二宮翁夜話 / 巻之四
翁曰、富人小道具を好む者は、大事は成し得ぬ物なり、貧人履物足袋等を飾る者は立身は出来ぬものなり、又人の多く集り雑踏する処には、好き履物をはく事勿れ、よき履物は紛失する事あり、悪きをはきて紛失したる時は尋ずして、更に買求めて履きて帰るべし、混雑の中にて、是を尋ねて人を煩すは、麁悪なる履物をはきたるよりも見苦し。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、富人(ふうじん)小道具を好む者は、大事は成し得ぬ物なり、貧人(ひんじん)履物(はきもの)足袋(たび)等を飾(かざ)る者は立身(りっしん)は出来ぬものなり、又(また)人の多く集り雑踏(ざっとう)する処には、好き履物をはく事勿(なか)れ、よき履物は紛失(ふんしつ)する事あり、悪(あ)しきをはきて紛失したる時は尋(たず)ねずして、更(さら)に買求(かいもと)めて履(は)きて帰るべし、混雑(こんざつ)の中にて、是(これ)を尋ねて人を煩(わずら)はすは、麁悪(そあく)なる履物をはきたるよりも見苦(みぐる)し。
現代語訳
翁が言われた。富んだ者で小道具の凝り物を好む者は、大事を成し遂げられないものだ。貧しい者で履物や足袋などを飾り立てる者は、立身できないものだ。また、人が多く集まって雑踏する場所では、良い履物を履いてはならない。良い履物は紛失することがある。粗末な履物を履いていて紛失したときは、探さずに、新しく買い求めて履いて帰るがよい。混雑の中でそれを探して人を煩わせるのは、粗末な履物を履いていることよりも見苦しい。
解説
身分不相応な見栄や瑣末な趣味を戒めた、生活訓めいた一条です。富者が小道具の凝り物に夢中になれば大事を成せず、貧者が履物や足袋を飾れば立身できない――尊徳は、力を注ぐべきところを見失う愚を突きます。さらに雑踏では良い履物を履くな、失っても探して人を煩わせるより買い直せ、と説くのは、些事にこだわって時間や他人の手間を奪う無駄を戒めるものです。分度をわきまえ、本当に大切なことに力を集中せよという報徳の教えが、日常の小さな身の処し方に現れています。現代でも、見栄や細事に気を取られず、なすべき本業に力を注ぐことの大切さを教えてくれる一条です。
この章句が説くこと
二宮翁夜話報徳分度身の処し方見栄倹約
関連する章句
-
二宮翁夜話・巻之三翁曰く、某藩(それのはん)某氏老臣たる時、予礼譲謙遜(れいじょうけんそん)を勧(すす)むれども用ひず、後終(つい)に退けらる。今や困乏(こんぼう)甚(はなはだ)しくして今日を凌(しの)ぐ可からず。夫れ某氏は某藩衰廃(すいはい)危難の時に当て功あり、而して今斯の如く窮(きゅう)せり、是れ只登用せられたる時に分限の内にせざる過ちのみ。夫れ官威(かんい)盛んに富有自在の時は礼譲謙遜を尽し、官を退て後は遊楽驕奢(ゆうらくきょうしゃ)たるも害なし。然る時は一点の誹(そしり)なく、人其官を妬(ねた)まず。進んで勤苦し退て遊楽するは、昼勤て夜休息するが如く、進んでは富有に任せて遊楽驕奢に耽(ふけ)り、退て節倹(せっけん)を勤るは、譬ば昼休息して夜勤苦するが如し。進で遊楽すれば人誰か是を浦山(うらやま)ざらん、誰か是を妬まざらん。夫れ雲助(くもすけ)の重荷を負ふは酒食を恣(ほしいまま)にせんが為なり、遊楽驕奢をなさんが為に国の重職に居るは、雲助等が為る所に遠からず。重職に居る者、雲助の為る処に同じくして能く久安(きゅうあん)を保(たも)たんや。退けられたるは当然にして不幸にはあらざるべし。
-
二宮翁夜話・巻之五翁(おきな)曰(いわ)く、何程(なにほど)富貴なり共(とも)、家法をば節倹に立て、驕奢(きょうしゃ)に馴(な)るゝ事を厳(げん)に禁(きん)ずべし、夫(それ)奢侈(しゃし)は不徳の源にして滅(めつ)亡の基(もとい)なり、如何(いかん)となれば、奢侈を欲するよりして、利を貪(むさぼ)るの念を増長し、慈善の心薄(うす)らぎ、自然欲深く成りて、吝嗇(りんしょく)に陥(おちい)り、夫より知らず知らず、職業も不正になり行きて、災(わざわい)を生ずる物なり、恐るべし、論語に、周公の才の美ありとも奢(おご)り且(か)つ吝(やぶさ)かなれば、其余は見るに足らず、とあり、家法は節倹に立て、我身能(よ)く之を守り、驕奢に馴るる事なく、飯(めし)と汁(しる)木綿(もめん)着物は身を助く、の真理を忘るる事勿(なか)れ、何事も習(なら)ひ性となり馴(な)れて常となりては、仕方無き物なり、遊楽に馴(な)るれば面白き事もなくなり、甘(うま)き物に馴(な)るれば甘き物もなくなるなり、是(これ)自(みずか)ら我が歓楽をも減ずるなり、日々勤労(きんろう)する者は、朔望(さくぼう)の休日も楽みなり、盆(ぼん)正月は大なる楽みなり、是平日、勤労に馴るゝが故なり、此理を明弁して滅亡の基を断(た)ち去るべし、且(か)つ若き者は、酒を呑むも、烟草(たばこ)を吸ふも、月に四五度に限(かぎ)りて、酒好きとなる事勿れ、烟草好きとなる事勿れ、馴れて好(すき)となり、癖(くせ)となりては生涯の損大なり、慎(つつし)むべし。
