二宮翁夜話 / 巻之五
翁曰、予が烏山其他に施行せし、飢饉の救助方法は、先村々に諭して、飢渇に迫りし者の内を引分けて、老人幼少病身等の、力役に付き難き者、又婦女子其日の働き十分に出来ざる者を、残らず取調させ、寺院か又大なる家を借受け、此処に集めて男女を分ち、三十人四十人づゝ一組となし、一所に世話人一二名を置き、一人に付、一日に白米一合づゝと定め、四十人なれば、一度に一升の白米に水を多く入れて、粥に炊ぎ塩を入れて、之を四十椀に甲乙なく平等に盛りて、一椀づゝ与へ、又一度は同様なれど、菜を少しく交ぜ味噌を入れて、薄き雑炊とし、前同様に盛りて、一椀づゝ、代る代る、朝より夕まで一日四度づゝと定めて、与ふるなり、されば一度に二勺五才の米を粥の湯に為したる物なり、之を与ふる時懇に諭さしめて曰、汝等の飢渇深く察す、実に愍然の事なり、今与ふる処の一椀の粥湯、一日に四度に限れば、実に空腹に堪難かるべし、然といへども、大勢の飢人に十分に与ふべき米麦は天下になし、此些少の粥湯、飢を凌ぐに足らざるべく、実に忍び難かるべけれど、今日は国中に、米穀の売物なし、金銀有て米を買ふ事の出来ざる世の中なり、然るに領主君公莫太の御仁恵を以て、倉を開かせられ、御救ひ下さるゝ処の米の粥なり、一椀なりといへども、容易ならず、厚く有難く心得て、夢々不足に思ふ事勿れ、又世間には、草根木皮等を食せしむる事も有れど、是は甚宜しからず、病を生じて、救ふべからず、死する者多し、甚危き事なり、恐るべき事なり、世話人に隠して、決して草根木皮などは、少しにても食ふ事勿れ、此一椀づゝの粥の湯は、一日に四度づゝ時を定めて、急度与ふるなり、左すれば、仮令身体は痩するとも決して、餓死するの患なし、又白米の粥なれば、病の生ずる恐れも必なし、新麦の熟するまでの間の事なれば、如何にも能空腹を堪へ、起臥も運動も徐にして、成る丈け腹の減らぬ様にし、命さへ続けば、夫を有難しと覚悟して、能空腹を堪えて、新麦の豊熟を、天地に祈りて、寝たければ寝るがよし、起たければ起るがよし、日々何も為るに及ばず、只腹のへらぬ様に運動し、空腹を堪ゆるを以て、夫を仕事と心得て、日を送るべし、新麦さへ実法れば、十分に与ふべし、夫迄の間は死さへせざれば、有難しと能々覚悟し、返す返すも草木の皮葉等を食ふ事勿れ、草木の皮葉は、毒なき物といへども腹に馴れざるが故に、多く食し日々食すれば、自然毒なき物も毒と成て、夫が為に病を生じ、大切の命を失ふ事あり、必食する事なかれと、懇に諭して空腹に馴れしめ、無病ならしむるこそ、救窮の上策なるべけれ、必此方に随ひ、一日一合の米粥を与へ、草木の皮葉などは、食せよと云はず、又食せしめざるなり、是其方法の大略なり、又身体強壮の男女は別に方法を立て、能々説き諭して、平常五厘の繩一房を七厘に、一銭の草鞋を一銭五厘に、三十銭の木綿布を四十銭に買上げ、平日十五銭の日雇賃銭は、二十五銭づゝ払ふべきに依り、村中一同憤発勉強し、勤て銭を取て自ら生活を立つべし、繩草鞋、木綿布等は、何程にても買取り、仕事は協議工夫を以て、何程にても、人夫を遣ふべければ、老幼男女を論ぜず、身体壮健の者は、昼は出て日雇賃を取り、夜は入て繩を索ひ、沓草鞋を作るべし、と懇々説諭して、勉強せしむべし、偖其仕事は、道橋を修理し、用水悪水の堀を浚ひ、溜池を掘り、川除け堤を修理し、沃土を掘出し、下田下畑に入れ、畔の曲れるを真直に直し、狭き田を合せて、大にするなど、其土地土地に就て、能工夫せば、其仕事は何程もあるべし、是我手に十円の金を損して、彼に五十円六十円の金を得さしめ、是に百円の金を損して、彼に四百円五百円の益を得さしめ、且其村里に永世の幸福を貽し、其上美名をも遺す道なり、只恵んで費へざるのみにあらず、少く恵んで、大利益を生ずるの良法なり、窮の甚きを救ふ方法は、是より好きはあらじ、是予が実地に施行せし、大略なり。