる、王者の大統たる、天下を伝ふるの斯くの如く之れ難きを示せるなり。而るに説く者は曰く、尭、天下を許由に譲るも、許由は受けず、之を恥ぢて逃げ隠る。夏の時に及びて、卞随・務光なる者有り。此れ何を以てか称す。太史公曰く、余、箕山に登りしに、其の上に蓋し許由の冢有り、と云ふ。孔子、古の仁聖賢人を序列して、呉の太伯・伯夷の倫の如きは詳らかにす。余以へらく、聞く所の由・光の義は至高なるに、其の文辞の少しくも概見せざるは、何ぞや。
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中庸子曰く、「憂い無き者は、其れ惟(た)だ文王か。王季を以て父と為し、武王を以て子と為す。父之を作(な)し、子之を述ぶ。武王は大王(たいおう)・王季・文王の緒(しょ)を纘(つ)ぎ、壹(ひと)たび戎衣(じゅうい)して天下を有(たも)ち、身は天下の顕名(けんめい)を失わず。尊きこと天子と為り、富は四海の内を有つ。宗廟之を饗け、子孫之を保つ。武王末(おく)れて命を受け、周公は文・武の徳を成し、大王・王季を追王(ついおう)し、上(かみ)先公を祀るに天子の礼を以てす。斯(こ)の礼や、諸侯・大夫及び士・庶人に達す。父大夫と為り、子士と為れば、葬るに大夫を以てし、祭るに士を以てす。父士と為り、子大夫と為れば、葬るに士を以てし、祭るに大夫を以てす。期(き)の喪は大夫に達し、三年の喪は天子に達す。父母の喪は、貴賤と無く一なり」と。
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荀子・正論篇国を擅(ゆず)ること有るも、天下を擅ること無きは、古今一なり。夫の「堯舜擅讓す」と曰うは、是れ虚言なり。是れ浅き者の伝、陋(いや)しき者の説なり。逆順の理、小大・至不至の変を知らざる者なり。未だ与に天下の大理に及ぶべからざるなり。
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貞観政要・封建貞観十一年、太宗、周は子弟を封じて八百余年、秦は諸侯を罷めて二世にして滅び、呂后は劉氏を危うくせんと欲するも、終に宗室に頼りて安きを獲たるを以て、親賢を封建するは、当に是れ子孫長久の道なるべしとす。乃ち制を定む。子弟の荊州都督荊王元景、安州都督呉王恪等二十一人、又た功臣の司空趙州刺史長孫無忌、尚書左僕射宋州刺史房玄齢等十四人を以て、並びに世襲の刺史と為す。礼部侍郎李百薬、奏して世封の事を論駁して曰く、
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荀子・正論篇曰く、死して之を擅る、と。是れ又た然らず。聖王上に在れば、徳を決して次を定め、能を量りて官を授け、皆な民をして其の事を載せて各々其の宜しきを得しむ。義を以て利を制する能わず、偽を以て性を飾る能わざれば、則ち兼ねて以て民と為す。聖王已に没し、天下に聖無ければ、則ち固より以て天下を擅るに足る莫し。天下に聖有りて、後子に在らば、則ち天下離れず、朝位を易えず、国制を更めず、天下厭然として、郷と以て異なる無きなり。堯を以て堯に継ぐ、夫れ又た何の変か之れ有らんや。聖後子に在らずして三公に在らば、則ち天下帰するが如く、猶お復して之を振うがごとし。天下厭然として、郷と以て異なる無きなり。堯を以て堯に継ぐ、夫れ又た何の変か之れ有らんや。唯だ其の朝を徙し制を改むるを難しと為すのみ。故に天子生けば則ち天下一隆、順を致して治まり、徳を論じて次を定め、死すれば則ち能く天下に任ずる者必ず之れ有らん。夫れ礼義の分尽きたり、擅譲悪くんぞ用いんや。
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貞観政要・太子諸王定分貞観十一年、侍御史馬周疏を上りて曰く、「漢・晋より以来、諸王は皆な樹置の宜しきを失い、預め定分を立てざるが為に、以て滅亡に至る。人主は熟(つらつ)ら其の然るを知るも、但だ私愛に溺る。故に前車既に覆るも、後車は轍を改めざるなり。今、諸王の寵遇の恩を承くること、厚きに過ぐる者有り。臣の愚慮は、惟だ其の恩を恃みて驕矜するを慮るのみに非ず。昔、魏の武帝は陳思を寵樹す。文帝の即位するに及び、防守禁閉して、獄囚に同じきこと有り。先帝の恩を加うること太(はなは)だ多きを以て、故に嗣王は従いて之を畏るるなり。此れ則ち武帝の陳思を寵するは、適(まさ)に之を苦しむる所以なり。且つ帝子は何ぞ富貴ならざるを患えんや。身は大国を食(は)み、封戸は少なからず。好衣美食の外、更に何の須(もと)むる所ぞ。而るに毎年別に優賜を加え、会(かつ)て紀極無し。俚語に曰く、『貧は倹を学ばず、富は奢を学ばず』と。自然なるを言うなり。今、陛下は大聖を以て業を創む。豈に惟だ見在の子弟を処置するのみならんや。当に須らく長久の法を制し、万代をして遵行せしむべし」と。疏奏す。太宗甚だ之を嘉し、物百段を賜う。