二宮翁夜話 / 巻之一
翁曰、農にても商にても、富家の子弟は、業として勤むべき事なし、貧家の者は活計の為に、勤めざるを得ず、且富を願ふが故に、自ら勉強す、富家の子弟は、譬ば山の絶頂に居るが如く、登るべき処なく、前後左右皆眼下なり、是に依て分外の願を起し、士の真似をし、大名の真似をし、増長に増長して、終に滅亡す、天下の富者皆然り、爰に長く富貴を維持し、富貴を保つべきは、只我道推譲の教あるのみ、富家の子弟、此推譲の道を蹈ざれば、千百万の金ありといへども、馬糞茸と何ぞ異らん、夫馬糞茸は季候に依て生じ、幾程もなく腐廃し、世上の用にならず、只徒らに生じて、徒らに滅するのみ、世に富家と呼ばるゝ者にして、如斯なる、豈惜しき事ならずや。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、農にても商にても、富家(ふか)の子弟は、業(ぎょう)として勤むべき事なし、貧家の者は活計(かっけい)の為に、勤めざるを得ず、且(かつ)富を願(ねが)ふが故に、自ら勉強す、富家の子弟は、譬(たと)へば山の絶頂に居るが如く、登るべき処なく、前後左右皆(みな)眼下なり、是に依(よ)りて分外(ぶんがい)の願を起し、士の真似をし、大名の真似をし、増長に増長して、終(つい)に滅亡す、天下の富者皆然(しか)り、爰(ここ)に長く富貴を維持し、富貴を保つべきは、只(ただ)我道(わがみち)推譲の教(おしえ)あるのみ、富家の子弟、此推譲の道を蹈(ふ)まざれば、千百万の金ありといへども、馬糞茸(ばふんたけ)と何ぞ異(ことな)らん、夫(それ)馬糞茸は季候に依りて生じ、幾程(いくほど)もなく腐廃し、世上の用にならず、只徒(いたず)らに生じて、徒らに滅するのみ、世に富家と呼ばるゝ者にして、如斯(かくのごとく)なる、豈(あに)惜しき事ならずや。
現代語訳
翁(二宮尊徳)が言われた。農でも商でも、富家の子弟には、仕事として励むべきことがない。貧家の者は暮らしのために働かざるを得ず、しかも富を願うから自ら努め励む。ところが富家の子弟は、たとえば山の絶頂にいるようなもので、これ以上登るところがなく、前後左右みな眼下に見える。そのために身分不相応な望みを起こし、武士の真似をし、大名の真似をし、増長に増長を重ねて、ついには滅亡する。天下の富者はみなそうだ。ここに、長く富貴を維持し富貴を保つ道は、ただわが道の「推譲」の教えがあるのみである。富家の子弟がこの推譲の道を踏まなければ、千万百万の金があっても、馬糞茸と何が違おうか。馬糞茸は季節によって生え、いくらもたたずに腐り朽ちて、世の役には立たず、ただいたずらに生えていたずらに滅びるだけだ。世に富家と呼ばれる者がこのようであるのは、なんとも惜しいことではないか。
解説
この章句が説くこと
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二宮翁夜話・続篇翁(おきな)曰(いわ)く、我道は譲道(じょうどう)を貴(たっと)ぶ、譲道は富貴(ふうき)を永遠に保持するの道にして、富貴の者怠るべからざるの道なり、されば我道は富貴を永遠に維持するの道なりと云ふも不可なかるべし、されば富貴者たる者は、必(かならず)我道に入りて誠心(せいしん)相勤め、永遠に富貴を祈るべし。
