貞観政要 / 封建
貞觀十一年,太宗以周封子弟,八百餘年,秦罷諸侯,二世而滅,呂後欲危劉氏,終賴宗室獲安,封建親賢,當是子孫長久之道。乃定制,以子弟荊州都督荊王元景、安州都督吳王恪等二十一人,又以功臣司空趙州刺史長孫無忌、尚書左僕射宋州刺史房玄齡等一十四人,並為世襲刺史。禮部侍郎李百藥奏論駮世封事曰:
新字:貞観十一年,太宗以周封子弟,八百余年,秦罷諸侯,二世而滅,呂後欲危劉氏,終頼宗室獲安,封建親賢,当是子孫長久之道。乃定制,以子弟荊州都督荊王元景、安州都督呉王恪等二十一人,又以功臣司空趙州刺史長孫無忌、尚書左僕射宋州刺史房玄齢等一十四人,並為世襲刺史。礼部侍郎李百薬奏論駮世封事曰:
書き下し
貞観十一年、太宗、周は子弟を封じて八百余年、秦は諸侯を罷めて二世にして滅び、呂后は劉氏を危うくせんと欲するも、終に宗室に頼りて安きを獲たるを以て、親賢を封建するは、当に是れ子孫長久の道なるべしとす。乃ち制を定む。子弟の荊州都督荊王元景、安州都督呉王恪等二十一人、又た功臣の司空趙州刺史長孫無忌、尚書左僕射宋州刺史房玄齢等十四人を以て、並びに世襲の刺史と為す。礼部侍郎李百薬、奏して世封の事を論駁して曰く、
現代語訳
貞観十一年、太宗は、周が一族を封じて八百余年続き、秦が諸侯を廃して二代で滅び、呂后が劉氏を危うくしようとした時も、最後は皇族に頼って安泰を得たことから、親族と賢者を封建することこそ、子孫を長く保つ道だと考えた。そこで制度を定め、一族の荊州都督である荊王李元景、安州都督である呉王李恪ら二十一人、また功臣の司空・趙州刺史である長孫無忌、尚書左僕射・宋州刺史である房玄齢ら十四人を、みな世襲の刺史とした。礼部侍郎の李百薬が上奏して、世襲封建の件に反論して言った。
解説
この章句が説くこと
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史記 五帝本紀堯子丹朱の不肖にして、天下を授くるに足らざるを知る。是に於て乃ち権りて舜に授く。舜に授くれば、則ち天下其の利を得て丹朱病む。丹朱に授くれば、則ち天下病みて丹朱其の利を得。堯曰く、「終に天下の病を以て一人を利せず」と。而して卒に舜に授くるに天下を以てす。堯崩じ、三年の喪畢はり、舜丹朱に譲りて南河の南に辟く。諸侯の朝覲する者は丹朱に之かずして舜に之き、獄訟する者は丹朱に之かずして舜に之き、謳歌する者は丹朱を謳歌せずして舜を謳歌す。舜曰く、「天なるかな」と。而る後に中国に之きて天子の位を践む。是を帝舜と為す。虞舜は、名を重華と曰ふ。重華の父を瞽叟と曰ひ、瞽叟の父を橋牛と曰ひ、橋牛の父を句望と曰ひ、句望の父を敬康と曰ひ、敬康の父を窮蟬と曰ひ、窮蟬の父を帝顓頊と曰ひ、顓頊の父を昌意と曰ふ。以て舜に至るまで七世なり。窮蟬より以て帝舜に至るまで、皆微にして庶人為り。舜の父瞽叟は盲にして、舜の母死し、瞽叟更に妻を娶りて象を生む。象は傲なり。瞽叟後妻の子を愛し、常に舜を殺さんと欲す。舜避け逃る。小過有るに及べば、則ち罪を受く。父及び後母と弟とに順事し、日に以て篤謹にして、懈ること有る匪し。舜は、冀州の人なり。舜歴山に耕し、雷沢に漁し、河浜に陶し、什器を寿丘に作り、時に負夏に就く。舜の父瞽叟は頑、母は嚚、弟象は傲にして、皆舜を殺さんと欲す。舜順適して子の道を失はず、兄弟に孝慈なり。殺さんと欲するも、得可からず。即ち求むれば、嘗に側に在り。舜年二十にして孝を以て聞こゆ。三十にして帝堯用ゐる可き者を問ふに、四嶽咸虞舜を薦めて、可なりと曰ふ。
