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二宮翁夜話 / 巻之五

伊藤発身曰、翁の疾重れり、門人左右にあり、翁曰、予が死近きにあるべし、予を葬るに分を越ゆる事勿れ、墓石を立つる事勿れ、碑を立つる事勿れ、只土を盛り上げて其の傍に松か杉を一本植ゑ置けば、夫にてよろし、必ず予が言に違ふ事勿れと、忌明に及んで遺言に随ふべしと云ふあり、又遺言ありといへ共かかる事は弟子の忍びざる処なれば、分に応じて石を立つべしと言ふあり、議論区々なりき、終に石を建てしは、未亡人の意を賛成する者の多きに随へるなり。

書き下し

伊藤発身(いとうほっしん)曰く、翁の疾(やまい)重(おも)れり、門人左右にあり、翁曰く、予が死近きにあるべし、予を葬(ほうむ)るに分を越(こ)ゆる事勿(なか)れ、墓石を立つる事勿れ、碑(ひ)を立つる事勿れ、只土を盛り上げて其の傍(かたわ)らに松か杉を一本植ゑ置けば、夫(それ)にてよろし、必ず予が言に違(たが)ふ事勿れと、忌明(きあ)けに及んで遺言に随ふべしと云ふあり、又遺言ありといへ共かかる事は弟子の忍(しの)びざる処なれば、分に応じて石を立つべしと言ふあり、議論区々(まちまち)なりき、終に石を建てしは、未亡人の意を賛成する者の多きに随へるなり。

現代語訳

伊藤発身が言う。翁の病が重くなり、門人たちが左右に付き添っていた。翁が言われた。私の死は近いだろう。私を葬るのに身の程を越えてはならない。墓石を立ててはならない。碑を立ててはならない。ただ土を盛り上げて、その傍らに松か杉を一本植えておけば、それでよい。必ず私の言葉に背いてはならぬ、と。忌明けになって、遺言に従うべきだという者があった。また、遺言があるとはいえ、こうしたことは弟子として忍びないから、身の程に応じて石を立てるべきだという者もあった。議論はまちまちであった。結局石を建てたのは、未亡人の意向に賛成する者が多かったのに従ったからである。

解説

死を前にした尊徳が門人に遺言する場面です。自分の墓に身の程を越えてはならない、墓石も碑も立てるな、ただ土を盛り松か杉を一本植えればよい――生涯を貫いた「分度」を、自らの死においても徹底しようとします。虚飾を排し、身の丈に応じて生き切る姿勢がここに凝縮されています。もっとも門人たちは師を敬うあまり遺言どおりにはできず、議論の末に石を建てました。師の質素への志と、それを慕う弟子たちの情との間の、静かな葛藤も伝わってきます。名声や見栄のための飾りを退け、最期まで一貫して簡素であろうとした尊徳の生き方は、成果や体裁を競いがちな現代に、身の丈を守ることの清々しさを教えてくれます。

この章句が説くこと

二宮翁夜話報徳分度倹約遺言質素

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