師導古典を学びたいすべての人に

二宮翁夜話 / 巻之五

翁曰、天保四年同七年、両度の凶歳七年尤甚し、早春より引続き、季候不順にして梅雨より土用に降り続き、季候寒冷にして、陰雨曇天のみ、晴日稀なり、晴ると思へば曇り、曇ると思へば雨降る、予土用前より、之を憂ひ心を用ひしに、土用に差掛り空の気色何となく秋めき、草木に触るゝ風も、何となく秋風めきたり、折節他より、新茄子到来せるを、糠味噌に付て食せしに、自然秋茄子の味あり、是に依て意を決し、其夕より、凶歳の用意に心を配り、人々を諭して、其の用意を為さしめ、其夜終夜書状を作りて諸方に使を発して、凶歳の用意一途に尽力したり、其の方法は明き地空地は勿論、木綿の生立たる畑を潰し、荒地廃地を起して、蕎麦大根蕪菁菜胡蘿葡等を、十分に蒔付させ粟稗大豆等惣て食料になるべき物の耕作培養精細を尽させ、又穀物の売物ある時は、何品に限らず、皆之を買入れ、既に借入れの抵当なく貸金の証文を抵当に入れて、金を借用したり、此飢饉の用意を、諸方に通知したる内、厚く信じて能取行ひたるは、谷田部茂木領邑なり、此通知を得るや、其使と同道にて、郡奉行自ら馬に鞭打て来りて、其方法を問ひ、急ぎ帰て郡奉行代官役等、属官を率て、村里に臨み懇々説諭して、先木綿畑を潰し、荒地を起し廃地を挙げて食料になるべき蕎麦大根の類を蒔付けたる事夥しく、堂寺の庭迄も説諭して蕎麦大根を蒔せたりと云り、下野国真岡近郷は、真岡木綿の出る土地なれば、木綿畑尤多し、其木綿畑を潰して、蕎麦を蒔替るを愚民殊の外歎く者あり、又苦情を鳴す者あり、仍て愚民明らめのため、所々に一畝づゝ、尤出来方の宜敷木綿畑を残し置たるに、綿実一ッも結ばず、秋に至て初て予が説を信じたりと聞けり、愚民の諭し難きには殆ど困却せり、又秋田を刈取りたる干田に、大麦を手の廻る丈け多く蒔せ、夫より畑に蒔たる菜種の苗を、田に移し植えて、食料の助にせり、凶歳の時は油断なく、手配りして食物を多く作り出すべし、是予が飢饉を救ひし方法の大略なり。

書き下し

翁(おきな)曰(いわ)く、天保四年同七年、両度の凶歳七年尤(もっと)も甚(はなは)だし、早春より引続き、季候不順にして梅雨(さみだれ)より土用に降り続き、季候寒冷(かんれい)にして、陰雨(いんう)曇天のみ、晴日稀(まれ)なり、晴ると思へば曇り、曇ると思へば雨降る、予(よ)土用前より、之を憂(うれ)ひ心を用ひしに、土用に差掛り空の気色(けしき)何となく秋めき、草木に触るゝ風も、何となく秋風めきたり、折節(おりふし)他より、新茄子(なすび)到来せるを、糠味噌(ぬかみそ)に付けて食せしに、自然秋茄子(なす)の味(あじ)あり、是に依て意を決(けっ)し、其の夕より、凶歳の用意に心を配(くば)り、人々を諭(さと)して、其の用意を為さしめ、其の夜終夜書状を作りて諸方に使を発して、凶歳の用意一途に尽力したり、其の方法は明き地空地は勿論、木綿(もめん)の生立ちたる畑を潰(つぶ)し、荒地廃地を起して、蕎麦(そば)大根蕪菁菜(かぶらな)胡蘿葡(にんじん)等を、十分に蒔付させ、粟(あわ)稗(ひえ)大豆等惣(すべ)て食料になるべき物の耕作培養(ばいよう)精細を尽させ、又穀物の売物ある時は、何品に限らず、皆之を買入れ、既に借入れの抵当(ていとう)なく貸金の証文を抵当に入れて、金を借用したり、此の飢饉の用意を、諸方に通知したる内、厚く信じて能(よ)く取り行ひたるは、谷田部茂木(もてぎ)領邑(りょうゆう)なり、此の通知を得るや、其の使と同道にて、郡奉行自(みずか)ら馬に鞭(むち)打ちて来りて、其の方法を問ひ、急ぎ帰りて郡奉行代官役等、属官(ぞっかん)を率(ひき)ゐて、村里に臨(のぞ)み懇々(こんこん)説諭(せつゆ)して、先(ま)づ木綿畑を潰し、荒地を起し廃地を挙げて食料になるべき蕎麦大根の類を蒔付けたる事夥(おびただ)しく、堂寺の庭迄も説諭して蕎麦大根を蒔かせたりと云へり、下野国真岡(もおか)近郷は、真岡木綿の出る土地なれば、木綿畑尤も多し、其の木綿畑を潰して、蕎麦を蒔替(まきか)ふるを愚民殊(こと)の外歎(なげ)く者あり、又苦情を鳴(なら)す者あり、仍(よっ)て愚民明らめのため、所々に一畝づゝ、尤も出来方の宜敷(よろしき)木綿畑を残し置きたるに、綿実(わたのみ)一つも結ばず、秋に至りて初めて予が説を信じたりと聞けり、愚民の諭し難きには殆(ほとん)ど困却(こんきゃく)せり、又秋田を刈取りたる干田に、大麦を手の廻る丈け多く蒔かせ、夫(それ)より畑に蒔きたる菜種の苗を、田に移し植ゑて、食料の助(たすけ)にせり、凶歳の時は油断なく、手配(てくば)りして食物を多く作り出すべし、是(これ)予が飢饉を救ひし方法の大略なり。

現代語訳

翁が言われた。天保四年と同七年、二度の凶年のうち七年が最も甚だしかった。早春から引き続き季候が不順で、梅雨から土用まで降り続き、寒冷で、陰雨と曇天ばかり、晴れの日はまれだった。晴れたと思えば曇り、曇ったと思えば雨が降る。私は土用の前からこれを憂えて心を配っていたが、土用に差しかかると空の様子が何となく秋めき、草木に触れる風も何となく秋風めいてきた。折しも他所から新茄子が届いたので糠味噌に漬けて食べてみると、自然と秋茄子の味がした。これによって決心し、その夕方から凶年の準備に心を配り、人々を諭して準備をさせ、その夜は一晩中書状を書いて各方面に使いを送り、凶年の備えにひたすら尽力した。その方法は、空き地はもちろん、木綿の育った畑をつぶし、荒れ地・廃地を起こして、蕎麦・大根・蕪菜・人参などを十分に蒔きつけさせ、粟・稗・大豆などすべて食料になるものの耕作培養に精細を尽くさせ、また穀物の売り物があれば品を問わず皆買い入れ、抵当がなくなると貸金の証文を抵当に入れてまで金を借りた。この飢饉への備えを各方面に通知したうち、厚く信じてよく実行したのは谷田部と茂木の領地である。通知を受けるや、使いと同道して郡奉行自ら馬に鞭打って来て方法を問い、急ぎ帰って代官や役人、属官を率いて村里に臨み、懇々と説き諭して、まず木綿畑をつぶし、荒地廃地を起こして食料になる蕎麦大根の類を夥しく蒔きつけ、寺社の庭まで説諭して蒔かせたという。下野国真岡の近郷は真岡木綿の産地で木綿畑が最も多かった。その木綿畑をつぶして蕎麦に蒔き替えるのを、無知な民は殊のほか嘆き、苦情を言う者もあった。そこで民を納得させるため、所々に一畝ずつ、最も出来のよい木綿畑を残しておいたところ、綿の実が一つも結ばず、秋になって初めて私の説を信じたと聞いた。無知な民を諭すことの難しさにはほとほと困り果てた。また秋の田を刈り取った干田に大麦を手の回る限り多く蒔かせ、それから畑に蒔いた菜種の苗を田に移し植えて食料の助けとした。凶年のときは油断なく手配りして食物を多く作り出すべきである。これが私が飢饉を救った方法のあらましである。

解説

天保の大飢饉に際し、尊徳がどのように危機を察知し対処したかを自ら語る貴重な一条です。空模様や秋茄子の味というわずかな兆しから凶作を予見し、即座に木綿畑をつぶして食料作物へ転換、借金してまで穀物を買い集めるという徹底ぶりに、危機を先読みする眼と断固たる実行力が現れています。「勤労」を核とし、平時の努力を非常時にすべて注ぎ込む姿勢は報徳思想の真骨頂です。同時に、目先の損を嫌って助言に従わぬ民の姿も率直に記され、正しい備えを人々に納得させる難しさも語られます。予兆を捉え先手を打つこの実践は、リスク管理や危機対応が問われる現代にも生きた教訓となります。

この章句が説くこと

二宮翁夜話報徳勤労天保の飢饉危機の予見先手の備え

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる