二宮翁夜話 / 巻之四
翁曰、樹木を植るに、根を伐る時は、必枝葉をも切捨べし、根少くして水を吸ふ力少なければ、枯るゝ物なり、大に枝葉を伐すかして、根の力に応ずべし、然せざれば枯るゝなり、譬ば人の身代、稼ぎ人が欠け家株の減ずるは、植替へたる樹の、根少くして水を吸上る力の減じたるなり、此時は仕法を立て、大に暮し方を縮めざるを得ず、稼ぎ人少き時大に暮せば、身代日々減少して、終に滅亡に至る、根少くして枝葉多き木の、終に枯るゝに同じ、如何とも仕方なき物なり、暑中といへ共、木の枝を大方伐捨、葉を残らずはさみ取りて、幹を菰にて包みて植え、時々此菰に水をそゝぐ時は、枯れざる物なり、人の身代も此理なり、心を用ふべし。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、樹木を植(う)うるに、根を伐(き)る時は、必(かなら)ず枝葉(えだは)をも切捨(きりす)つべし。根少(すく)なくして水を吸(す)ふ力少なければ、枯(か)るゝ物なり。大(おおい)に枝葉を伐(き)りすかして、根の力に応ずべし。然(しか)せざれば枯るゝなり。譬(たと)へば人の身代(しんだい)、稼(かせ)ぎ人が欠(か)け家株(かかぶ)の減(げん)ずるは、植替(うえか)へたる樹(き)の、根少なくして水を吸(す)ひ上(あ)ぐる力の減じたるなり。此(こ)の時は仕法(しほう)を立て、大に暮し方を縮(ちぢ)めざるを得ず。稼ぎ人少なき時大に暮せば、身代日々減少して、終(つい)に滅亡(めつぼう)に至る。根少なくして枝葉多き木の、終に枯るゝに同じ、如何(いか)とも仕方なき物なり。暑中(しょちゅう)といへ共(ども)、木の枝を大方(おおかた)伐捨(きりす)て、葉を残らずはさみ取りて、幹(みき)を菰(こも)にて包みて植え、時々此の菰に水をそゝぐ時は、枯れざる物なり。人の身代も此の理(り)なり、心を用ふべし。
現代語訳
翁(二宮尊徳)が言われた。樹木を植えるとき、根を切ったのなら必ず枝葉も切り落とさなければならない。根が少なくなって水を吸い上げる力が弱ければ、木は枯れてしまうものだ。思い切って枝葉を切りすかし、根の力に見合うようにせよ。そうしなければ枯れてしまう。たとえば人の身代(家計)で、働き手が欠けて収入が減るのは、植え替えた木の根が少なくなって水を吸い上げる力が落ちたのと同じである。こういうときは立て直しの手立てを講じ、大幅に暮らし方を切り詰めなければならない。働き手が少ないのに派手に暮らせば、身代は日々減っていき、ついには破滅に至る。根が少ないのに枝葉が多い木がついに枯れるのと同じで、どうにも手の施しようがなくなる。真夏であっても、木の枝を大方切り捨て、葉を残らず摘み取り、幹を菰で包んで植え、時々その菰に水を注いでやれば枯れないものだ。人の身代もこの道理である。よく心して用いよ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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二宮翁夜話・巻之四翁曰く、人の身代(しんだい)は大凡(おおよそ)数ある物なり、譬(たと)えば鉢植(はちうえ)の松の如し、鉢の大小に依(よ)りて、松にも大小あり、緑(みどり)を延(の)び次第にする時は、忽(たちま)ち枯気(かれぎ)付く物なり、年々に緑をつみ、枝をすかしてこそ美(うるわ)しく栄(さか)ゆるなれ、是(これ)心得べき事なり、此の理をしらず、春は遊山(ゆさん)に緑を延ばし、秋は月見に緑を延ばし、斯(か)くの如く、拠(よりどころ)なき交際と云いては枝を出し、親類の付合と云いては梢(こずえ)を出し、分外(ぶんがい)に延び過ぎ、枝葉次第に殖(ふ)えゆくを、伐(き)り捨てざる時は、身代の松の根、漸々(ぜんぜん)に衰(おとろ)えて、枯れ果(は)つべし、されば其の鉢に応じたる枝葉を残し、不相応の枝葉をば年々伐(き)りすかすべし、尤(もっと)も肝要(かんよう)の事なり。
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二宮翁夜話・巻之四翁(おきな)曰(いわ)く、樹木老木(ろうぼく)となれば、枝葉(えだは)美(うるわ)しからず、痿縮(いしゅく)して衰(おとろ)ふる物なり。此(こ)の時大(おおい)に枝葉を伐(き)りすかせば、来春(らいしゅん)は枝葉瑞々(みずみず)敷(しく)、美しく出(い)づる物なり。人々の身代(しんだい)も是(これ)に同じ。初(はじ)めて家を興(おこ)す人は、自(おのづか)ら常人(じょうじん)と異(こと)なれば、百石(ひゃくこく)の身代にて五十石に暮すも、人の許すべけれど、其(そ)の子孫となれば、百石は百石丈(だけ)、二百石は二百石丈の事に、交際(こうさい)をせざれば、家内(かない)も奴婢(ぬひ)も他人も承知せざる物なり。故(ゆえ)に終(つい)に不足を生ず。不足を生じて、分限(ぶんげん)を引去(ひきさ)る事を知らざれば、必(かなら)ず滅亡(めつぼう)す。是(これ)自然の勢(いきおい)、免(まぬか)れざる処なり。故に予(よ)常に推譲(すいじょう)の道を教ゆ。推譲の道は百石の身代の者、五十石にて暮しを立て、五十石を譲るを云(い)ふ。此の推譲の法は我が教(おしえ)第一の法にして、則(すなわ)ち家産維持(いじ)且(かつ)漸次(ぜんじ)増殖の法方(ほうほう)なり。家産を永遠に維持すべき道は、此(こ)の外(ほか)になし。