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二宮翁夜話・巻之四翁(おきな)曰(いわ)く、樹木老木(ろうぼく)となれば、枝葉(えだは)美(うるわ)しからず、痿縮(いしゅく)して衰(おとろ)ふる物なり。此(こ)の時大(おおい)に枝葉を伐(き)りすかせば、来春(らいしゅん)は枝葉瑞々(みずみず)敷(しく)、美しく出(い)づる物なり。人々の身代(しんだい)も是(これ)に同じ。初(はじ)めて家を興(おこ)す人は、自(おのづか)ら常人(じょうじん)と異(こと)なれば、百石(ひゃくこく)の身代にて五十石に暮すも、人の許すべけれど、其(そ)の子孫となれば、百石は百石丈(だけ)、二百石は二百石丈の事に、交際(こうさい)をせざれば、家内(かない)も奴婢(ぬひ)も他人も承知せざる物なり。故(ゆえ)に終(つい)に不足を生ず。不足を生じて、分限(ぶんげん)を引去(ひきさ)る事を知らざれば、必(かなら)ず滅亡(めつぼう)す。是(これ)自然の勢(いきおい)、免(まぬか)れざる処なり。故に予(よ)常に推譲(すいじょう)の道を教ゆ。推譲の道は百石の身代の者、五十石にて暮しを立て、五十石を譲るを云(い)ふ。此の推譲の法は我が教(おしえ)第一の法にして、則(すなわ)ち家産維持(いじ)且(かつ)漸次(ぜんじ)増殖の法方(ほうほう)なり。家産を永遠に維持すべき道は、此(こ)の外(ほか)になし。
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二宮翁夜話・巻之三翁(おきな)曰(いわ)く、貧(ひん)となり富(とみ)となる、偶然(ぐうぜん)にあらず、富も因(よ)て来る処あり、貧も因て来る処あり、人皆貨財(かざい)は富者(ふうしゃ)の処に集ると思へ共(ども)然(しか)らず、節倹(せっけん)なる処と勉強(べんきょう)する処に集るなり、百円の身代(しんだい)の者、百円にて暮す時は、富の来る事なく貧の来る事なし、百円の身代を八十円にて暮し、七十円にて暮す時は、富是(これ)に帰(き)し財是に集る、百円の身代を百廿円(ひゃくにじゅうえん)にて暮し、百三拾円にて暮す時は、貧是に来り財是を去る、只(ただ)分外(ぶんがい)に進むと、分内(ぶんない)に退くとの違ひのみ、或歌(あるうた)に「有といへば有とや人の思ふらむ呼(よ)ば答ふる山彦(やまびこ)の声」と云(いえ)る如し、夫(そ)れ今有る物は今に無くなり、今無きものは今にあり、譬(たと)へば今有し銭のなくなりしは、物を買へば也、今無き銭の今あるは、勤(つと)むればなり、繩(なわ)一房(ひとふさ)なへば五厘(ごりん)手に入り、一日働けば十銭(じっせん)手に入る也、今手に入る十銭も、酒を呑めば直(じき)になし、明白疑(うたが)ひなき世の中なり、中庸(ちゅうよう)に曰く、誠なれば則(すなわ)ち明なり、明なれば則ち誠なりと、繩一房なへば五厘となり、五厘遣(や)れば繩一房来る、晴天白日(せいてんはくじつ)の世の中なり
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二宮翁夜話・巻之一翁(おきな)曰(いわ)く、多く稼いで、銭を少く遣(つか)ひ、多く薪(たきぎ)を取(とっ)て焚く事は少くする、是(これ)を富国の大本(たいほん)、富国の達道(たつどう)といふ、然(しか)るを世の人是を吝嗇(りんしょく)といひ、又(また)強欲と云(いう)、是心得違ひなり、夫(それ)人道は自然に反して、勤めて立つ処の道なれば貯蓄を尊(たっと)ぶが故なり、夫貯蓄は今年の物を来年に譲る、一つの譲道(じょうどう)なり、親の身代(しんだい)を子に譲るも、則(すなわち)貯蓄の法に基(もと)する物なり、人道は言ひもてゆけば貯蓄の一法のみ、故に是を富国の大本、富国の達道と云(いう)なり。
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二宮翁夜話・巻之三翁(おきな)曰(いわ)く、国家の盛衰(せいすい)存亡(そんぼう)は、各々(おのおの)利を争(あらそ)ふの甚(はなは)だしきにあり。富者は足る事をしらず、世を救(すく)ふ心なく、有るが上にも願ひ求めて、己(おの)が勝手(かって)のみを工夫し、天恩(てんおん)も知らず国恩(こくおん)も思はず。貧者は又何をかして、己を利せんと思へ共、工夫あらざれば、村費(そんぴ)の納むべきを滞(とどこお)り、作徳(さくとく)の出すべきを出さず、借(か)りたる者を返(かえ)さず。貧富共に義(ぎ)を忘れ、願ひても祈りても出来難(がた)き工夫のみをして、利を争ひ、其の見込の外(はず)れたる時は身代限(しんだいかぎ)りと云ひ、大河のうき瀬(せ)に沈(しず)むなり。此の大河も覚悟して入る時は、溺(おぼ)れ死するまでの事はなき故、又浮(うか)み出る事も向ふの岸(きし)へ泳(およ)ぎ付く事も、あるなれども、覚悟なくして、此の川に陥(おちい)る者は、再び浮み出る事出来ず、身を終(お)はるなり。愍(あわ)れむ可し。我が教は世上(せじょう)かかる悪弊(あくへい)を除(のぞ)きて、安楽の地を得せしむるを勤(つとめ)とす。
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二宮翁夜話・巻之三或(あるひと)問ふ、推譲(すいじょう)の論未だ了解する事能はず。一石の身代の者五斗(ごと)にて暮し五斗を譲り、十石の者五石にて暮し五石を譲るは行ひ難かるべし、如何。翁曰く、夫れ譲は人道なり。今日の物を明日に譲り、今年の物を来年に譲るの道を勤めざるは、人にして人にあらず。十銭取て十銭遣ひ、廿銭(にじっせん)取て廿銭遣ひ、宵越(よいご)しの銭を持ぬと云ふは、鳥獣(とりけもの)の道にして人道にあらず。鳥獣には今日の物を明日に譲り今年の物を来年に譲るの道なし。人は然らず、今日の物を明日に譲り今年の物を来年に譲り、其上子孫に譲り他に譲るの道あり。雇人(やといにん)と成て給金を取り、其半を遣ひ其半を向来(きょうらい)の為に譲り、或は田畑を買ひ家を立て蔵を立るは、子孫へ譲るなり。是れ世間知らず知らず人々行ふ処、則ち譲道なり。されば一石の者五斗譲るも出来難き事にはあらざるべし。如何となれば我為(わがため)の譲なればなり。此譲は教なくして出来安(できやす)し。是より上の譲は教に依らざれば出来難し。是より上の譲とは何ぞ、親戚朋友の為に譲るなり、郷里の為に譲るなり、猶出来難きは国家の為に譲るなり。此譲も到底(とうてい)我が富貴を維持せんが為なれども、眼前他に譲るが故に難きなり。家産ある者は勤めて家法を定めて推譲を行ふべし。或問ふ、夫れ譲は富者の道なり。千石の村戸数百戸あり、一戸十石なり、是れ貧にあらず富にあらざるの家なれば、譲らざるも其分なり。十一石となれば富者の分に入るが故に、十石五斗を分度と定め五斗を譲り、廿石の者は同じく五石を譲り、三十石の者は十石を譲る事と定めば如何。翁曰く、可なり。されど譲りの道は人道なり、人と生るゝ者譲りの道なくば有べからざるは論を待たずといへ共、人に寄り家に寄り、老幼多きあり病人あるあり厄介あるあれば、毎戸法を立て厳に行へと云ふといへ共、行るゝ者にあらず。只富有者に能く教へ有志者に能く勧めて行はしむべし。而て此道を勤る者は富貴(ふうき)栄誉(えいよ)之に帰し、此道を勤ざる者は富貴栄誉皆之を去る。少く行へば少く帰し、大に行へば大に帰す。予が言ふ処必ず違(たが)はじ。世の富有者に能く教へ度(た)きは此譲道なり。独り富者のみにあらず、又金穀(きんこく)のみにあらず、道も譲らずばあるべからず、畔(あぜ)も譲らずばあるべからず、言も譲らずばあるべからず、功も譲らずばあるべからず。二三子(にさんし)能く勤めよ。