二宮翁夜話 / 巻之五
駿州駿東郡は、富士山の麓にて、雪水掛りの土地なる故天保七年の凶荒、殊に甚し、領主小田原侯、此救助法を東京にて翁に命ぜられ、米金の出方は、家老大久保某に申付たり、小田原に往て受取べし、と命ぜらる、翁即刻出発夜行して、小田原に至られ、米金を請求せられしに、家老年寄の評議未決せず、翁之を待つ久し、日午に到る、衆皆弁当を食して、後に議せんと也、翁曰、飢民今死に迫れり、之を救ふべきの議、未決せず、然るに弁当を先にして、此至急の議を後にするは、公議を後にして、私を先にするなり、今日の事は、平常の事と違ひ、数万の民命に関する重大の件なり、先此議を決して後に弁当は食すべし、此議決せずんば、縦令夜に入るとも、弁当は用ふる事勿れ、謹んで此議を乞ふと述られたれば、尤なりとて、列座弁当を食する事を止めて此議に及べり、速に用米の蔵を開く可しと定りて、此趣を倉奉行に達す、倉奉行又開倉の定日は、月に六回なり、定日の外漫に開倉する例なし、と云て開かず、又大に議論あり、倉奉行、家老の列座にて、弁当云々の論ありし事を聞て、速に倉を開らけりとぞ、是皆翁の至誠による物也。
書き下し
駿州(すんしゅう)駿東郡は、富士山の麓(ふもと)にて、雪水掛(かか)りの土地なる故、天保七年の凶荒(きょうこう)、殊(こと)に甚(はなは)し、領主小田原侯(おだわらこう)、此の救助法を東京にて翁に命ぜられ、米金の出方は、家老大久保某(ぼう)に申付けたり、小田原に往(ゆ)きて受取るべし、と命ぜらる、翁即刻出発夜行して、小田原に至られ、米金を請求せられしに、家老年寄の評議(ひょうぎ)未(いま)だ決せず、翁之を待つ事久し、日午(ひる)に到る、衆皆弁当を食して、後(のち)に議せんと也(なり)、翁曰(いわ)く、飢民(きみん)今死に迫(せま)れり、之を救ふべきの議、未だ決せず、然るに弁当を先にして、此の至急の議を後にするは、公議を後にして、私を先にするなり、今日の事は、平常の事と違(ちが)ひ、数万の民命に関する重大の件なり、先(ま)づ此の議を決して後に弁当は食すべし、此の議決せずんば、縦令(たとい)夜に入るとも、弁当は用ふる事勿(なか)れ、謹(つつし)んで此の議を乞ふと述べられたれば、尤(もっと)もなりとて、列座弁当を食する事を止めて此の議に及べり、速(すみやか)に用米の蔵を開くべしと定まりて、此の趣(おもむき)を倉奉行に達す、倉奉行又開倉の定日は、月に六回なり、定日の外(ほか)漫(みだり)に開倉する例(れい)なし、と云ひて開かず、又大に議論あり、倉奉行、家老の列座にて、弁当云々の論ありし事を聞きて、速に倉を開けりとぞ、是(これ)皆翁の至誠による物なり。
現代語訳
駿河国駿東郡は富士山の麓で、雪解け水がかりの土地なので、天保七年の凶作の被害が特に甚だしかった。領主の小田原侯は、この救助策を東京で翁に命じ、米と金の支出については家老の大久保某に申しつけ、小田原へ行って受け取るようにと命じられた。翁は即刻出発し、夜通し歩いて小田原に着き、米と金を請求したが、家老や年寄りの評議がなかなか決まらない。翁は久しく待った。正午になった。一同は皆、弁当を食べてから後で議論しようという。翁は言った。「飢えた民は今まさに死に迫っている。これを救う議がまだ決していない。それなのに弁当を先にしてこの緊急の議を後回しにするのは、公の議を後にして私事を先にすることだ。今日のことは平常とは違い、数万の民の命に関わる重大な件である。まずこの議を決してから弁当を食べるべきだ。この議が決しなければ、たとえ夜になっても弁当を口にしてはならない。謹んでこの議をお願いする」と述べられたので、もっともだと、一同は弁当を食べるのをやめてこの議に取りかかった。速やかに用米の蔵を開くべしと決まり、この旨を蔵奉行に伝えた。蔵奉行はまた、蔵を開く定例日は月に六回で、定日以外にみだりに蔵を開く例はない、と言って開かない。また大いに議論になった。蔵奉行は、家老の列座での弁当うんぬんの議論があったことを聞いて、速やかに蔵を開いたという。これは皆、翁の至誠によるものである。