二宮翁夜話 / 巻之五
下野国某の郷村、風俗頽廃する事甚し、葬地定所なく、或は山林原野、田畑宅地皆埋葬して忌ず、数年を経れば墓を崩し菽麦を植て又忌ず、故に荒地開拓、堀割り、畑捲り等の工事に、骸骨を掘出す事毎々あり、翁之を見て曰、夫骸骨腐朽すといへども、頭骨と脛骨とは必存す、如何となれば、頭は衆体の上に有て、尤功労多き頭脳を覆ひて、寒暑を受る事甚し、脛は衆体の下に有て、身体を捧げ持ち、功労尤多し、其人、世に有て功労多き処、没後百年其骨朽ず、其理感銘すべし、汝等頭脛の骨の如く、永く朽ざらん事を勤めよ、古歌に「滝のおとは絶て久しく成ぬれど名こそ流れて猶聞えけれ」とあり、本朝の神聖は勿論、孔子釈氏等も世を去る事三千年なり、然るに今に至て大成至聖文宣皇帝孔夫子と云ひ、大恩教主釈迦牟尼仏と云り、其人は死していと久く成ぬれど、名こそ我朝にまで、流れ来りて、猶聞へたれ、感ずべきなり、大凡人の勲功は、心と体との二ッの骨折に成る物なり、其骨を折て已まざる時は、必天助あり、古語に、之を思ひ思ひてやまざれば天之を助く、と云り、之を勤め勤めて已まざれば又天之を助く可し、世間心力を尽して、私なき者必功を成すは是が為なり、夫今の世の中に、勲功残りて、世界の有用となる処の物、後世に滅せずして、人の為に称讃せらるゝ処の者は皆悉く前代の人の骨折なり、今日此の如く国家の富栄盛大なるは、皆前代の聖賢君子の遺せる賜物にして、前代の人の骨折りなり、骨を折れや二三子、勉強せよ二三子。
書き下し
下野国(しもつけのくに)某(ぼう)の郷村、風俗頽廃(たいはい)する事甚(はなは)し、葬地(そうち)定所なく、或(あるい)は山林原野、田畑宅地皆埋葬(まいそう)して忌(いま)ず、数年を経(ふ)れば墓(はか)を崩(くず)し菽(まめ)麦(むぎ)を植(うえ)て又忌ず、故に荒地開拓、堀割り、畑捲(まく)り等の工事に、骸骨(がいこつ)を掘出す事毎々(まいまい)あり、翁(おきな)之を見て曰(いわ)く、夫(それ)骸骨腐朽(ふきゅう)すといへども、頭骨と脛骨(けいこつ)とは必ず存す、如何(いかん)となれば、頭は衆体(しゅうたい)の上に有りて、尤(もっと)も功労多き頭脳(ずのう)を覆(おお)ひて、寒暑を受くる事甚し、脛(はぎ)は衆体の下に有りて、身体を捧(ささ)げ持ち、功労尤も多し、其人、世に有りて功労多き処、没後(もつご)百年其骨(ほね)朽(く)ちず、其理感銘すべし、汝等(なんじら)頭脛(ずけい)の骨の如く、永く朽ちざらん事を勤めよ、古歌に「滝のおとは絶(た)えて久しく成りぬれど名こそ流れて猶(なお)聞えけれ」とあり、本朝の神聖は勿論、孔子釈氏(しゃくし)等も世を去る事三千年なり、然るに今に至りて大成至聖文宣皇帝孔夫子と云ひ、大恩教主釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)と云へり、其人は死していと久しく成りぬれど、名こそ我朝にまで、流れ来りて、猶聞へたれ、感ずべきなり、大凡(おおよそ)人の勲功(くんこう)は、心と体との二つの骨折(ほねおり)に成る物なり、其骨を折りて已(や)まざる時は、必ず天助あり、古語に、之を思ひ思ひてやまざれば天之を助く、と云へり、之を勤め勤めて已まざれば又天之を助く可し、世間心力を尽(つく)して、私(わたくし)なき者必ず功を成すは是が為なり、夫れ今の世の中に、勲功残りて、世界の有用となる処の物、後世に滅せずして、人の為に称讃(しょうさん)せらるゝ処の者は皆悉(ことごと)く前代の人の骨折なり、今日此の如く国家の富栄盛大なるは、皆前代の聖賢(せいけん)君子の遺(のこ)せる賜物(たまもの)にして、前代の人の骨折りなり、骨を折れや二三子(にさんし)、勉強せよ二三子。
現代語訳