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、予(よ)が烏山(からすやま)其(そ)の他に施行(しこう)せし、飢饉(ききん)の救助方法は、先(ま)づ村々に諭(さと)して、飢渇(きかつ)に迫(せま)りし者の内を引分(ひきわ)けて、老人幼少病身等の、力役(りきえき)に付き難(がた)き者、又婦女子(ふじょし)其の日の働きの十分に出来(でき)ざる者を、残らず取調(とりしら)べさせ、寺院か又大なる家を借受(かりう)け、此処(ここ)に集めて男女を分ち、三十人四十人づゝ一組となし、一所(ひとところ)に世話人(せわにん)一二名を置き、一人に付、一日に白米一合づゝと定め、四十人なれば、一度に一升の白米に水を多く入れて、粥(かゆ)に炊(かし)ぎ塩を入れて、之を四十椀(わん)に甲乙(こうおつ)なく平等に盛りて、一椀づゝ与(あた)へ、又一度は同様なれど、菜(な)を少しく交(ま)ぜ味噌(みそ)を入れて、薄き雑炊(ぞうすい)とし、前同様に盛りて、一椀づゝ、代(かわ)る代る、朝より夕まで一日四度づゝと定めて、与ふるなり、されば一度に二勺五才(にしゃくごさい)の米を粥の湯に為(な)したる物なり、之を与ふる時懇(ねんご)ろに諭さしめて曰く、汝等(なんじら)の飢渇深く察す、実に愍然(びんぜん)の事なり、今与ふる処の一椀の粥湯(かゆ)、一日に四度に限れば、実に空腹に堪(たえ)難かるべし、然(しか)といへども、大勢の飢人(きにん)に十分に与ふべき米麦は天下になし、此の些少(さしょう)の粥湯、飢(うえ)を凌(しの)ぐに足らざるべく、実に忍(しの)び難かるべけれど、今日は国中に、米穀の売物(うりもの)なし、金銀有りて米を買ふ事の出来ざる世の中なり、然るに領主君公莫太(ばくだい)の御仁恵(ごじんけい)を以て、倉(くら)を開かせられ、御救(すく)ひ下さるゝ処の米の粥なり、一椀なりといへども、容易ならず、厚く有難く心得て、夢々(ゆめゆめ)不足に思ふ事勿(なか)れ、又世間には、草根木皮(そうこんぼくひ)等を食せしむる事も有れど、是は甚(はなは)だ宜(よろ)しからず、病を生じて、救ふべからず、死する者多し、甚だ危(あやう)き事なり、恐るべき事なり、世話人に隠して、決して草根木皮などは、少しにても食ふ事勿れ、此の一椀づゝの粥の湯は、一日に四度づゝ時を定めて、急度(きっと)与ふるなり、左(さ)すれば、仮令(たとい)身体は痩(や)するとも決して、餓死(がし)するの患(うれい)なし、又白米の粥なれば、病の生ずる恐れも必ずなし、新麦の熟するまでの間の事なれば、如何にも能く空腹を堪へ、起臥(きが)も運動も徐(しずか)にして、成る丈(た)け腹の減(へ)らぬ様にし、命さへ続けば、夫(それ)を有難しと覚悟(かくご)して、能く空腹を堪へて、新麦の豊熟(ほうじゅく)を、天地に祈りて、寝たければ寝るがよし、起きたければ起きるがよし、日々何も為(す)るに及ばず、只腹のへらぬ様に運動し、空腹を堪(こら)ゆるを以て、夫を仕事と心得て、日を送るべし、新麦さへ実(みの)法(の)れば、十分に与ふべし、夫迄(それまで)の間は死さへせざれば、有難しと能々(よくよく)覚悟し、返す返すも草木の皮葉等を食ふ事勿れ、草木の皮葉は、毒なき物といへども腹に馴(な)れざるが故に、多く食し日々食すれば、自然(しぜん)毒なき物も毒と成りて、夫が為に病を生じ、大切の命を失ふ事あり、必ず食する事なかれと、懇ろに諭して空腹に馴れしめ、無病ならしむるこそ、救窮(きゅうきゅう)の上策なるべけれ、必ず此の方に随(したが)ひ、一日一合の米粥を与へ、草木の皮葉などは、食せよと云はず、又食せしめざるなり、是其の方法の大略(たいりゃく)なり、又身体強壮(きょうそう)の男女は別に方法を立て、能々説き諭して、平常五厘の繩(なわ)一房(ひとふさ)を七厘に、一銭の草鞋(わらじ)を一銭五厘に、三十銭の木綿布(もめんぬの)を四十銭に買上げ、平日十五銭の日雇賃銭(ひやといちんせん)は、二十五銭づゝ払ふべきに依り、村中一同憤発(ふんぱつ)勉強し、勤(つと)めて銭を取りて自ら生活を立つべし、繩草鞋、木綿布等は、何程(なにほど)にても買取り、仕事は協議工夫を以て、何程にても、人夫(にんぷ)を遣(つか)ふべければ、老幼男女を論ぜず、身体壮健(そうけん)の者は、昼は出て日雇賃を取り、夜は入りて繩を索(な)ひ、沓(くつ)草鞋を作るべし、と懇々説諭(せつゆ)して、勉強せしむべし、偖(さて)其の仕事は、道橋を修理し、用水悪水の堀を浚(さら)ひ、溜池(ためいけ)を掘り、川除(かわよ)け堤(つつみ)を修理し、沃土(よくど)を掘出し、下田下畑(げでんげはた)に入れ、畔(あぜ)の曲れるを真直(まっすぐ)に直し、狭き田を合せて、大にするなど、其の土地土地に就(つ)きて、能く工夫せば、其の仕事は何程もあるべし、是我が手に十円の金を損して、彼に五十円六十円の金を得(え)さしめ、是に百円の金を損して、彼に四百円五百円の益を得さしめ、且其の村里に永世(えいせい)の幸福を貽(のこ)し、其の上美名をも遺(のこ)す道なり、只恵(めぐ)んで費(つい)えざるのみにあらず、少く恵んで、大利益を生ずるの良法なり、窮(きゅう)の甚(はなはだ)しきを救ふ方法は、是より好(よ)きはあらじ、是予が実地に施行せし、大略なり。
