二宮翁夜話 / 巻之五
翁曰、予が烏山其他に施行せし、飢饉の救助方法は、先村々に諭して、飢渇に迫りし者の内を引分けて、老人幼少病身等の、力役に付き難き者、又婦女子其日の働き十分に出来ざる者を、残らず取調させ、寺院か又大なる家を借受け、此処に集めて男女を分ち、三十人四十人づゝ一組となし、一所に世話人一二名を置き、一人に付、一日に白米一合づゝと定め、四十人なれば、一度に一升の白米に水を多く入れて、粥に炊ぎ塩を入れて、之を四十椀に甲乙なく平等に盛りて、一椀づゝ与へ、又一度は同様なれど、菜を少しく交ぜ味噌を入れて、薄き雑炊とし、前同様に盛りて、一椀づゝ、代る代る、朝より夕まで一日四度づゝと定めて、与ふるなり、されば一度に二勺五才の米を粥の湯に為したる物なり、之を与ふる時懇に諭さしめて曰、汝等の飢渇深く察す、実に愍然の事なり、今与ふる処の一椀の粥湯、一日に四度に限れば、実に空腹に堪難かるべし、然といへども、大勢の飢人に十分に与ふべき米麦は天下になし、此些少の粥湯、飢を凌ぐに足らざるべく、実に忍び難かるべけれど、今日は国中に、米穀の売物なし、金銀有て米を買ふ事の出来ざる世の中なり、然るに領主君公莫太の御仁恵を以て、倉を開かせられ、御救ひ下さるゝ処の米の粥なり、一椀なりといへども、容易ならず、厚く有難く心得て、夢々不足に思ふ事勿れ、又世間には、草根木皮等を食せしむる事も有れど、是は甚宜しからず、病を生じて、救ふべからず、死する者多し、甚危き事なり、恐るべき事なり、世話人に隠して、決して草根木皮などは、少しにても食ふ事勿れ、此一椀づゝの粥の湯は、一日に四度づゝ時を定めて、急度与ふるなり、左すれば、仮令身体は痩するとも決して、餓死するの患なし、又白米の粥なれば、病の生ずる恐れも必なし、新麦の熟するまでの間の事なれば、如何にも能空腹を堪へ、起臥も運動も徐にして、成る丈け腹の減らぬ様にし、命さへ続けば、夫を有難しと覚悟して、能空腹を堪えて、新麦の豊熟を、天地に祈りて、寝たければ寝るがよし、起たければ起るがよし、日々何も為るに及ばず、只腹のへらぬ様に運動し、空腹を堪ゆるを以て、夫を仕事と心得て、日を送るべし、新麦さへ実法れば、十分に与ふべし、夫迄の間は死さへせざれば、有難しと能々覚悟し、返す返すも草木の皮葉等を食ふ事勿れ、草木の皮葉は、毒なき物といへども腹に馴れざるが故に、多く食し日々食すれば、自然毒なき物も毒と成て、夫が為に病を生じ、大切の命を失ふ事あり、必食する事なかれと、懇に諭して空腹に馴れしめ、無病ならしむるこそ、救窮の上策なるべけれ、必此方に随ひ、一日一合の米粥を与へ、草木の皮葉などは、食せよと云はず、又食せしめざるなり、是其方法の大略なり、又身体強壮の男女は別に方法を立て、能々説き諭して、平常五厘の繩一房を七厘に、一銭の草鞋を一銭五厘に、三十銭の木綿布を四十銭に買上げ、平日十五銭の日雇賃銭は、二十五銭づゝ払ふべきに依り、村中一同憤発勉強し、勤て銭を取て自ら生活を立つべし、繩草鞋、木綿布等は、何程にても買取り、仕事は協議工夫を以て、何程にても、人夫を遣ふべければ、老幼男女を論ぜず、身体壮健の者は、昼は出て日雇賃を取り、夜は入て繩を索ひ、沓草鞋を作るべし、と懇々説諭して、勉強せしむべし、偖其仕事は、道橋を修理し、用水悪水の堀を浚ひ、溜池を掘り、川除け堤を修理し、沃土を掘出し、下田下畑に入れ、畔の曲れるを真直に直し、狭き田を合せて、大にするなど、其土地土地に就て、能工夫せば、其仕事は何程もあるべし、是我手に十円の金を損して、彼に五十円六十円の金を得さしめ、是に百円の金を損して、彼に四百円五百円の益を得さしめ、且其村里に永世の幸福を貽し、其上美名をも遺す道なり、只恵んで費へざるのみにあらず、少く恵んで、大利益を生ずるの良法なり、窮の甚きを救ふ方法は、是より好きはあらじ、是予が実地に施行せし、大略なり。
新字:翁曰、予が烏山其他に施行せし、飢饉の救助方法は、先村々に諭して、飢渇に迫りし者の内を引分けて、老人幼少病身等の、力役に付き難き者、又婦女子其日の働き十分に出来ざる者を、残らず取調させ、寺院か又大なる家を借受け、此処に集めて男女を分ち、三十人四十人づゝ一組となし、一所に世話人一二名を置き、一人に付、一日に白米一合づゝと定め、四十人なれば、一度に一升の白米に水を多く入れて、粥に炊ぎ塩を入れて、之を四十椀に甲乙なく平等に盛りて、一椀づゝ与へ、又一度は同様なれど、菜を少しく交ぜ味噌を入れて、薄き雑炊とし、前同様に盛りて、一椀づゝ、代る代る、朝より夕まで一日四度づゝと定めて、与ふるなり、されば一度に二勺五才の米を粥の湯に為したる物なり、之を与ふる時懇に諭さしめて曰、汝等の飢渇深く察す、実に愍然の事なり、今与ふる処の一椀の粥湯、一日に四度に限れば、実に空腹に堪難かるべし、然といへども、大勢の飢人に十分に与ふべき米麦は天下になし、此些少の粥湯、飢を凌ぐに足らざるべく、実に忍び難かるべけれど、今日は国中に、米穀の売物なし、金銀有て米を買ふ事の出来ざる世の中なり、然るに領主君公莫太の御仁恵を以て、倉を開かせられ、御救ひ下さるゝ処の米の粥なり、一椀なりといへども、容易ならず、厚く有難く心得て、夢々不足に思ふ事勿れ、又世間には、草根木皮等を食せしむる事も有れど、是は甚宜しからず、病を生じて、救ふべからず、死する者多し、甚危き事なり、恐るべき事なり、世話人に隠して、決して草根木皮などは、少しにても食ふ事勿れ、此一椀づゝの粥の湯は、一日に四度づゝ時を定めて、急度与ふるなり、左すれば、仮令身体は痩するとも決して、餓死するの患なし、又白米の粥なれば、病の生ずる恐れも必なし、新麦の熟するまでの間の事なれば、如何にも能空腹を堪へ、起臥も運動も徐にして、成る丈け腹の減らぬ様にし、命さへ続けば、夫を有難しと覚悟して、能空腹を堪えて、新麦の豊熟を、天地に祈りて、寝たければ寝るがよし、起たければ起るがよし、日々何も為るに及ばず、只腹のへらぬ様に運動し、空腹を堪ゆるを以て、夫を仕事と心得て、日を送るべし、新麦さへ実法れば、十分に与ふべし、夫迄の間は死さへせざれば、有難しと能々覚悟し、返す返すも草木の皮葉等を食ふ事勿れ、草木の皮葉は、毒なき物といへども腹に馴れざるが故に、多く食し日々食すれば、自然毒なき物も毒と成て、夫が為に病を生じ、大切の命を失ふ事あり、必食する事なかれと、懇に諭して空腹に馴れしめ、無病ならしむるこそ、救窮の上策なるべけれ、必此方に随ひ、一日一合の米粥を与へ、草木の皮葉などは、食せよと云はず、又食せしめざるなり、是其方法の大略なり、又身体強壮の男女は別に方法を立て、能々説き諭して、平常五厘の縄一房を七厘に、一銭の草鞋を一銭五厘に、三十銭の木綿布を四十銭に買上げ、平日十五銭の日雇賃銭は、二十五銭づゝ払ふべきに依り、村中一同憤発勉強し、勤て銭を取て自ら生活を立つべし、縄草鞋、木綿布等は、何程にても買取り、仕事は協議工夫を以て、何程にても、人夫を遣ふべければ、老幼男女を論ぜず、身体壮健の者は、昼は出て日雇賃を取り、夜は入て縄を索ひ、沓草鞋を作るべし、と懇々説諭して、勉強せしむべし、偖其仕事は、道橋を修理し、用水悪水の堀を浚ひ、溜池を掘り、川除け堤を修理し、沃土を掘出し、下田下畑に入れ、畔の曲れるを真直に直し、狭き田を合せて、大にするなど、其土地土地に就て、能工夫せば、其仕事は何程もあるべし、是我手に十円の金を損して、彼に五十円六十円の金を得さしめ、是に百円の金を損して、彼に四百円五百円の益を得さしめ、且其村里に永世の幸福を貽し、其上美名をも遺す道なり、只恵んで費へざるのみにあらず、少く恵んで、大利益を生ずるの良法なり、窮の甚きを救ふ方法は、是より好きはあらじ、是予が実地に施行せし、大略なり。