下野国のある村は風俗の乱れがひどく、決まった墓地がなく、山林原野も田畑宅地も所かまわず埋葬して平気であり、数年経てば墓を崩して豆や麦を植えてまた平気であった。だから荒地開拓や堀割り、畑起こしなどの工事でしばしば骸骨を掘り出す。翁はこれを見て言われた。骸骨は腐り朽ちるといっても、頭の骨と脛の骨だけは必ず残る。なぜなら、頭は身体の一番上にあって、最も功労の多い頭脳を覆い、寒さ暑さをまともに受ける。脛は身体の一番下にあって、体を支え持ち、その功労は最も大きい。人が世にあって功労の多かったところは、死後百年経ってもその骨は朽ちない。この道理は心に刻むべきである。お前たちも頭や脛の骨のように、長く朽ちないことを心がけて努めよ。古歌に「滝の音は絶えて久しくなったが、その名声は流れ伝わって今も聞こえている」とある。わが国の神聖はもちろん、孔子や釈迦などもこの世を去って三千年になる。それなのに今に至るまで大成至聖文宣皇帝孔夫子と呼び、大恩教主釈迦牟尼仏と呼んでいる。その人は死んでずいぶん久しくなったのに、名声はわが国にまで流れ伝わってなお聞こえている。感嘆すべきことだ。おおよそ人の功績は、心と体の二つの骨折りによって成るものである。その骨を折ってやめない時は、必ず天の助けがある。古語に「これを思いに思ってやまなければ天がこれを助ける」とある。これを勤めに勤めてやまなければ、また天がこれを助けるであろう。世間で心と力を尽くして私心のない者が必ず功を成すのはこのためだ。今の世の中で、功績が残り、世界に役立ち、後世まで滅びずに人々から称讃される者は、みなことごとく前代の人の骨折りである。今日このように国家が富み栄えて盛大なのは、みな前代の聖賢君子が遺した賜物であって、前代の人の骨折りである。骨を折れよ諸君、勉強せよ諸君。
解説
この章句が説くこと
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二宮翁夜話・続篇翁(おきな)曰(いわ)く、若き者は、毎日能(よ)く勤めよ、是(これ)我が身に徳を積むなり。怠りなまけるを以て得と思ふは大なる誤なり。徳をつめば天より恵あること眼前なり。今雇人(やといにん)を以て譬(たと)へん、彼の男は能く働きて貞実(ていじつ)なり、来年は我が家に頼むべしといひ、能く勤むれば聟(むこ)に貰ふべしと云ふに至るものなり。是に反する者は、本年は取り極めたれば是非なし、来年は断るべしと云ふ様になるは眼前の事なり。無智短才(むちたんさい)なりとも能く謹み、能く顧み、身に過(あやまち)無き様にすべし。過ちは則(すなわ)ち身の疵(きず)なり。古語に「身体髪膚(しんたいはっぷ)之を父母に受く、敢(あえ)て毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり」とあり。人過てば身の疵となる事を知らず、傷さへせざればよしと思ふは違へり。且(かつ)過ちは身の疵なるのみならず、父母兄弟の顔をも汚すなり。慎まざるべけんや。
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二宮翁夜話・巻之一翁(おきな)高野某(こうのそれがし)を諭して曰(いわ)く、物各(おのおの)命(めい)あり数(すう)あり、猛火の近づくべからざるも、薪(たきぎ)尽(つ)くれば火は随(したがっ)てきゆるなり、矢玉の勢(いきおい)、あたる処必(かなら)ず破り必ず殺すも、弓勢(きゅうぜい)つき、薬力(やくりょく)尽くれば叢(くさむら)の間に落ちて、人に拾はるゝにいたる、人も其如し、おのれが勢、世に行はるゝとも、己(おのれ)が力と思ふべからず、親先祖より伝へ受けたる位禄(いろく)の力と、拝命したる官職の威光とによるが故なり、夫(そ)れ先祖伝来の位禄の力か、職の威光がなければ、いかなる人も、弓勢の尽(つき)たる矢、薬力の尽たる鉄炮玉(てっぽうだま)に異ならず、草間に落て、人に愚弄(ぐろう)さるゝに至るべし、思はずばあるべからず。
