二宮翁夜話 / 巻之五
翁曰、予不幸にして、十四歳の時父に別れ、十六歳のをり母に別れ、所有の田地は、洪水の為に残らず流失し、幼年の困窮艱難実に心魂に徹し、骨髄に染み、今日猶忘るゝ事能はず、何卒して世を救ひ国を富し、憂き瀬に沈む者を助けたく思ひて、勉強せしに、斗らずも又天保両度の飢饉に遭遇せり、是に於て心魂を砕き、身体を粉にして、弘く此飢饉を救はんと勤めたり、其方法は本年は季候悪し、凶歳ならんと、思ひ定めたる日より、一同申合せ、非常に勤倹を行ひ、堅く飲酒を禁じ、断然百事を抛ちて、其用意をなしたり、其順序は先申合せて、明地空地を開き、木綿畑を潰して瓜哇薯蕎麦菜種大根蕪菜等の食料になるべき物を、蒔付る手配を尽し、土用明け迄は隠元豆も遅からねば、奥の種を求めて多く蒔せ、夫より早稲を刈取り、干田は耕して麦を蒔き、金銭を惜まず、元肥を入れて培養し、夫より畑の菜種の苗を抜て田に移し植えて、食料の助とせり、此の如く其土地土地に於て油断なく勉強せば、意外に食料を得べし、凶荒の兆あらば油断なく食料を求る工夫を尽すべし。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、予(よ)不幸にして、十四歳の時父に別れ、十六歳の折(おり)母に別れ、所有の田地は、洪水の為に残らず流失し、幼年の困窮(こんきゅう)艱難(かんなん)実に心魂(しんこん)に徹(てっ)し、骨髄(こつずい)に染(し)み、今日猶(なお)忘るゝ事能(あた)はず、何卒(なにとぞ)して世を救ひ国を富(とま)し、憂(う)き瀬(せ)に沈む者を助けたく思ひて、勉強せしに、斗(はか)らずも又天保両度の飢饉に遭遇(そうぐう)せり、是に於て心魂を砕(くだ)き、身体を粉(こ)にして、弘(ひろ)く此の飢饉を救はんと勤めたり、其の方法は本年は季候悪(あ)し、凶歳ならんと、思ひ定めたる日より、一同申合せ、非常に勤倹(きんけん)を行ひ、堅く飲酒を禁じ、断然(だんぜん)百事を抛(なげう)ちて、其の用意をなしたり、其の順序は先(ま)づ申合せて、明地(あきち)空地を開き、木綿畑を潰(つぶ)して瓜哇薯(じゃがたらいも)蕎麦(そば)菜種(なたね)大根蕪菜(かぶな)等の食料になるべき物を、蒔付(まきつ)くる手配を尽し、土用明け迄は隠元(いんげん)豆も遅からねば、奥の種を求めて多く蒔(ま)かせ、夫(それ)より早稲(わせ)を刈取り、干田は耕(たがや)して麦を蒔き、金銭を惜(お)しまず、元肥(もとごえ)を入れて培養(ばいよう)し、夫より畑の菜種の苗を抜きて田に移し植ゑて、食料の助(たすけ)とせり、此の如く其の土地土地に於て油断なく勉強せば、意外に食料を得べし、凶荒(きょうこう)の兆(きざし)あらば油断なく食料を求むる工夫を尽すべし。
現代語訳
翁が言われた。私は不幸にも十四歳のとき父に、十六歳のとき母に死に別れ、所有の田地は洪水のために残らず流失した。幼少期の困窮と艱難は実に心の底に徹し、骨の髄まで染み込んで、今なお忘れることができない。何とかして世を救い国を富ませ、つらい境遇に沈む者を助けたいと思って励んでいたところ、思いがけずまた天保の二度の飢饉に遭遇した。そこで心魂を砕き、身を粉にして、広くこの飢饉を救おうと努めた。その方法は、今年は季候が悪い、凶年になるだろうと思い定めた日から、一同で申し合わせて非常なる倹約に努め、固く飲酒を禁じ、断固としてすべてを投げうって備えをした。その順序は、まず申し合わせて空き地を開墾し、木綿畑をつぶしてじゃがいも・蕎麦・菜種・大根・蕪菜など食料になるものを蒔きつける手配を尽くし、土用明けまでは隠元豆もまだ遅くないので、奥地の種を求めて多く蒔かせ、それから早稲を刈り取り、乾いた田は耕して麦を蒔き、金を惜しまず元肥を入れて培養し、さらに畑の菜種の苗を抜いて田に移し植え、食料の助けとした。このように各々の土地で油断なく努力すれば、意外なほど食料を得られる。凶作の兆しがあれば油断なく食料を求める工夫を尽くすべきである。
解説
この章句が説くこと
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二宮翁夜話・巻之五翁(おきな)曰(いわ)く、天保七年の十二月、桜町支配下四千石の村に諭(さと)し、毎家所持の米麦雑穀(ざっこく)の俵数(ひょうすう)を取調(とりしら)べさせ、米は勿論大小麦、大小豆、何にても一人に付き、俵数五俵づゝの割り合を以て、銘々(めいめい)貯(たくわ)へ置き、其の余所持の俵数は勝手次第に売出すべし、此の節程穀価(こくか)の高き事は、二度とあるまじ、誠に売るべき時は此の時なり、速(すみやか)に売りて金となすべし、金不用ならば、相当の利足(りそく)にて預(あず)り遣(つか)はすべし、且(かつ)当節売出すは、平年施(ほどこ)すよりも功徳多し、何方(いずかた)へなり共売出すべし、一人五俵の割に、不足の者、又貯(たくわえ)なき者の分は、当方にて慥(たしか)に備(そな)へ置くべき間、安心すべし、決して隠し置くに及ばず、詳細に取調べて届け出づべしと言ひて四千石村々の、毎戸の余分は売出させ、毎戸の不足の分は、郷蔵(ごうぐら)に積囲(つみかこ)ひ、其の余は漸次(ぜんじ)倉を開きて、烏山(からすやま)領を始め、皆他領他村へ出して救助したり、他の窮(きゅう)を救ふには先(ま)づ自分支配の村々の安心する様に方法を立て、而(しか)して後に他に及ぼすべし。
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二宮翁夜話・巻之五翁(おきな)曰(いわ)く、天保四年同七年、両度の凶歳七年尤(もっと)も甚(はなは)だし、早春より引続き、季候不順にして梅雨(さみだれ)より土用に降り続き、季候寒冷(かんれい)にして、陰雨(いんう)曇天のみ、晴日稀(まれ)なり、晴ると思へば曇り、曇ると思へば雨降る、予(よ)土用前より、之を憂(うれ)ひ心を用ひしに、土用に差掛り空の気色(けしき)何となく秋めき、草木に触るゝ風も、何となく秋風めきたり、折節(おりふし)他より、新茄子(なすび)到来せるを、糠味噌(ぬかみそ)に付けて食せしに、自然秋茄子(なす)の味(あじ)あり、是に依て意を決(けっ)し、其の夕より、凶歳の用意に心を配(くば)り、人々を諭(さと)して、其の用意を為さしめ、其の夜終夜書状を作りて諸方に使を発して、凶歳の用意一途に尽力したり、其の方法は明き地空地は勿論、木綿(もめん)の生立ちたる畑を潰(つぶ)し、荒地廃地を起して、蕎麦(そば)大根蕪菁菜(かぶらな)胡蘿葡(にんじん)等を、十分に蒔付させ、粟(あわ)稗(ひえ)大豆等惣(すべ)て食料になるべき物の耕作培養(ばいよう)精細を尽させ、又穀物の売物ある時は、何品に限らず、皆之を買入れ、既に借入れの抵当(ていとう)なく貸金の証文を抵当に入れて、金を借用したり、此の飢饉の用意を、諸方に通知したる内、厚く信じて能(よ)く取り行ひたるは、谷田部茂木(もてぎ)領邑(りょうゆう)なり、此の通知を得るや、其の使と同道にて、郡奉行自(みずか)ら馬に鞭(むち)打ちて来りて、其の方法を問ひ、急ぎ帰りて郡奉行代官役等、属官(ぞっかん)を率(ひき)ゐて、村里に臨(のぞ)み懇々(こんこん)説諭(せつゆ)して、先(ま)づ木綿畑を潰し、荒地を起し廃地を挙げて食料になるべき蕎麦大根の類を蒔付けたる事夥(おびただ)しく、堂寺の庭迄も説諭して蕎麦大根を蒔かせたりと云へり、下野国真岡(もおか)近郷は、真岡木綿の出る土地なれば、木綿畑尤も多し、其の木綿畑を潰して、蕎麦を蒔替(まきか)ふるを愚民殊(こと)の外歎(なげ)く者あり、又苦情を鳴(なら)す者あり、仍(よっ)て愚民明らめのため、所々に一畝づゝ、尤も出来方の宜敷(よろしき)木綿畑を残し置きたるに、綿実(わたのみ)一つも結ばず、秋に至りて初めて予が説を信じたりと聞けり、愚民の諭し難きには殆(ほとん)ど困却(こんきゃく)せり、又秋田を刈取りたる干田に、大麦を手の廻る丈け多く蒔かせ、夫(それ)より畑に蒔きたる菜種の苗を、田に移し植ゑて、食料の助(たすけ)にせり、凶歳の時は油断なく、手配(てくば)りして食物を多く作り出すべし、是(これ)予が飢饉を救ひし方法の大略なり。
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二宮翁夜話・巻之五翁(おきな)曰(いわ)く、予(よ)此の時駿州御厨(みくりや)郷、飢民の撫育(ぶいく)を扱(あつか)ふ、既に米金尽き術計(じゅっけい)なし、仍(よっ)て郷中に諭(さと)して曰く、昨年の不熟(ふじゅく)六十年に稀(まれ)なり、然(しか)りといへども、平年農業を出精して米麦を余し、心掛宜敷(よろしき)ものは差閊(さしつかえ)有るまじ、今飢(う)ゑる者は平年惰農(だのう)にして、米麦を取る事少く、遊楽を好み博奕(ばくえき)を好み飲酒に耽(ふけ)り、放蕩(ほうとう)無頼(ぶらい)心掛宜しからざる者なれば、飢ゑるは天罰と云ひて可なり、然らば救はず共可なるが如しといへ共、乞食(こじき)となるものを見よ、無頼悪行、是より甚しく、終(つい)に処を離れて、乞食する者なれば、悪(にく)むべきの極なり、されども、是をさへ憐(あわ)れんで、或は一銭を施し、或は一握(にぎり)の米麦を施すは、世間の通法なり、今日の飢民は、是と異(こと)なり、元一村同所に生れ同水をのみ同風に吹かれ、吉凶葬祭相共に、助け来れる因縁(いんねん)浅からねば、何ぞ見捨てて救はざるの理あらんや、今予飢民の為に、無利足(むりそく)十ケ年賦の金を貸与へて是を救はんとす、然りといへども飢ゑに望む程のものは、困究(こんきゅう)甚しければ、返納は必ず出来ざるべし、仍て来年より、差支なく救を受けざる者といへども、日々乞食に施すと思ひ、銭十文又廿(にじゅう)文を出すべし、其の以下中下のものは、銭七文又五文を出すべし、来年豊年ならば、天下豊かならん、御厨郷のみ、乞食に施さゞるも、国中の乞食、飢ゑる事あらじ、乞食に施す米銭を以て、彼が返納を補(おぎな)はゞ、自(みずか)ら損せずして、飢民を救ふべし、是(これ)両全(りょうぜん)の道にあらずや、と諭せしに郡中の者一同、感戴(かんたい)して承諾せり、仍て役所より、無利子金を十ケ年賦に貸渡して、大に救助する事を得たり、是上に一銭の損なくして、下に一人の飢民なく、安穏(あんのん)に飢饉を免(まぬが)れたり、此の時小田原領のみにして、救助せし人員を、村々より書上げたる処、四万三百九十余人なりき。
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二宮翁夜話・巻之五翁(おきな)曰(いわ)く、世の学者皆草根木葉(そうこんもくよう)等を調(しら)べて、是(これ)も食すべし彼(かれ)も食すべしと云ふといへ共(ども)、予(よ)は聞くを欲(ほっ)せず、如何(いか)となれば自(みずか)ら食して、能(よ)く経験(けいけん)せるにはあらざれば、甚(はなは)だ覚束(おぼつか)なし、且(かつ)かゝる物を頼(たの)みにせば、凶歳(きょうさい)の用意自(おのず)から怠(おこた)りて世の害となるべし、夫(それ)よりも凶歳飢饉(ききん)の惨状(さんじょう)、甚(はなはだ)しきを述(の)ぶる事、僧侶(そうりょ)地獄(じごく)の有様を絵に書きて、老婆を諭(さと)すが如く、懇々(こんこん)説き諭して、村毎(むらごと)に積穀(せきこく)を成す事を勧(すす)むるの勝(まさ)れるに如(し)かざるべし、故に予は草根木皮(そうこんぼくひ)を食すべしと決して言はず、飢饉の恐るべく、囲穀(かこいこく)の為さゞるべからざる事をのみ諭して、囲穀をなさしむるを務(つとめ)とす。
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二宮翁夜話・巻之五救荒(きゅうこう)の事を詳(つまびら)かに説き、草木の根幹皮葉(こんかんひよう)等食(しょく)すべき物数十種を調(しら)べ、且(かつ)其(そ)の調理法(ちょうりほう)等を記せし、小冊(しょうさつ)を贈(おく)れる人あり、翁(おきな)曰(いわ)く、草根木葉(そうこんもくよう)等、平日少しづゝ食して試(こころ)むる時は、害なき物も、是(これ)を多食(たしょく)し日を重(かさ)ぬる時は病(やまい)を生ずる物なり、軽々(かるがる)しく食するは悪(あ)しき事なり、故に、予(よ)は天保両度の飢饉(ききん)の時、郡村(ぐんそん)に諭(さと)すに、草根木葉等を食せよと云ふ事は、決して云はず、病を生ずる事を恐(おそ)るゝが故なり、飢民(きみん)自(みずか)ら食するは仕方なけれど、牧民(ぼくみん)の職に居る者、飢民に向ひて、草根木皮を食せよと云ひ、且之を食せしむるは、甚(はなは)だ悪しゝ、之を食する時は、一時の飢(うえ)は補(おぎな)ふべしといへ共(ども)、病を生ずる時は救(すく)ふべからず、恐れざるべけんや、されば人を殺(ころ)すに杖(つえ)と刃(やいば)との譬(たとえ)と、何ぞ異(こと)ならん、是深く恐るべき処なり、然(しか)といへども、食なければ死を免(まぬか)るべからず、之を如何(いか)んせん、是深く考へずばあるべからざる所以(ゆえん)なり、予之に依(よ)りて、飢人(きにん)を救ひて、病を生ずるの恐(おそれ)なき方法を設(もう)けて、烏山(からすやま)、谷田部(やたべ)茂木(もてぎ)、下館(しもだて)、小田原等の領邑(りょうゆう)に施(ほどこ)したり、されば是等の書は、予が為(な)る処と異る物なれば、予は取らざる也(なり)。
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二宮翁夜話・続篇翁(おきな)曰(いわ)く、季候(きこう)あしく、本年は凶歳(きょうさい)にもならんかと云ふ様なる模様あらば、食料になるべきジヤガタラ芋を早く掘り取りて、直(ただち)に明畑(あきばた)に肥(こや)して植付くべし。次に大根、蕪(かぶ)なり。次に蕎麦(そば)なり。此の蕎麦を蒔(ま)く時に、そば種の中へ油菜(あぶらな)の種を交ぜて蒔くべし。然(しか)する時は蕎麦実のりて刈取る時には、菜も大きく成るなり。之を蕎麦と共に刈取るも、根も茎も残りてあれば、害無し。そばを刈取りて直に肥しをなし、中打(なかうち)手入れをすれば、忽(たちま)ち菜畑となつて栄ゆる物なり。山畑などには必ず此の作法を用ふべし。