二宮翁夜話 / 巻之三
翁曰、方今の世の中は虚にても、差支なきが如くなれども、是は其相手も、又虚なればなり、虚と虚なるが故に、隙なく滞りなし、譬ば雲助仲間の突合の如し、若虚を以て、実に対する時は、直に差支ふべし、譬ば百枚の紙、一枚とれば知れざるが如しといへ共、九十九枚目に到て不足す、百間の繩を五寸切るも同様、九十九間目に到て、其足らざるを知る、人の身代一日十銭取て、十五銭遣ひ、廿銭取て、廿五銭遣ふ時は、年の暮迄はしれずといへども、大卅日に至て、その不足あらはるゝなり、虚の実に対すべからざる、此の如し
新字:翁曰、方今の世の中は虚にても、差支なきが如くなれども、是は其相手も、又虚なればなり、虚と虚なるが故に、隙なく滞りなし、譬ば雲助仲間の突合の如し、若虚を以て、実に対する時は、直に差支ふべし、譬ば百枚の紙、一枚とれば知れざるが如しといへ共、九十九枚目に到て不足す、百間の縄を五寸切るも同様、九十九間目に到て、其足らざるを知る、人の身代一日十銭取て、十五銭遣ひ、廿銭取て、廿五銭遣ふ時は、年の暮迄はしれずといへども、大卅日に至て、その不足あらはるゝなり、虚の実に対すべからざる、此の如し
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、方今(ほうこん)の世の中は虚(うそ)にても、差支(さしつか)へなきが如くなれども、是(これ)は其(その)相手も、又虚(うそ)なればなり、虚と虚なるが故に、隙(げき)なく滞(とどこお)りなし、譬(たと)へば雲助(くもすけ)仲間の突合(つきあい)の如し、若(もし)虚を以て、実(じつ)に対(たい)する時は、直(ただち)に差支(さしつか)ふべし、譬へば百枚の紙、一枚とれば知れざるが如しといへども、九十九枚目に到(いた)て不足す、百間(ひゃっけん)の繩(なわ)を五寸切るも同様、九十九間目に到て、其(その)足らざるを知る、人の身代(しんだい)一日十銭取て、十五銭遣(つか)ひ、廿銭(にじっせん)取て、廿五銭遣ふ時は、年の暮(くれ)迄(まで)はしれずといへども、大卅日(おおみそか)に至て、その不足あらはるるなり、虚の実に対(たい)すべからざる、此の如し
現代語訳
翁が言われた。今の世の中は嘘でも差し支えないように見えるが、それはその相手もまた嘘だからである。嘘と嘘とだから、隙間もなく滞りもない。譬えれば雲助仲間の付き合いのようなものだ。もし嘘をもって誠実な相手に対するときは、たちまち差し支えるはずだ。譬えれば百枚の紙は一枚抜き取っても分からないようだが、九十九枚目に至って足りなくなる。百間の縄を五寸切るのも同様で、九十九間目に至ってその足りないことが分かる。人の身代も、一日に十銭稼いで十五銭使い、二十銭稼いで二十五銭使うときは、年の暮れまでは分からないけれども、大晦日に至ってその不足が現れるのだ。嘘が誠実に対抗できないのは、このようなものである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・離婁章句下孟子曰く、「言に實無きは不祥なり。不祥の實は、賢を蔽う者之に當る。」 <解説> この節は分かりにくい。朱注に云う、「或いは曰く、天下の言實に不祥なる者有る無し、惟れ賢を蔽い不祥の實を為すと、或いは曰く、言にして實無き者は不祥なり、故に賢を蔽い不祥の實を為す、二説同じからず、未だ孰れが是なるか知らず、疑うらくは或いは闕文有らん。」私は後説を採用し、かなり強引な解釈をした。やはり朱子の言うように闕分が有るのだろうか。
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尚書・周官德を作せば心逸んじて日々休く、偽を作せば心勞して日々拙し。
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論語・為政篇子曰く、詩三百、一言以て之を蔽えば、曰く、思い邪(よこしま)無しと。
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孟子・離婁章句上孟子曰く、「下位に居りて、上に獲られざれば、民得て治む可からざるなり。上に獲らるるに道有り。友に信ぜられずんば、上に獲られず。友に信ぜらるるに道有り。親に事えて悅ばれずんば、友に信ぜられず。親に悅ばるるに道有り。身に反して誠ならずんば、親に悅ばれず。身を誠にするに道有り。善に明らかならずんば、其の身に誠ならず。是の故に誠は、天の道なり。誠を思うは、人の道なり。至誠にして動かざる者は、未だ之れ有らざるなり。誠ならずして、未だ能く動かす者有らざるなり。」
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徒然草・第233段万の科あらじと思はば、何事にも誠ありて、人を分かず恭しく、言葉すくなからむには如かじ。男女老少みなさる人こそよけれども、殊に若くかたちよき人の、言うるはしきは、忘れがたく思ひつかるゝものなり。よろづのとがは、馴れたるさまに上手めき、所得たるけしきして、人をないがしろにするにあり。
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尚書・君陳至治は馨香にして、神明に感ず。黍稷は馨と非ず、明德のみ惟れ馨し。