師導古典を学びたいすべての人に

二宮翁夜話 / 巻之五

翁曰、世人の常情、明日食ふ可き物なき時は、他に借に行んとか、救ひを乞んとかする心はあれども、弥明日は食ふべき物なしと云時は、釜も膳椀も洗ふ心なし、と云へり、人情実に恐るべく尤の事なれども、此心は困窮其身を離れざるの根元なり、如何となれば、日々釜を洗ひ膳椀を洗ふは明日食はんが為にして、昨日迄用ひし恩の為に、洗ふにあらず、是心得違なり、たとへ明日食ふ可き物なしとも、釜を洗ひ膳も椀も洗ひ上げて餓死すべし、是今日迄用ひ来りて、命を繋ぎたる、恩あれば也、是恩を思ふの道なり、此心ある者は天意に叶ふ故に長く富を離れざるべし、富と貧とは、遠き隔あるにあらず、明日助らむ事のみを思ひて、今日までの恩を思ざると、明日助らむ事を思ふては、昨日迄の恩をも忘れざるとの二ッのみ、是大切の道理也、能々心得べし、仏家にては、此世は仮の宿、来世こそ大切なれと教ゆ、来世の大切なるは、勿論なれど、今世を仮の宿として、軽んずるは誤れり、今一草を以て之を譬ん、夫草となりては、来世の実の大切なるは、無論なりといへども、来世好き実を結ばんには、現世の草の時、芽立より出精して、露を吸ひ肥しを吸ひ根を延し葉を開き、風雨を凌ぎ、昼夜精気を運びて根を太らせ、枝葉を茂らせ、好き花を開く事を、丹精せざれば、来世好き実となる事を得ず、されば草の現世こそ大切なれ、人も其如く、来世のよからん事を願はゞ、現世に於て邪念を断ち身を慎み道を蹈み、善行を勤むるにあり、現世にて人の道を蹈ず、悪行をなしたる者いづくんぞ、来世安穏なる事を得んや、夫地獄は悪事を為したる者の、死後に遣らるゝ処、極楽は善事を為したる者の行処なる事、鏡に掛けて明なれば、来世の善悪は、現世の行ひにあり、故に現世を大切にして、過去を思ふべき也、先此身は如何にして生れ出しやと、跡を振返りて見る是なり、論語にも、生を知らざれば焉ぞ死を知らん、と云り、夫性は天の令命なり、身体は父母の賜なり、其元天地の令命と父母の丹精とに出づ、先此理より窮めて、天徳に報ひ、父母の恩に報う行ひを立べし、性に率ひて道を蹈むは、人の勤なり、此勤を励む時は、来世は願はずして、安穏なる事疑ひなし、何ぞ現世を仮の宿と軽んじ、来世のみを大切とせんや、夫現在に君あり、父母あり妻子あり、是現世の大切なる所以なり、釈氏の之を捨て、世外に立しは、衆生を済度せんが為なり、世を救はんには、世外に立ざれば、広く救ひ難きが故なり、譬ば己が坐して居る畳を揚んとする時は、己外に移らざれば、揚ぐ可らざるが如くなればなり、然るに世間一身を善くせんが為に、君父妻子を捨るは迷へるなり、然れども僧侶は其法を伝へたる者なれば、世外の人なるが故に別なり、混ずべからず、是君子小人の別るゝ処にして、我道の安心立命は爰にあり、惑ふべからず。

書き下し

翁(おきな)曰(いわ)く、世人の常情(じょうじょう)、明日食ふべき物なき時は、他に借(かり)に行かんとか、救ひを乞(こ)はんとかする心はあれども、弥(いよいよ)明日は食ふべき物なしと云ふ時は、釜(かま)も膳椀(ぜんわん)も洗ふ心なし、と云へり、人情実に恐るべく尤(もっと)もの事なれども、此の心は困窮其の身を離れざるの根元なり、如何(いか)となれば、日々釜を洗ひ膳椀を洗ふは明日食はんが為にして、昨日迄用ひし恩の為に、洗ふにあらず、是(これ)心得違(ちが)ひなり、たとへ明日食ふべき物なしとも、釜を洗ひ膳も椀も洗ひ上げて餓死すべし、是今日迄用ひ来りて、命を繋(つな)ぎたる、恩あればなり、是恩を思ふの道なり、此の心ある者は天意に叶ふ故に長く富を離れざるべし、富と貧とは、遠き隔(へだて)あるにあらず、明日助からむ事のみを思ひて、今日までの恩を思はざると、明日助からむ事を思ふては、昨日迄の恩をも忘れざるとの二つのみ、是大切の道理なり、能々(よくよく)心得べし、仏家にては、此の世は仮(かり)の宿、来世こそ大切なれと教ゆ、来世の大切なるは、勿論なれど、今世を仮の宿として、軽んずるは誤(あやま)れり、今一草を以て之を譬(たと)へん、夫(それ)草となりては、来世の実の大切なるは、無論なりといへども、来世好(よ)き実を結ばんには、現世の草の時、芽立(めだち)より出精して、露を吸ひ肥(こやし)を吸ひ根を延し葉を開き、風雨を凌(しの)ぎ、昼夜精気を運びて根を太らせ、枝葉を茂(しげ)らせ、好き花を開く事を、丹精せざれば、来世好き実となる事を得ず、されば草の現世こそ大切なれ、人も其の如く、来世のよからん事を願はゞ、現世に於て邪念を断(た)ち身を慎(つつし)み道を蹈(ふ)み、善行を勤むるにあり、現世にて人の道を蹈まず、悪行をなしたる者いづくんぞ、来世安穏(あんのん)なる事を得んや、夫地獄(じごく)は悪事を為したる者の、死後に遣(や)らるゝ処、極楽(ごくらく)は善事を為したる者の行く処なる事、鏡に掛けて明らかなれば、来世の善悪は、現世の行ひにあり、故に現世を大切にして、過去を思ふべきなり、先(ま)づ此の身は如何にして生れ出でしやと、跡を振返りて見る是なり、論語にも、生を知らざれば焉(いずく)んぞ死を知らん、と云へり、夫性(せい)は天の令命なり、身体は父母の賜(たまもの)なり、其の元天地の令命と父母の丹精とに出づ、先づ此の理より窮(きわ)めて、天徳に報ひ、父母の恩に報ゆる行ひを立つべし、性に率(したが)ひて道を蹈むは、人の勤(つとめ)なり、此の勤を励む時は、来世は願はずして、安穏なる事疑ひなし、何ぞ現世を仮の宿と軽んじ、来世のみを大切とせんや、夫現在に君あり、父母あり妻子あり、是現世の大切なる所以(ゆえん)なり、釈氏(しゃくし)の之を捨てて、世外に立ちしは、衆生(しゅじょう)を済度(さいど)せんが為なり、世を救はんには、世外に立たざれば、広く救ひ難きが故なり、譬ば己が坐して居る畳を揚げんとする時は、己外に移らざれば、揚ぐべからざるが如くなればなり、然るに世間一身を善くせんが為に、君父妻子を捨つるは迷へるなり、然れども僧侶は其の法を伝へたる者なれば、世外の人なるが故に別なり、混ずべからず、是君子小人の別るゝ処にして、我が道の安心立命(あんじんりゅうめい)は爰(ここ)にあり、惑(まど)ふべからず。

