二宮翁夜話 / 巻之二
翁床の傍に、不動仏の像を掛らる、山内董正曰、卿不動を信ずるか、翁曰、予壮年、小田原侯の命を受て、野州物井に来る、人民離散土地荒蕪、如何ともすべからず、仍て功の成否に関せず、生涯此処を動かじと決定す、仮令事故出来、背に火の燃付が如きに立到るとも、決して動かじと死を以て誓ふ、然るに不動尊は、動かざれば尊しと訓ず、予其名義と、猛火背を焚といへども、動ざるの像形を信じ、此像を掛けて、其意を妻子に示す、不動仏、何等の功験あるを知らずといへども、予が今日に到るは、不動心の堅固一ッにあり、仍て今日も猶此像を掛て、妻子に其意を示すなり
書き下し
翁(おきな)床(とこ)の傍(かたわ)らに、不動仏の像を掛らる、山内董(ただ)正曰く、卿(きみ)不動を信ずるか、翁曰く、予(よ)壮年、小田原侯の命を受て、野州物井(ものい)に来る、人民離散(りさん)土地荒蕪(こうぶ)、如何ともすべからず、仍(よ)て功の成否に関せず、生涯此処を動かじと決定(けつじょう)す、仮令(たとい)事故出来(しゅったい)、背(せ)に火の燃(もえ)付が如きに立到るとも、決して動かじと死を以て誓(ちか)ふ、然るに不動尊は、動かざれば尊しと訓(くん)ず、予其名義と、猛火(もうか)背を焚(や)くといへども、動ざるの像形(ぞうぎょう)を信じ、此像を掛けて、其意を妻子に示(しめ)す、不動仏、何等の功験(こうげん)あるを知らずといへども、予が今日に到るは、不動心の堅固(けんご)一ッにあり、仍て今日も猶(なお)此像を掛(か)けて、妻子に其意を示すなり
現代語訳
翁が床の間の傍らに不動明王の像を掛けていた。山内董正が「あなたは不動を信仰されるのですか」と尋ねた。翁が言われた。私は壮年のころ、小田原侯の命を受けて下野国の物井に来た。人民は離散し土地は荒れ果て、どうにもならなかった。そこで事業が成功するか否かにかかわらず、生涯この地を動くまいと決意した。たとえ事故が起きて、背中に火が燃えつくような事態に至っても、決して動くまいと死を覚悟して誓った。ところで不動尊は「動かざるがゆえに尊し」と説かれる。私はその名の意味と、猛火が背を焼いても動じないその姿を信じ、この像を掛けてその心を妻子に示している。不動仏にどんな霊験があるかは知らないが、私が今日あるのは、ただ不動心の堅固さ一つによる。だから今日もなおこの像を掛けて、妻子にその心を示しているのだ。
解説
この章句が説くこと
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葉隠・聞書第一途中にて俄雨にあひて、濡れじとて道を急ぎ走り、軒下などを通りても、濡る〳〵事は替らざるなり。初より思ひはまりて濡る〳〵時、心に苦しみなく濡る〳〵事は同じ。これ萬づにわたる心得なり。
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葉隠・聞書第一何某申し候は、「しほがれ浪人などと云ふは難儀千萬此の上なき樣に皆人思うて、其の期には殊の外しほがれ草臥る〳〵事なり。浪人して後は左程にはなきものなり。今一度浪人仕度し。」と云ふ。尤もの事なり。死の道も、平生に死習うては、心安く死ぬべき事なり。奉公人の打留は浪人切腹に極りたると、兼ねて覺悟すべきなり。災難は前方了簡したる程には無きものなるを、先を量つて苦しむは愚かなる事なり。
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論語 公冶長篇子曰:『士而懷居、不足以為士矣。』
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論語 憲問篇子曰:士而懷居,不足以為士矣。
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葉隠・聞書第一打返しは踏懸けて切殺さるゝ迄、赤穗義士の敵討は延びゝ。打返しの仕樣は、踏懸けて切殺さるゝ迄なり。これにて恥にならぬなり。仕果すべしと思ふ故、間に合はず。向は大勢などと云ひて時を移し、しまり止めになる相談に極まるなり。相手何千人もあれ、片端より撫切と思ひ定めて、立向ふ迄にて成就なり。多分仕濟ますものなり。又淺野殿浪人夜討も、泉岳寺にて腹切らぬが落度なり。又主を討たせて、敵を討つ事延びゝなり。若し、その内に吉良殿病死の時は殘念千萬なり。上方衆は智慧かしこき故、褒めらるゝ仕樣は上手なれども、長崎喧嘩の樣に無分別にする事はならぬなり。又曾我殿夜討も殊の外の延引。幕の紋見物の時、祐成圖をはづしたり。不運の事なり。五郎申樣見事なり。總じて斯樣の批判はせぬものなれども、これも武道の吟味なれば申すなり。前方に吟味して置かねば、行當りて分別出來合はぬ故、大かた恥になり候。話を聞覺え、物の本を見るも、かねての覺悟のためなり。就中、武道は今日の事も知らずと思ひて、日々夜々に簡條を立てゝ吟味すべき事なり。時の行掛りにて勝負はあるべし。恥をかゝぬ仕樣は別なり。死ぬ迄なり。これには智慧も業も入らぬなり。死ぬ迄といふは勝負を考へず、無二無三に死狂ひするばかりなり。これにて夢覺むるなり。
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葉隠・聞書第一古人の覺悟は深き事なり。十三以上六十以下出陣と云ふ事あり。それ故に、古老は年をかくすといへり。