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二宮翁夜話・巻之五翁(おきな)曰(いわ)く、山の裾(すそ)、また池のほとりなどの窪(くぼ)き田畑などには大古(たいこ)の池沼(ちしょう)などの、自(おのづか)ら埋(うま)りて田畑となりたる処ある物なり、此処(ここ)は、凡(すべ)て肥良(ひりょう)の土の多くある物なれば、尋(たず)ねて掘出して、麁田麁畑(そでんそばた)に入るゝ時は大なる益あり、是を尋ねて掘り出すは天に対し国に対しての勤(つとめ)なり、励(はげ)みて勤むべし。
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二宮翁夜話・巻之三翁(おきな)曰(いわ)く、仏者(ぶっしゃ)も釈迦(しゃか)が有難(ありがた)く思はれ、儒者(じゅしゃ)も孔子が尊(たっと)く見ゆる内は、能く修行すべし。其の地位に至る時は、国家を利益(りやく)し、世を救(すく)ふの外(ほか)に道なく、世の中に益ある事を勤(つと)むるの外に道なし。譬(たと)へば山に登(のぼ)るが如し。山の高く見ゆる内は勤めて登るべし。登り詰(つ)むれば外に高き山なく、四方共に眼下(がんか)なるが如し。此の場(ば)に至りて、仰(あお)ぎて弥々(いよいよ)高きは只(ただ)天のみなり。此処(ここ)まで登るを修行と云ふ。天の外に高き物ありと見ゆる内は勤めて登るべし学ぶべし。
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二宮翁夜話・巻之一翁(おきな)曰(いわ)く、大事をなさんと欲せば、小さなる事を、怠らず勤むべし、小(しょう)積(つも)りて大となればなり、凡(およそ)小人(しょうじん)の常、大なる事を欲して、小さなる事を怠り、出来難(できがた)き事を憂ひて、出来易(できやす)き事を勤めず、夫故(それゆえ)、終(つい)に大なる事をなす事あたはず、夫(それ)大は小の積(つも)んで大となる事を知らぬ故なり、譬(たと)へば百万石の米と雖(いえど)も、粒の大なるにあらず、万町(まんちょう)の田を耕すも、其(その)業(わざ)は一鍬(ひとくわ)づゝの功にあり、千里の道も一歩づゝ歩みて至る、山を作るも一簣(いっき)の土よりなる事を明かに弁(わきま)へて、励精(れいせい)小さなる事を勤めば、大なる事必(かならず)なるべし、小さなる事を忽(ゆるがせ)にする者、大なる事は必(かならず)出来ぬものなり。
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二宮翁夜話・巻之一翁(おきな)曰(いわ)く、道の行はるるや難し、道の行はれざるや久し。その才ありといへども、その力なき時は行はれず。其才(そのさい)その力ありといへども、其徳(そのとく)なければ又行はれず。其徳ありといへども、その位(くらい)なき時は又行はれず。然れども是は是(これこれ)大道を国天下(くにてんか)に行ふの事なり。その難き勿論(もちろん)なり。然れば何ぞ此人なきを憂(うれ)へんや。何ぞ其位なきを憂へんや。茄子(なす)をならするは茄子作り能(よ)くすべし。馬を肥(こや)すは馬士(まご)能くすべし。一家を斉(ととの)ふるは亭主能くすべし。或(あるい)は兄弟親戚相結んで行ひ、或は朋友同志相結んで行ふべし。人々此道を尽し、家々此道を行ひ、村々此道を行はば、豈(あに)国家興復(こうふく)せざる事あらんや。