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二宮翁夜話 / 巻之三

翁曰、何程勉強すといへ共、何程倹約すといへ共、歳暮に差支ふる時は、勉強も勉強にあらず、倹約も倹約にあらず。夫れ先んずれば、人を制し、後るれば、人に制せらるといふ事あり。倹約も先んぜざれば、用をなさず、後るる時は無益なり。世の人此の理に暗し。譬へば千円の身代、九百円に減ると、先づ一年は他借を以て暮す、故に又八百円に減るなり。此の時初めて倹約して、九百円にて暮す故に、又七百円に減る。又改革をして、八百円にて暮す。年々此の如くなる故、労して功なく、終に滅亡に陥るなり。此の時に至りて、我不運なりなどと云ふ。不運なるにあらず、後るるが故に、借金に制せられしなり。只此の一挙、先んずると後るるとの違ひにあり。千円の身代にて九百円に減らば、速に八百円に引去りて暮しを立つべし。八百円に減らば、七百円に引去るべし。之を先んずると云ふなり。譬へば難治の腫物の出来たる時は、手にても足にても断然切りて捨つるが如し。姑息に流れ因循する時は、終に死に至り悔いて及ばざるに至る。恐るべし。

書き下し

翁(おきな)曰(いわ)く、何程(なにほど)勉強(べんきょう)すといへ共、何程倹約(けんやく)すといへ共、歳暮(さいぼ)に差支(さしつか)ふる時は、勉強も勉強にあらず、倹約も倹約にあらず。夫(そ)れ先(さき)んずれば、人を制(せい)し、後(おく)るれば、人に制せらるといふ事あり。倹約も先んぜざれば、用をなさず、後るる時は無益(むえき)なり。世の人此の理に暗(くら)し。譬(たと)へば千円の身代(しんだい)、九百円に減(へ)ると、先(ま)づ一年は他借(たしゃく)を以て暮す、故に又八百円に減るなり。此の時初めて倹約して、九百円にて暮す故に、又七百円に減る。又改革をして、八百円にて暮す。年々此の如くなる故、労(ろう)して功なく、終(つい)に滅亡(めつぼう)に陥(おちい)るなり。此の時に至りて、我(われ)不運なりなどと云ふ。不運なるにあらず、後るるが故に、借金に制せられしなり。只(ただ)此の一挙(いっきょ)、先んずると後るるとの違(たが)ひにあり。千円の身代にて九百円に減らば、速(すみや)かに八百円に引去(ひきさ)りて暮しを立つべし。八百円に減らば、七百円に引去るべし。之を先んずると云ふなり。譬へば難治(なんじ)の腫物(しゅもつ)の出来たる時は、手にても足にても断然(だんぜん)切りて捨(す)つるが如し。姑息(こそく)に流れ因循(いんじゅん)する時は、終に死に至り悔(く)いて及ばざるに至る。恐るべし。

現代語訳

翁(二宮尊徳)が言われた。どれほど勤勉に働いても、どれほど倹約しても、年の暮れに支払いが滞るようでは、勤勉も勤勉ではなく、倹約も倹約ではない。「先んずれば人を制し、後るれば人に制せられる」という言葉がある。倹約も先手を打たなければ役に立たず、後手に回れば無益だ。世の人はこの道理に暗い。たとえば千円の身代が九百円に減ったとき、まず一年は借金で暮らす、だからまた八百円に減る。このとき初めて倹約して九百円で暮らすから、また七百円に減る。また立て直して八百円で暮らす。毎年こうだから、苦労しても功なく、ついに破滅に陥る。この期に及んで「自分は不運だ」などと言う。不運なのではない、後手に回ったから借金に振り回されたのだ。ただこの一点、先手か後手かの違いである。千円の身代が九百円に減ったなら、すぐに八百円に切り下げて暮らしを立てよ。八百円に減ったなら七百円に切り下げよ。これを先手を打つというのだ。たとえば治りにくい腫物ができたときは、手でも足でも思い切って切り捨てるようなものだ。その場しのぎでぐずぐずしていると、ついには死に至り、悔やんでも間に合わなくなる。恐るべきことである。

解説

倹約は「先手」でなければ意味がないと説く、報徳経済学の核心を成す一条です。収入が減ってから借金で穴埋めし、後追いで節約するやり方では、常に一歩遅れて坂を転げ落ち、ついに破綻する。尊徳はこれを「不運」ではなく「後手」の必然だと断じます。収入が下がったなら、その下がった額よりさらに低く暮らしを切り下げよ――これが「分度」を先んじて定める実践です。腫物は早く切り捨てよという譬えは、痛みを恐れて先送りする姑息さへの厳しい戒めです。危機の兆しに気づいたら、ためらわず身の丈を下げる。この決断の早さこそが家計や経営を救うという教えは、現代のリスク管理にもそのまま通じます。

この章句が説くこと

二宮翁夜話報徳分度倹約先手必勝危機管理

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