二宮翁夜話 / 巻之五
翁曰、予此時駿州御厨郷、飢民の撫育を扱ふ、既に米金尽き術計なし、仍て郷中に諭して曰、昨年の不熟六十年に稀なり、然といへども、平年農業を出精して米麦を余し、心掛宜敷ものは差閊有まじ、今飢る者は平年惰農にして、米麦を取る事少く、遊楽を好み博奕を好み飲酒に耽り、放蕩無頼心掛宜しからざる者なれば、飢るは天罰と云て可なり、然ば救はず共可なるが如しといへ共、乞食となるものを見よ、無頼悪行、是より甚しく、終に処を離れて、乞食する者なれば、悪むべきの極なり、されども、是をさへ憐んで、或は一銭を施し、或は一握の米麦を施すは、世間の通法なり、今日の飢民は、是と異り、元一村同所に生れ同水をのみ同風に吹かれ、吉凶葬祭相共に、助け来れる因縁浅からねば、何ぞ見捨て救はざるの理あらんや、今予飢民の為に、無利足十ケ年賦の金を貸与て是を救はんとす、然といへども飢に望む程のものは、困究甚しければ、返納は必出来ざるべし、仍て来年より、差支なく救を受ざる者といへども、日々乞食に施すと思ひ、銭十文又廿文を出すべし、其以下中下のものは、銭七文又五文を出すべし、来年豊年ならば、天下豊ならん、御厨郷のみ、乞食に施さゞるも、国中の乞食、飢る事あらじ、乞食に施す米銭を以て、彼が返納を補はゞ、自損せずして、飢民を救ふべし、是両全の道にあらずや、と諭せしに郡中の者一同、感戴して承諾せり、仍て役所より、無利子金を十ケ年賦に貸渡して、大に救助する事を得たり、是上に一銭の損なくして、下に一人の飢民なく、安穏に飢饉を免れたり、此時小田原領のみにして、救助せし人員を、村々より書上げたる処、四万三百九十余人なりき。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、予(よ)此の時駿州御厨(みくりや)郷、飢民の撫育(ぶいく)を扱(あつか)ふ、既に米金尽き術計(じゅっけい)なし、仍(よっ)て郷中に諭(さと)して曰く、昨年の不熟(ふじゅく)六十年に稀(まれ)なり、然(しか)りといへども、平年農業を出精して米麦を余し、心掛宜敷(よろしき)ものは差閊(さしつかえ)有るまじ、今飢(う)ゑる者は平年惰農(だのう)にして、米麦を取る事少く、遊楽を好み博奕(ばくえき)を好み飲酒に耽(ふけ)り、放蕩(ほうとう)無頼(ぶらい)心掛宜しからざる者なれば、飢ゑるは天罰と云ひて可なり、然らば救はず共可なるが如しといへ共、乞食(こじき)となるものを見よ、無頼悪行、是より甚しく、終(つい)に処を離れて、乞食する者なれば、悪(にく)むべきの極なり、されども、是をさへ憐(あわ)れんで、或は一銭を施し、或は一握(にぎり)の米麦を施すは、世間の通法なり、今日の飢民は、是と異(こと)なり、元一村同所に生れ同水をのみ同風に吹かれ、吉凶葬祭相共に、助け来れる因縁(いんねん)浅からねば、何ぞ見捨てて救はざるの理あらんや、今予飢民の為に、無利足(むりそく)十ケ年賦の金を貸与へて是を救はんとす、然りといへども飢ゑに望む程のものは、困究(こんきゅう)甚しければ、返納は必ず出来ざるべし、仍て来年より、差支なく救を受けざる者といへども、日々乞食に施すと思ひ、銭十文又廿(にじゅう)文を出すべし、其の以下中下のものは、銭七文又五文を出すべし、来年豊年ならば、天下豊かならん、御厨郷のみ、乞食に施さゞるも、国中の乞食、飢ゑる事あらじ、乞食に施す米銭を以て、彼が返納を補(おぎな)はゞ、自(みずか)ら損せずして、飢民を救ふべし、是(これ)両全(りょうぜん)の道にあらずや、と諭せしに郡中の者一同、感戴(かんたい)して承諾せり、仍て役所より、無利子金を十ケ年賦に貸渡して、大に救助する事を得たり、是上に一銭の損なくして、下に一人の飢民なく、安穏(あんのん)に飢饉を免(まぬが)れたり、此の時小田原領のみにして、救助せし人員を、村々より書上げたる処、四万三百九十余人なりき。
現代語訳
翁が言われた。私はこのとき駿河国御厨郷で飢えた民の世話を担当した。すでに米も金も尽きて手立てがない。そこで郷中に諭して言った。「昨年の不作は六十年に一度の稀なものだ。とはいえ、平年に農業に精を出して米麦を余らせ、心がけのよい者は差し支えはあるまい。今飢えている者は、平年に怠けて米麦を取ることが少なく、遊びを好み博打を好み酒に耽り、放蕩無頼で心がけのよくない者だから、飢えるのは天罰だと言ってもよい。ならば救わなくてもよさそうだが、乞食となる者を見よ。無頼な悪行はこれよりも甚だしく、ついに土地を離れて物乞いをする者だから、憎むべき極みだ。それでもこれをさえ憐れんで一銭を施し、一握りの米麦を施すのが世間の常だ。今日の飢民はこれと違う。もとは同じ村の同じ場所に生まれ、同じ水を飲み同じ風に吹かれ、慶弔葬祭を共にして助け合ってきた縁が浅くないのだから、どうして見捨てて救わない理由があろうか。今、私は飢民のために無利子十カ年賦の金を貸し与えてこれを救おう。とはいえ飢えに瀕するほどの者は困窮が甚だしいから、返済はきっとできまい。そこで来年から、差し支えなく救いを受けずにすむ者であっても、日々物乞いに施すと思って銭十文または二十文を出せ。それ以下の中下の者は銭七文または五文を出せ。来年が豊年なら天下も豊かになろう。御厨郷だけが物乞いに施さなくとも、国中の物乞いが飢えることはあるまい。物乞いに施すはずの米銭で彼らの返済を補えば、自分は損をせずに飢民を救える。これは両方が立つ道ではないか」と諭したところ、郡中の者は皆感謝して承諾した。そこで役所から無利子の金を十カ年賦で貸し渡し、大いに救助することができた。これはお上に一銭の損もなく、下に一人の飢民もなく、無事に飢饉を免れたのである。このとき小田原領だけで救助した人数を村々から書き上げたところ、四万三百九十余人であった。