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二宮翁夜話 / 巻之五

翁曰、昔堯帝、国を愛する事厚し、刻苦励精国家を治む、人民謳て曰、井を掘て呑み、田を耕して食ふ、帝の力何ぞ我にあらんや、帝之を聞て大に悦べりとあり、常人ならば、人民恩を知らずと怒るべきに、帝の力何ぞ我に有んやと、謳ふを聞て悦べるは、堯の堯たる所以なり、夫予が道は、堯舜も之を病めり、と云へる、大道の分子なり、されば予が道に従事して、刻苦勉励、国を起し村を起し、窮を救ふ事有る時も、必人民は報徳の力、何ぞ我に有らんやと謳ふべき也、此時是を聞て、悦ぶ者にあらざれば、我徒にあらざる也、謹めや謹めや。

書き下し

翁(おきな)曰(いわ)く、昔(むかし)堯帝(ぎょうてい)、国を愛する事厚し、刻苦励精(こっくれいせい)国家を治(おさ)む、人民謳(うた)ひて曰(いわ)く、井(い)を掘りて呑み、田を耕(たがや)して食ふ、帝の力何ぞ我にあらんや、帝之を聞きて大に悦(よろこ)べりとあり、常人ならば、人民恩を知らずと怒(いか)るべきに、帝の力何ぞ我に有らんやと、謳ふを聞きて悦べるは、堯の堯たる所以(ゆえん)なり、夫(それ)予(よ)が道は、堯舜(ぎょうしゅん)も之を病(や)めり、と云へる、大道の分子(ぶんし)なり、されば予が道に従事して、刻苦勉励(べんれい)、国を起し村を起し、窮(きゅう)を救(すく)ふ事有る時も、必(かならず)人民は報徳の力、何ぞ我に有らんやと謳ふべき也、此時是を聞きて、悦ぶ者にあらざれば、我徒(わがと)にあらざる也、謹(つつし)めや謹めや。

現代語訳

翁が言われた。昔、堯帝は国を深く愛し、心身を苦しめ力を尽くして国家を治めた。人民は歌って言った、「井戸を掘って水を飲み、田を耕して食べる。帝の力など我々に何の関わりがあろうか」と。帝はこれを聞いて大いに喜んだと伝えられる。普通の人なら、人民は恩を知らないと怒るところを、「帝の力など我々に何の関わりがあろうか」と歌うのを聞いて喜んだのは、堯が堯たるゆえんである。そもそも私の道は、あの堯舜でさえ「これを完全に行うのは難しい」と悩んだ大いなる道の一部分だ。だから私の道に従事して、苦労を重ねて努め、国を興し村を興し、窮乏を救うことがあっても、人民が必ず「報徳の力など我々に何の関わりがあろうか」と歌うようであってほしい。このとき、それを聞いて喜べる者でなければ、私の同志ではない。慎め、慎め。

解説

名君堯帝が、人民に恩を感謝されるどころか「帝の力など関係ない」と歌われても喜んだ故事を引き、尊徳が推譲と無私の理想を語る一条です。人を助けても見返りや感謝を求めず、相手が自力で立ったと思えるよう陰で支えるのが本当の善政だ――報徳の力を人民に意識させないほど自然に窮乏を救い、それでいて感謝されなくても喜べる者こそ真の同志だと説きます。ここには、功を誇らず徳を譲る至誠と推譲の精神が凝縮されています。「謹めや謹めや」という結びは自らへの戒めでもあります。現代でも、見返りを求めずに人や社会を支える無私の姿勢の尊さを教えてくれます。

この章句が説くこと

二宮翁夜話報徳推譲堯帝無私刻苦勉励

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