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二宮翁夜話 / 巻之五

門人某居眠りの癖あり、翁曰、人の性は仁義礼智なり、下愚といへ共、此の性有らざる事なしとあり、されば汝等が如きも必ず此の性あれば、智も無かる可からず、然るを無智なるは磨かざるが故なれば、先づ道理の片端にても、弁へたし覚えたしと、願ふ心を起すべし、之を願を立つると云ふ、此の願立つ時は、人の咄を聞きて居眠りは出でざるべし、夫れ仁義礼智を家に譬ふれば、仁は棟、義は梁なり、礼は柱なり、智は土台なり、されば家の講釈をするには、棟梁柱土台と云ふもよし、家を作るには、先づ土台を据ゑ柱を立て梁を組んで棟を上ぐるが如く、講釈のみ為すには、仁義礼智と云ふべし、之を行ふには、智礼義仁と次第して、先づ智を磨き礼を行ひ義を蹈み仁に進むべし、故に大学には、智を致すを初歩と為り、夫れ瓦は磨けども玉にはならず、されど幾分の光を生じ且つ滑らかにはなる、是れ学びの徳なり、又無智の者は能く心掛けて、馬鹿なる事を為さぬ様にすべし、生れ付き馬鹿なりとも、馬鹿なる事をさへせざれば馬鹿にはあらず、智者たりとも、馬鹿なる事をすれば馬鹿なるべし。

書き下し

門人某(それがし)居眠(いねむ)りの癖(くせ)あり、翁曰く、人の性(せい)は仁義礼智なり、下愚(かぐ)といへ共(ども)、此の性有らざる事なしとあり、されば汝等(なんじら)が如きも必ず此の性あれば、智も無かる可(べ)からず、然るを無智なるは磨(みが)かざるが故なれば、先(ま)づ道理の片端(かたはし)にても、弁(わきま)へたし覚(おぼ)えたしと、願ふ心を起すべし、之を願を立つると云ふ、此の願立つ時は、人の咄(はなし)を聞きて居眠りは出でざるべし、夫れ仁義礼智を家に譬(たと)ふれば、仁は棟(むなぎ)、義は梁(はり)なり、礼は柱なり、智は土台なり、されば家の講釈をするには、棟梁柱土台と云ふもよし、家を作るには、先づ土台を据(す)ゑ柱を立て梁を組んで棟を上(あ)ぐるが如く、講釈のみ為すには、仁義礼智と云ふべし、之を行ふには、智礼義仁と次第して、先づ智を磨き礼を行ひ義を蹈(ふ)み仁に進むべし、故に大学には、智を致すを初歩と為り、夫れ瓦(かわら)は磨けども玉にはならず、されど幾分の光を生じ且(か)つ滑(なめ)らかにはなる、是れ学びの徳なり、又無智の者は能く心掛けて、馬鹿なる事を為さぬ様にすべし、生れ付き馬鹿なりとも、馬鹿なる事をさへせざれば馬鹿にはあらず、智者たりとも、馬鹿なる事をすれば馬鹿なるべし。

現代語訳

門人の某に居眠りの癖があった。翁が言われた。人の本性は仁義礼智である。どんなに愚かな者でも、この本性を持たない者はいない、という。だからお前たちのような者にも必ずこの本性があるのだから、智がないはずはない。それなのに無知なのは磨かないからだ。まず道理のほんの一端でも、わきまえたい覚えたいと願う心を起こすべきだ。これを「願を立てる」という。この願いが立てば、人の話を聞いて居眠りなど出るはずがない。そもそも仁義礼智を家にたとえれば、仁は棟、義は梁、礼は柱、智は土台である。だから家の講義をするには棟・梁・柱・土台と言ってもよい。家を建てるには、まず土台を据え、柱を立て、梁を組んで棟を上げるように、講義するだけなら仁義礼智と言えばよいが、これを実行するには智・礼・義・仁の順に、まず智を磨き、礼を行い、義を踏み、仁に進むべきだ。だから『大学』では智を致すことを初歩とする。瓦は磨いても玉にはならないが、それでも幾分かの光が出て滑らかになる。これが学びの効用である。また無知な者はよく心掛けて、馬鹿なことをしないようにすべきだ。生まれつき愚かでも、馬鹿なことさえしなければ馬鹿ではない。智者であっても、馬鹿なことをすれば馬鹿である。

解説

居眠りする門人を叱るのではなく、尊徳はまず「お前にも仁義礼智の本性がある」と励まします。無知は才能の欠如ではなく、磨いていないだけだというのです。学びの第一歩は「知りたい」と願う心=志を立てること。志さえ立てば眠気も消えると説きます。さらに仁義礼智を家の棟・梁・柱・土台にたとえ、学ぶ順序は土台である智から、と具体的に示します。瓦は玉にはならなくても磨けば光を増す――積み重ねを尊ぶ「積小為大」の姿勢がここにも表れています。才能を嘆く前に、まず学ぼうと願い、少しずつ磨く。そして賢い人でも愚かな行いをすれば台無しになる。日々の実践を重んじる、尊徳らしい実学の教えです。

この章句が説くこと

二宮翁夜話報徳仁義礼智願を立てる積小為大学問

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