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史記 蕭相国世家何頓首して曰く、「帝之を得たり。臣死すとも恨みず」と。何田宅を置くに必ず窮処に居り、家を為るに垣屋を治めず。曰く、「後世賢ならば、吾が倹を師とせよ。賢ならずんば、勢家の奪ふ所と為ること毋からん」と。孝恵二年、相国何卒し、謚して文終侯と為す。後嗣罪を以て侯を失ふ者四世、絶ゆ、天子輒ち複た何の後を求め、封じて酇侯を続がしむ、功臣之に比するを得る莫し。
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『春秋左氏伝』昭公七年 其の父薪を析く晉侯間有り。子產に莒の二方鼎を賜ふ。子產豐施の為に州田を韓宣子に歸して曰く、「日(さき)に君夫の公孫段を以て、能く其の事に任ふと為して、之に州田を賜ふ。今祿無くして早世し、久しく君の德を享くるを獲ず。其の子敢へて有たず、敢へて以て君に聞せず、私かに諸を子に致す」と。宣子辭す。子產曰く、「古人言有りて曰く、『其の父薪を析くも、其の子負荷する克はず』と。施將に其の先人の祿に任ふる能はざるを懼る。其れ況んや能く大國の賜に任へんや。縱ひ吾子政を為して可なりとも、後の人若し屬(たまたま)疆埸の言有らば、敝邑戾を獲て、豐氏其の大討を受けん。吾子州を取らば、是れ敝邑を戾より免れしめて、豐氏を建置するなり。敢へて以て請ふと為す」と。宣子之を受け、以て晉侯に告ぐ。晉侯以て宣子に與ふ。宣子初言の為に、之を有つを病み、以て原縣を樂大心に易ふ。
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史記 樊酈滕灌列伝三歳、絳侯勃相を免ぜられて国に就き、嬰丞相と為り、太尉の官を罷む。是の歳、匈奴大いに北地・上郡に入り、丞相嬰をして騎八万五千を将ゐて往きて匈奴を撃たしむ。匈奴去り、済北王反し、詔して乃ち嬰の兵を罷む。後歳余にして、嬰丞相を以て卒し、諡して懿侯と曰ふ。子平侯阿代りて侯たり。二十八年にして卒し、子彊代りて侯たり。十三年、彊罪有り、絶ゆること二歳。元光三年、天子灌嬰の孫賢を封じて臨汝侯と為し、灌氏の後を続がしむ、八歳にして、賕を行ふに坐して罪有り、国除かる。
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史記 殷本紀先王の言勉めざる可からず』と。曰く、『道ならずんば、国に在る毋かれ、女我を怨む毋かれ』と」と。以て諸侯に令す。伊尹咸有一徳を作り、咎単明居を作る。湯乃ち正朔を改め、服色を易へ、白を上び、朝会は昼を以てす。湯崩じ、太子太丁未だ立たずして卒す。是に於て迺ち太丁の弟外丙を立つ。是を帝外丙と為す。帝外丙即位三年にして崩じ、外丙の弟中壬を立つ。是を帝中壬と為す。帝中壬即位四年にして崩じ、伊尹迺ち太丁の子太甲を立つ。太甲は、成湯の適長孫なり。是を帝太甲と為す。帝太甲の元年、伊尹伊訓を作り、肆命を作り、徂后を作る。
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