-
二宮翁夜話・巻之三翁(おきな)曰(いわ)く、某藩士某(それがし)、東京(えど)詰にて、顕職(けんしょく)を勤めたり、一朝(いっちょう)退勤の命あり、帰国せんとす、予(よ)往(ゆ)きて暇(いとま)を告げ、且(か)つ曰く、卿(けい)が是迄(これまで)の驕奢(きょうしゃ)、実に意外の事なりといへども、職務なれば、是非(ぜひ)無し、今帰国せんとす、是迄用ふる処の、衣類諸道具等は皆分不相応の品なり、是を持帰る時は、卿が驕奢退かず、妻子厄介(やっかい)も同じく奢侈(しゃし)止(や)まざるべし、然(しか)る時は卿が家、財政の為に滅亡に至らん、恐(おそ)れざるべけんや、刀は折れず曲(まが)らざる利刀(りとう)の、外飾(がいしょく)なきを残(のこ)し、其他は衣類諸道具、一切是迄用ひし物品は残らず、親戚(しんせき)朋友(ほうゆう)懇意(こんい)出入(でいり)の者等に、形見として悉(ことごと)く与(あた)へ、不断着(ふだんぎ)寝巻(ねまき)の儘(まま)にて、只(ただ)妻子而已(のみ)を具(ぐ)して、帰国して、一品も国に持行(もちゆ)く事勿(なか)れ、是奢侈を退(しりぞ)け、驕意(きょうい)を断(た)つの秘伝也、然らざれば、妻子厄介迄染(し)み込んだる奢侈決して退かず、卿が家終(つい)に亡びん事鏡(かがみ)に掛(か)けて見るが如し、迷ふ勿れと懇々(こんこん)教へたれど、某用ふる事能(あた)はず、一品も残さず船(ふね)に積(つ)みて持帰り、此物品を売り売り生活を立て、終(つい)に売尽(うりつく)して、言ふ可(べ)からざるの困窮に陥(おちい)り果てたり、歎(たん)ずべし、是分限(ぶげん)を忘れ、驕奢に馴(な)れて、天をも恐れず人をも憚(はばか)らざるの過(あやまち)なり、我驕奢、誠に分に過ぎたりと心付かば、同藩(どうはん)に対しても、憚らずば有るべからず、是驕奢に馴れて自(みずか)ら驕奢と知らざるが故なり、歎ずべし
-
二宮翁夜話・巻之三翁(おきな)曰(いわ)く、貧(ひん)となり富(とみ)となる、偶然(ぐうぜん)にあらず、富も因(よ)て来る処あり、貧も因て来る処あり、人皆貨財(かざい)は富者(ふうしゃ)の処に集ると思へ共(ども)然(しか)らず、節倹(せっけん)なる処と勉強(べんきょう)する処に集るなり、百円の身代(しんだい)の者、百円にて暮す時は、富の来る事なく貧の来る事なし、百円の身代を八十円にて暮し、七十円にて暮す時は、富是(これ)に帰(き)し財是に集る、百円の身代を百廿円(ひゃくにじゅうえん)にて暮し、百三拾円にて暮す時は、貧是に来り財是を去る、只(ただ)分外(ぶんがい)に進むと、分内(ぶんない)に退くとの違ひのみ、或歌(あるうた)に「有といへば有とや人の思ふらむ呼(よ)ば答ふる山彦(やまびこ)の声」と云(いえ)る如し、夫(そ)れ今有る物は今に無くなり、今無きものは今にあり、譬(たと)へば今有し銭のなくなりしは、物を買へば也、今無き銭の今あるは、勤(つと)むればなり、繩(なわ)一房(ひとふさ)なへば五厘(ごりん)手に入り、一日働けば十銭(じっせん)手に入る也、今手に入る十銭も、酒を呑めば直(じき)になし、明白疑(うたが)ひなき世の中なり、中庸(ちゅうよう)に曰く、誠なれば則(すなわ)ち明なり、明なれば則ち誠なりと、繩一房なへば五厘となり、五厘遣(や)れば繩一房来る、晴天白日(せいてんはくじつ)の世の中なり
-
二宮翁夜話・巻之一翁(おきな)曰(いわ)く、米は多く蔵につんで少しづゝ炊き、薪(たきぎ)は多く小屋に積んで焚く事は成る丈(たけ)少くし、衣服は着らるるやうに扱(こしら)へて、なる丈着ずして仕舞ひおくこそ、家を富(と)ますの術(じゅつ)なれ、則(すなわち)国家経済の根元なり、天下を富有にするの大道も、其実(そのじつ)この外にはあらぬなり。
-
二宮翁夜話・続篇翁(おきな)曰(いわ)く、財を惜(おし)む者は、如何程(いかほど)愍然(びんぜん)の者を見るも扱(あつか)ふ事能(あた)はず。命を惜む者は、君の不能を見て強諫(きょうかん)すること能はず、又馬前(ばぜん)に死する事も能はず。此(か)くの如き者は農事も十分にする事は出来ざるべし。夫(そ)れ農は天変凶歳(きょうさい)風雨を恐れては、十分に肥(こやし)を用ひ、力を尽す事は出来ぬなり。損害は天に任せて、天下の農人(のうにん)は農をするなり。然(しか)るを況(いわ)んや仕官して君に仕ふる者をや、況(ま)して累代(るいだい)仕官の者をや。