現代語訳
翁が言われた。私が烏山などで施した飢饉救済の方法はこうだ。まず村々に諭して、飢えに迫った者のうちを選り分け、老人・幼児・病人など力仕事のできない者、また婦女子でその日の働きが十分にできない者を残らず調べさせる。寺院か大きな家を借り受け、そこに集めて男女を分け、三、四十人ずつを一組とし、それぞれに世話人一、二名を置く。一人につき一日白米一合と定め、四十人なら一度に一升の白米に水を多く入れて塩を加えて粥に炊き、それを四十椀に差別なく平等に盛って一椀ずつ与える。もう一度は同様だが、菜を少し混ぜ味噌を入れて薄い雑炊とし、同じく一椀ずつ、代わる代わる、朝から夕まで一日四度と定めて与える。つまり一度に二勺五才の米を粥の湯にしたものだ。これを与えるとき、懇ろにこう諭させる。お前たちの飢えは深く察している。実に憐れなことだ。今与える一椀の粥は、一日四度に限れば、まことに空腹に堪え難かろう。しかし大勢の飢民に十分に与えられる米麦は天下にない。このわずかな粥は飢えをしのぐに足りず、実に堪え難かろうが、今は国中に米穀の売り物がなく、金銀があっても米を買えない世の中だ。それを領主が莫大なご仁恵によって蔵を開き、お救いくださる米の粥である。一椀といえども容易なことではない。厚くありがたく心得て、決して不足に思ってはならない。また世間には草の根や木の皮を食べさせることもあるが、これは甚だよくない。病を生じて救えず、死ぬ者が多い。甚だ危ないことだ。恐るべきことだ。世話人に隠して、決して草根木皮などは少しでも食べてはならない。この一椀ずつの粥の湯は、一日四度、時を定めて必ず与える。そうすれば、たとえ体は痩せても決して餓死する心配はない。白米の粥だから病を生じる恐れも必ずない。新麦が実るまでの間のことだから、なんとかよく空腹を堪え、起き伏しも運動も静かにして、なるべく腹の減らぬようにし、命さえ続けばそれをありがたいと覚悟して、よく空腹を堪えて、新麦の豊作を天地に祈り、寝たければ寝るがよい、起きたければ起きるがよい。日々何もするに及ばない。ただ腹の減らぬように動き、空腹を堪えるのを仕事と心得て日を送るがよい。新麦さえ実れば十分に与える。それまでの間は死にさえしなければありがたいとよくよく覚悟し、返す返すも草木の皮葉を食べてはならない。草木の皮葉は毒がなくても腹に馴れないため、多く食べ日々食べれば、自然と毒のない物も毒となり、そのために病を生じ、大切な命を失うことがある。必ず食べるなと懇ろに諭して空腹に馴れさせ、病気にさせないことこそ、窮を救う上策である。必ずこの方法に従い、一日一合の米粥を与え、草木の皮葉は食べよと言わず、また食べさせない。これがその方法の大略だ。また体の強壮な男女には別の方法を立て、よくよく説き諭して、普段五厘の縄一房を七厘に、一銭の草鞋を一銭五厘に、三十銭の木綿布を四十銭に買い上げ、普段十五銭の日雇い賃は二十五銭ずつ払うようにするから、村中一同奮い立って励み、働いて銭を得て自分で生活を立てよ、と諭す。縄・草鞋・木綿布などはいくらでも買い取り、仕事は相談と工夫でいくらでも人夫を使えるから、老若男女を問わず、体の丈夫な者は昼は出て日雇い賃を取り、夜は帰って縄をない、沓や草鞋を作るがよい、と懇々と説き諭して励ませる。さてその仕事は、道や橋を修理し、用水・排水の堀を浚い、溜池を掘り、川除けの堤を修理し、肥えた土を掘り出して痩せた田畑に入れ、曲がった畔を真っ直ぐに直し、狭い田を合わせて大きくするなど、その土地土地に応じてよく工夫すれば、仕事はいくらでもある。これは自分の手で十円を損して相手に五十円六十円を得させ、百円を損して相手に四百円五百円の益を得させ、しかもその村里に末長い幸福を残し、その上よい評判まで残す道である。ただ恵んで費えないだけでなく、少し恵んで大きな利益を生む良法だ。困窮の甚だしさを救う方法は、これに勝るものはない。これが私が実地に施した大略である。