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二宮翁夜話・巻之五翁曰く、論語に、哀公(あいこう)問ひて曰く、年饑(う)ゑて用足らず、之を如何(いかん)、対(こた)へて曰く、何ぞ徹(てっ)せざるや、曰く、二にして吾(われ)猶(なお)足らず、之を如何ぞそれ徹せん、対へて曰く、百姓(ひゃくせい)足らば君誰と共にか足らざらん、百姓足らずんば君誰と共に足らん、とあり、是れ解し難き理なり、之を譬ふるに鉢植(はちう)ゑの松養ひ足らず、将に枯れんとす、之を如何と問ふ時、何ぞ枝を伐(き)らざると答へたるに同じ、又問ふ、此の儘(まま)にてすら枯れんとす、何ぞそれ枝を伐らん、曰く、根枯れずんば、木誰(たれ)と共に枯れん、と答へたるが如し、実に疑(うたが)ひなき問答なり、夫れ日本は六十余州の大なる鉢なり、大なれ共此の鉢の松、養ひ足らざる時は、無用の枝葉を伐りすかすの外に道なし、人の身代(しんだい)も、銘々一つづつの小鉢なり、暮し方不足せば、速(すみや)かに枝葉を伐り捨つべし、此の時に是れは先祖代々の仕来(しきた)りなり、家風なり、是れは親の心を用ひて、建てたる別荘なり、是れは殊に愛翫(あいがん)せし物品なりなどと云ひて、無用の枝葉を伐り捨つる事を知らざれば、忽(たちま)ち枯れ気付く物なり、既に枯れ気付きては、枝葉を伐り去るも、間に合はぬ物なり、是れ尤も富有者の子孫心得べき事なり。
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二宮翁夜話・続篇某藩(ぼうはん)の重臣某氏、藩の財政の方法を問ふ。翁(おきな)曰(いわ)く、爰(ここ)に十万石の諸侯あり、之を木に譬(たと)ふれば、百姓は土際(つちきわ)より木にある根の如し、幹と枝葉は藩中の如し、然れば十万石と云ふ時は、其領中一円神主僧侶も乞食(こじき)も皆此中の物なり、此十万石を四公六民とする時は、藩が四分、民が六分なり、然るに何方(いずかた)より頼談せらるゝも、皆藩の財政のみを改革せんとせられ、領中の事に及ばるゝはなし。古語に「其本(もと)乱れ末治まる者はあらず」とあり。其元を捨置(すてお)きて、其末のみを挙(あ)げんとするも、順序違へば、労するとも功無かるべし。真に藩の疲弊を救はんとならば、民政も共に改革せらるべし、さ無き時は、木の根を捨置て、枝葉に肥(こやし)を施すが如し。是(これ)卿(けい)が尤(もっと)も心を用ひらるべき所にて、卿が職務なり、帰藩の上能々(よくよく)勘考せらるべしと。某氏感服感服と云ひて去れり。
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二宮翁夜話・巻之三翁(おきな)曰(いわ)く、哀公(あいこう)問ふ、年饑(う)ゑて用足らず是(これ)を如何(いかん)、有若(ゆうじゃく)答(こた)へて曰く、何ぞ徹(てっ)せざるやと。是(これ)面白(おもしろ)き道理なり。予(よ)常に人を諭(さと)す、一日十銭取て足らずんば、九銭取るべし、九銭取て足らずんば、八銭取るべしと。夫(そ)れ人の身代(しんだい)は、多く取れば益々(ますます)不足を生じ、少(すく)く取りても、不足なき物なり。是(これ)理外(りがい)の理なり。
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二宮翁夜話・巻之三翁(おきな)曰(いわ)く、何程(なにほど)勉強(べんきょう)すといへ共、何程倹約(けんやく)すといへ共、歳暮(さいぼ)に差支(さしつか)ふる時は、勉強も勉強にあらず、倹約も倹約にあらず。夫(そ)れ先(さき)んずれば、人を制(せい)し、後(おく)るれば、人に制せらるといふ事あり。倹約も先んぜざれば、用をなさず、後るる時は無益(むえき)なり。世の人此の理に暗(くら)し。譬(たと)へば千円の身代(しんだい)、九百円に減(へ)ると、先(ま)づ一年は他借(たしゃく)を以て暮す、故に又八百円に減るなり。此の時初めて倹約して、九百円にて暮す故に、又七百円に減る。又改革をして、八百円にて暮す。年々此の如くなる故、労(ろう)して功なく、終(つい)に滅亡(めつぼう)に陥(おちい)るなり。此の時に至りて、我(われ)不運なりなどと云ふ。不運なるにあらず、後るるが故に、借金に制せられしなり。只(ただ)此の一挙(いっきょ)、先んずると後るるとの違(たが)ひにあり。千円の身代にて九百円に減らば、速(すみや)かに八百円に引去(ひきさ)りて暮しを立つべし。八百円に減らば、七百円に引去るべし。之を先んずると云ふなり。譬へば難治(なんじ)の腫物(しゅもつ)の出来たる時は、手にても足にても断然(だんぜん)切りて捨(す)つるが如し。姑息(こそく)に流れ因循(いんじゅん)する時は、終に死に至り悔(く)いて及ばざるに至る。恐るべし。