二宮翁夜話 / 巻之五
救荒の事を詳に説き、草木の根幹皮葉等食すべき物数十種を調べ、且其調理法等を記せし、小冊を贈れる人あり、翁曰、草根木葉等、平日少しづゝ食して試る時は、害なき物も、是を多食し日を重ぬる時は病を生ずる物なり、軽々しく食するは悪しき事なり、故に、予は天保両度の飢饉の時、郡村に諭すに、草根木葉等を食せよと云事は、決して云ず、病を生ずる事を恐るゝが故なり、飢民自ら食するは仕方なけれど、牧民の職に居る者、飢民に向て、草根木皮を食せよと云ひ、且之を食せしむるは、甚悪しゝ、之を食する時は、一時の飢は補ふべしといへ共、病を生ずる時は救ふべからず、恐れざるべけんや、されば人を殺すに杖と刃との譬と、何ぞ異らん、是深く恐るべき処なり、然といへども、食なければ死を免かるべからず、之を如何せん、是深く考へずばある可らざる所以なり、予之に依て、飢人を救ふて、病を生ずるの恐なき方法を設けて、烏山、谷田部茂木、下館、小田原等の領邑に施したり、されば是等の書は、予が為る処と異る物なれば、予は取らざる也。
書き下し
救荒(きゅうこう)の事を詳(つまびら)かに説き、草木の根幹皮葉(こんかんひよう)等食(しょく)すべき物数十種を調(しら)べ、且(かつ)其(そ)の調理法(ちょうりほう)等を記せし、小冊(しょうさつ)を贈(おく)れる人あり、翁(おきな)曰(いわ)く、草根木葉(そうこんもくよう)等、平日少しづゝ食して試(こころ)むる時は、害なき物も、是(これ)を多食(たしょく)し日を重(かさ)ぬる時は病(やまい)を生ずる物なり、軽々(かるがる)しく食するは悪(あ)しき事なり、故に、予(よ)は天保両度の飢饉(ききん)の時、郡村(ぐんそん)に諭(さと)すに、草根木葉等を食せよと云ふ事は、決して云はず、病を生ずる事を恐(おそ)るゝが故なり、飢民(きみん)自(みずか)ら食するは仕方なけれど、牧民(ぼくみん)の職に居る者、飢民に向ひて、草根木皮を食せよと云ひ、且之を食せしむるは、甚(はなは)だ悪しゝ、之を食する時は、一時の飢(うえ)は補(おぎな)ふべしといへ共(ども)、病を生ずる時は救(すく)ふべからず、恐れざるべけんや、されば人を殺(ころ)すに杖(つえ)と刃(やいば)との譬(たとえ)と、何ぞ異(こと)ならん、是深く恐るべき処なり、然(しか)といへども、食なければ死を免(まぬか)るべからず、之を如何(いか)んせん、是深く考へずばあるべからざる所以(ゆえん)なり、予之に依(よ)りて、飢人(きにん)を救ひて、病を生ずるの恐(おそれ)なき方法を設(もう)けて、烏山(からすやま)、谷田部(やたべ)茂木(もてぎ)、下館(しもだて)、小田原等の領邑(りょうゆう)に施(ほどこ)したり、されば是等の書は、予が為(な)る処と異る物なれば、予は取らざる也(なり)。
現代語訳
飢饉救済のことを詳しく説き、草木の根・幹・皮・葉など食べられる物を数十種調べ、その調理法まで記した小冊子を贈ってきた人がいた。翁が言われた。草の根や木の葉などは、平常に少しずつ食べて試すぶんには害のない物でも、これを多食し日を重ねると病を生じる物である。軽々しく食べるのは悪いことだ。だから私は、天保の二度の飢饉のとき、郡村に諭すのに、草の根や木の葉を食べよとは決して言わなかった。病を生じることを恐れたからである。飢えた民が自分から食べるのは仕方ないが、民を治める役目にある者が、飢民に向かって草根木皮を食べよと言い、また食べさせるのは、甚だ悪い。それを食べれば一時の飢えは補えても、病を生じたら救えない。恐れないでいられようか。それでは、人を殺すのに杖と刃物の違いというたとえと、何が違おう。これは深く恐れるべきところだ。とはいえ、食べ物がなければ死を免れない。これをどうすればよいか。ここを深く考えなければならないのだ。私はこれによって、飢えた人を救い、しかも病を生じる恐れのない方法を立てて、烏山、谷田部、茂木、下館、小田原などの領地に施した。だからこれらの本は、私のやり方とは異なるものなので、私は採らないのだ。