現代語訳

翁が言われた。世間の人の常情として、明日食べるものがないときは、他人に借りに行こうとか救いを乞おうとかいう心はあるが、いよいよ明日は食べるものがないというときは、釜も膳も椀も洗う気になれない、という。人情としてまことにもっともで恐ろしいことだが、この心こそ困窮が身を離れない根本である。なぜなら、日々釜を洗い膳椀を洗うのは明日食べるためであって、昨日まで使った恩のために洗うのではない――これが心得違いだ。たとえ明日食べるものがなくとも、釜を洗い膳も椀も洗い上げて餓死すべきである。これは今日まで使い続けて命をつないできた恩があるからだ。これが恩を思う道である。この心のある者は天意にかなうから、長く富を離れることはない。富と貧とは、遠く隔たったものではない。明日助かることばかりを思って今日までの恩を思わないのと、明日助かることを思いつつ昨日までの恩も忘れないのと、この二つの違いだけである。これは大切な道理だ、よくよく心得よ。仏家では、この世は仮の宿、来世こそ大切だと教える。来世が大切なのはもちろんだが、今の世を仮の宿として軽んじるのは誤りだ。今、一本の草でこれを譬えよう。草にとって来世の実が大切なのはもちろんだが、来世よい実を結ぶには、現世の草のとき、芽生えから精を出し、露を吸い肥やしを吸い、根を延ばし葉を開き、風雨をしのぎ、昼夜精気を運んで根を太らせ、枝葉を茂らせ、よい花を開くよう丹精しなければ、来世よい実を結ぶことはできない。だから草の現世こそ大切なのだ。人も同じで、来世のよいことを願うなら、現世で邪念を断ち身を慎み道を踏み、善行に努めることにある。現世で人の道を踏まず悪行をなした者が、どうして来世安穏でいられようか。地獄は悪事をなした者が死後に送られる所、極楽は善事をなした者の行く所であることは、鏡に映すように明らかだから、来世の善悪は現世の行いにある。ゆえに現世を大切にして過去を思うべきだ。まずこの身はどうして生まれ出たのかと、来し方を振り返ってみることである。論語にも「生を知らなければどうして死を知ろう」とある。そもそも性は天の命令であり、身体は父母の賜物である。その根本は天地の命令と父母の丹精から出ている。まずこの理を窮めて、天の徳に報い、父母の恩に報いる行いを立てるべきだ。性に従って道を踏むのは人の務めである。この務めに励むときは、来世は願わずとも安穏であること疑いない。どうして現世を仮の宿と軽んじ、来世だけを大切にしようか。現在に主君があり、父母があり妻子がある。これが現世の大切なゆえんである。釈迦がこれを捨てて世の外に立ったのは、衆生を救済するためである。世を救うには世の外に立たなければ広く救いにくいからだ。譬えば自分が座っている畳を持ち上げようとするとき、自分がその外に移らなければ持ち上げられないようなものだ。それなのに世間で自分一身をよくするために主君や父母、妻子を捨てるのは迷いである。ただし僧侶はその教えを伝える者だから、世外の人であるゆえに別だ、混同してはならない。ここが君子と小人の分かれるところであり、私の道の安心立命はここにある。惑ってはならない。

解説

「恩を思う心」を貧富の分かれ目として説き、来世偏重の仏教観を退けて現世の大切さを説く長大な一条です。明日食べる物がなくとも釜や膳を洗い上げて死ね――今日まで命をつないでくれた道具への恩を忘れるなという教えは、報徳思想の根幹「報恩」を鮮烈に示します。草がよい実を結ぶには現世で丹精を尽くすほかないように、来世を願うなら現世で善行に励めと諭し、性は天の命、身は父母の賜という根本から、天と父母への報恩の行いを立てよと説きます。目の前の務めを誠実に果たすことこそ安心立命への道だとするこの現世肯定の姿勢は、いまを生きる私たちに、日々の営みと周囲への感謝を大切にする指針を与えてくれます。

この章句が説くこと

二宮翁夜話報徳報恩現世肯定至誠安心立命

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる