二宮翁夜話 / 巻之四
翁曰、凡事を成さんと欲せば、始に其終を詳にすべし、譬ば木を伐るが如き、未だ伐らぬ前に、木の倒るゝ処を、詳に定めざれば、倒れんとする時に臨んで、如何共仕方無し、故に、予印旛沼を見分する時も、仕上げ見分をも、一度にせんと云て、如何なる異変にても、失敗なき方法を工夫せり、相馬侯、興国の方法依頼の時も、着手より以前に百八十年の収納を調べて、分度の基礎を立たり、是荒地開拓、出来上りたる時の用心なり、我方法は分度を定むるを以て本とす、此分度を確乎と立て、之を守る事厳なれば、荒地何程あるも借財何程あるも、何をか懼れ何をか患へん、我富国安民の法は、分度を定むるの一ッなればなり、夫皇国は、皇国丈にて限れり、此外へ広くする事は決してならず、然れば十石は十石、百石は百石、其分を守るの外に道はなし、百石を二百石に増し、千石を二千石に増す事は、一家にて相談はすべけれ共、一村一同に為る事は、決して出来ざるなり、是安きに似て甚難事なり、故に分度を守るを我道の第一とす、能此理を明にして、分を守れば、誠に安穏にして、杉の実を取り、苗を仕立、山に植て、其成木を待て楽む事を得る也、分度を守らざれば先祖より譲られし大木の林を、一時に伐払ても、間に合ぬ様に成行く事、眼前なり、分度を越ゆるの過恐るべし、財産ある者は、一年の衣食、是にて足ると云処を定めて、分度として多少を論ぜず、分外を譲り、世の為をして年を積まば、其功徳無量なるべし、釈氏は世を救はんが為に、国家をも妻子をも捨たり、世を救ふに志あらば、何ぞ我分度外を、譲る事のならざらんや。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、凡(およ)そ事を成さんと欲せば、始に其(その)終を詳(つまびらか)にすべし、譬(たと)へば木を伐(き)るが如き、未(いま)だ伐らぬ前に、木の倒(たお)るゝ処を、詳に定めざれば、倒れんとする時に臨(のぞ)んで、如何(いか)共仕方無し、故に、予印旛沼(いんばぬま)を見分(けんぶん)する時も、仕上げ見分をも、一度にせんと云て、如何なる異変にても、失敗なき方法を工夫せり、相馬侯(そうまこう)、興国の方法依頼(いらい)の時も、着手より以前に百八十年の収納を調(しら)べて、分度(ぶんど)の基礎(きそ)を立たり、是(これ)荒地開拓、出来上りたる時の用心なり、我方法は分度を定むるを以て本とす、此分度を確乎(かっこ)と立て、之を守る事厳(げん)なれば、荒地何程あるも借財何程あるも、何をか懼(おそ)れ何をか患(うれ)へん、我(わが)富国安民の法は、分度を定むるの一ツなればなり、夫(それ)皇国は、皇国丈(だけ)にて限れり、此外へ広(ひろ)くする事は決してならず、然れば十石は十石、百石は百石、其分を守るの外に道はなし、百石を二百石に増し、千石を二千石に増す事は、一家にて相談はすべけれ共、一村一同に為る事は、決して出来ざるなり、是(これ)安きに似て甚(はなは)だ難事なり、故に分度を守るを我道の第一とす、能此理を明にして、分を守れば、誠に安穏(あんのん)にして、杉の実を取り、苗を仕立、山に植て、其成木を待て楽(たの)しむ事を得る也、分度を守らざれば先祖より譲(ゆず)られし大木の林を、一時に伐払(きりはら)ひても、間に合ぬ様に成行く事、眼前(がんぜん)なり、分度を越(こ)ゆるの過(あやまち)恐るべし、財産ある者は、一年の衣食、是にて足ると云処を定めて、分度として多少を論ぜず、分外を譲(ゆず)り、世の為をして年を積(つ)まば、其功徳無量なるべし、釈氏(しゃくし)は世を救(すく)はんが為に、国家をも妻子をも捨(す)てたり、世を救ふに志あらば、何ぞ我分度外を、譲る事のならざらんや。
現代語訳
翁が言われた。そもそも事を成し遂げようとするなら、まず初めにその結末を明らかにしておくべきだ。たとえば木を伐るように、まだ伐らないうちに木の倒れる先を詳しく定めておかなければ、倒れかかる時になってどうにも手の施しようがない。だから私は印旛沼を検分した時も、仕上げの検分までも一度で済ませようと考え、どんな異変が起きても失敗しない方法を工夫した。相馬侯から国の再興を依頼された時も、着手する前に百八十年分の収穫高を調べて、分度(財政の基準枠)の基礎を立てた。これは荒地開拓が成し遂げられた時のための用心である。私の方法は分度を定めることを根本とする。この分度をしっかりと立て、それを厳しく守れば、荒地がどれほどあろうと借財がどれほどあろうと、何を恐れ何を憂えることがあろうか。私の富国安民の法は、分度を定めるというこの一つに尽きるのだ。そもそも皇国は皇国の広さに限られている。これ以上外へ広げることは決してできない。だから十石は十石、百石は百石、その分を守るほかに道はない。百石を二百石に、千石を二千石に増やすことは、一家でなら相談してできようが、一村がこぞって行うことは決してできない。これは易しそうに見えて、じつに難しいことだ。だから分度を守ることを私の道の第一とする。よくこの理を明らかにして分を守れば、まことに安らかで、杉の実を取り、苗を仕立て、山に植えて、その成木を待って楽しむことができる。分度を守らなければ、先祖から譲り受けた大木の林を一度に伐り払っても間に合わなくなるのは目に見えている。分度を越える過ちは恐ろしい。財産のある者は、一年の衣食がこれで足りるという所を定めて、それを分度とし、多い少ないを論じず、分を越えた余りを譲り、世のために尽くして年を重ねれば、その功徳は計り知れないだろう。釈迦は世を救うために国家も妻子も捨てた。世を救う志があるなら、どうして自分の分度を越えた余りを譲れないことがあろうか。