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、予(よ)が烏山(からすやま)其(そ)の他に施行(しこう)せし、飢饉(ききん)の救助方法は、先(ま)づ村々に諭(さと)して、飢渇(きかつ)に迫(せま)りし者の内を引分(ひきわ)けて、老人幼少病身等の、力役(りきえき)に付き難(がた)き者、又婦女子(ふじょし)其の日の働きの十分に出来(でき)ざる者を、残らず取調(とりしら)べさせ、寺院か又大なる家を借受(かりう)け、此処(ここ)に集めて男女を分ち、三十人四十人づゝ一組となし、一所(ひとところ)に世話人(せわにん)一二名を置き、一人に付、一日に白米一合づゝと定め、四十人なれば、一度に一升の白米に水を多く入れて、粥(かゆ)に炊(かし)ぎ塩を入れて、之を四十椀(わん)に甲乙(こうおつ)なく平等に盛りて、一椀づゝ与(あた)へ、又一度は同様なれど、菜(な)を少しく交(ま)ぜ味噌(みそ)を入れて、薄き雑炊(ぞうすい)とし、前同様に盛りて、一椀づゝ、代(かわ)る代る、朝より夕まで一日四度づゝと定めて、与ふるなり、されば一度に二勺五才(にしゃくごさい)の米を粥の湯に為(な)したる物なり、之を与ふる時懇(ねんご)ろに諭さしめて曰く、汝等(なんじら)の飢渇深く察す、実に愍然(びんぜん)の事なり、今与ふる処の一椀の粥湯(かゆ)、一日に四度に限れば、実に空腹に堪(たえ)難かるべし、然(しか)といへども、大勢の飢人(きにん)に十分に与ふべき米麦は天下になし、此の些少(さしょう)の粥湯、飢(うえ)を凌(しの)ぐに足らざるべく、実に忍(しの)び難かるべけれど、今日は国中に、米穀の売物(うりもの)なし、金銀有りて米を買ふ事の出来ざる世の中なり、然るに領主君公莫太(ばくだい)の御仁恵(ごじんけい)を以て、倉(くら)を開かせられ、御救(すく)ひ下さるゝ処の米の粥なり、一椀なりといへども、容易ならず、厚く有難く心得て、夢々(ゆめゆめ)不足に思ふ事勿(なか)れ、又世間には、草根木皮(そうこんぼくひ)等を食せしむる事も有れど、是は甚(はなは)だ宜(よろ)しからず、病を生じて、救ふべからず、死する者多し、甚だ危(あやう)き事なり、恐るべき事なり、世話人に隠して、決して草根木皮などは、少しにても食ふ事勿れ、此の一椀づゝの粥の湯は、一日に四度づゝ時を定めて、急度(きっと)与ふるなり、左(さ)すれば、仮令(たとい)身体は痩(や)するとも決して、餓死(がし)するの患(うれい)なし、又白米の粥なれば、病の生ずる恐れも必ずなし、新麦の熟するまでの間の事なれば、如何にも能く空腹を堪へ、起臥(きが)も運動も徐(しずか)にして、成る丈(た)け腹の減(へ)らぬ様にし、命さへ続けば、夫(それ)を有難しと覚悟(かくご)して、能く空腹を堪へて、新麦の豊熟(ほうじゅく)を、天地に祈りて、寝たければ寝るがよし、起きたければ起きるがよし、日々何も為(す)るに及ばず、只腹のへらぬ様に運動し、空腹を堪(こら)ゆるを以て、夫を仕事と心得て、日を送るべし、新麦さへ実(みの)法(の)れば、十分に与ふべし、夫迄(それまで)の間は死さへせざれば、有難しと能々(よくよく)覚悟し、返す返すも草木の皮葉等を食ふ事勿れ、草木の皮葉は、毒なき物といへども腹に馴(な)れざるが故に、多く食し日々食すれば、自然(しぜん)毒なき物も毒と成りて、夫が為に病を生じ、大切の命を失ふ事あり、必ず食する事なかれと、懇ろに諭して空腹に馴れしめ、無病ならしむるこそ、救窮(きゅうきゅう)の上策なるべけれ、必ず此の方に随(したが)ひ、一日一合の米粥を与へ、草木の皮葉などは、食せよと云はず、又食せしめざるなり、是其の方法の大略(たいりゃく)なり、又身体強壮(きょうそう)の男女は別に方法を立て、能々説き諭して、平常五厘の繩(なわ)一房(ひとふさ)を七厘に、一銭の草鞋(わらじ)を一銭五厘に、三十銭の木綿布(もめんぬの)を四十銭に買上げ、平日十五銭の日雇賃銭(ひやといちんせん)は、二十五銭づゝ払ふべきに依り、村中一同憤発(ふんぱつ)勉強し、勤(つと)めて銭を取りて自ら生活を立つべし、繩草鞋、木綿布等は、何程(なにほど)にても買取り、仕事は協議工夫を以て、何程にても、人夫(にんぷ)を遣(つか)ふべければ、老幼男女を論ぜず、身体壮健(そうけん)の者は、昼は出て日雇賃を取り、夜は入りて繩を索(な)ひ、沓(くつ)草鞋を作るべし、と懇々説諭(せつゆ)して、勉強せしむべし、偖(さて)其の仕事は、道橋を修理し、用水悪水の堀を浚(さら)ひ、溜池(ためいけ)を掘り、川除(かわよ)け堤(つつみ)を修理し、沃土(よくど)を掘出し、下田下畑(げでんげはた)に入れ、畔(あぜ)の曲れるを真直(まっすぐ)に直し、狭き田を合せて、大にするなど、其の土地土地に就(つ)きて、能く工夫せば、其の仕事は何程もあるべし、是我が手に十円の金を損して、彼に五十円六十円の金を得(え)さしめ、是に百円の金を損して、彼に四百円五百円の益を得さしめ、且其の村里に永世(えいせい)の幸福を貽(のこ)し、其の上美名をも遺(のこ)す道なり、只恵(めぐ)んで費(つい)えざるのみにあらず、少く恵んで、大利益を生ずるの良法なり、窮(きゅう)の甚(はなはだ)しきを救ふ方法は、是より好(よ)きはあらじ、是予が実地に施行せし、大略なり。
現代語訳
翁が言われた。私が烏山などで施した飢饉救済の方法はこうだ。まず村々に諭して、飢えに迫った者のうちを選り分け、老人・幼児・病人など力仕事のできない者、また婦女子でその日の働きが十分にできない者を残らず調べさせる。寺院か大きな家を借り受け、そこに集めて男女を分け、三、四十人ずつを一組とし、それぞれに世話人一、二名を置く。一人につき一日白米一合と定め、四十人なら一度に一升の白米に水を多く入れて塩を加えて粥に炊き、それを四十椀に差別なく平等に盛って一椀ずつ与える。もう一度は同様だが、菜を少し混ぜ味噌を入れて薄い雑炊とし、同じく一椀ずつ、代わる代わる、朝から夕まで一日四度と定めて与える。つまり一度に二勺五才の米を粥の湯にしたものだ。これを与えるとき、懇ろにこう諭させる。お前たちの飢えは深く察している。実に憐れなことだ。今与える一椀の粥は、一日四度に限れば、まことに空腹に堪え難かろう。しかし大勢の飢民に十分に与えられる米麦は天下にない。このわずかな粥は飢えをしのぐに足りず、実に堪え難かろうが、今は国中に米穀の売り物がなく、金銀があっても米を買えない世の中だ。それを領主が莫大なご仁恵によって蔵を開き、お救いくださる米の粥である。一椀といえども容易なことではない。厚くありがたく心得て、決して不足に思ってはならない。また世間には草の根や木の皮を食べさせることもあるが、これは甚だよくない。病を生じて救えず、死ぬ者が多い。甚だ危ないことだ。恐るべきことだ。世話人に隠して、決して草根木皮などは少しでも食べてはならない。この一椀ずつの粥の湯は、一日四度、時を定めて必ず与える。そうすれば、たとえ体は痩せても決して餓死する心配はない。白米の粥だから病を生じる恐れも必ずない。新麦が実るまでの間のことだから、なんとかよく空腹を堪え、起き伏しも運動も静かにして、なるべく腹の減らぬようにし、命さえ続けばそれをありがたいと覚悟して、よく空腹を堪えて、新麦の豊作を天地に祈り、寝たければ寝るがよい、起きたければ起きるがよい。日々何もするに及ばない。ただ腹の減らぬように動き、空腹を堪えるのを仕事と心得て日を送るがよい。新麦さえ実れば十分に与える。それまでの間は死にさえしなければありがたいとよくよく覚悟し、返す返すも草木の皮葉を食べてはならない。草木の皮葉は毒がなくても腹に馴れないため、多く食べ日々食べれば、自然と毒のない物も毒となり、そのために病を生じ、大切な命を失うことがある。必ず食べるなと懇ろに諭して空腹に馴れさせ、病気にさせないことこそ、窮を救う上策である。必ずこの方法に従い、一日一合の米粥を与え、草木の皮葉は食べよと言わず、また食べさせない。これがその方法の大略だ。また体の強壮な男女には別の方法を立て、よくよく説き諭して、普段五厘の縄一房を七厘に、一銭の草鞋を一銭五厘に、三十銭の木綿布を四十銭に買い上げ、普段十五銭の日雇い賃は二十五銭ずつ払うようにするから、村中一同奮い立って励み、働いて銭を得て自分で生活を立てよ、と諭す。縄・草鞋・木綿布などはいくらでも買い取り、仕事は相談と工夫でいくらでも人夫を使えるから、老若男女を問わず、体の丈夫な者は昼は出て日雇い賃を取り、夜は帰って縄をない、沓や草鞋を作るがよい、と懇々と説き諭して励ませる。さてその仕事は、道や橋を修理し、用水・排水の堀を浚い、溜池を掘り、川除けの堤を修理し、肥えた土を掘り出して痩せた田畑に入れ、曲がった畔を真っ直ぐに直し、狭い田を合わせて大きくするなど、その土地土地に応じてよく工夫すれば、仕事はいくらでもある。これは自分の手で十円を損して相手に五十円六十円を得させ、百円を損して相手に四百円五百円の益を得させ、しかもその村里に末長い幸福を残し、その上よい評判まで残す道である。ただ恵んで費えないだけでなく、少し恵んで大きな利益を生む良法だ。困窮の甚だしさを救う方法は、これに勝るものはない。これが私が実地に施した大略である。
解説
この章句が説くこと
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二宮翁夜話・巻之五翁(おきな)曰(いわ)く、天保七年の十二月、桜町支配下四千石の村に諭(さと)し、毎家所持の米麦雑穀(ざっこく)の俵数(ひょうすう)を取調(とりしら)べさせ、米は勿論大小麦、大小豆、何にても一人に付き、俵数五俵づゝの割り合を以て、銘々(めいめい)貯(たくわ)へ置き、其の余所持の俵数は勝手次第に売出すべし、此の節程穀価(こくか)の高き事は、二度とあるまじ、誠に売るべき時は此の時なり、速(すみやか)に売りて金となすべし、金不用ならば、相当の利足(りそく)にて預(あず)り遣(つか)はすべし、且(かつ)当節売出すは、平年施(ほどこ)すよりも功徳多し、何方(いずかた)へなり共売出すべし、一人五俵の割に、不足の者、又貯(たくわえ)なき者の分は、当方にて慥(たしか)に備(そな)へ置くべき間、安心すべし、決して隠し置くに及ばず、詳細に取調べて届け出づべしと言ひて四千石村々の、毎戸の余分は売出させ、毎戸の不足の分は、郷蔵(ごうぐら)に積囲(つみかこ)ひ、其の余は漸次(ぜんじ)倉を開きて、烏山(からすやま)領を始め、皆他領他村へ出して救助したり、他の窮(きゅう)を救ふには先(ま)づ自分支配の村々の安心する様に方法を立て、而(しか)して後に他に及ぼすべし。
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二宮翁夜話・巻之五翁(おきな)又(また)曰(いわ)く、天保七年、烏山侯(からすやまこう)の依頼(いらい)に依(よ)りて、同領内(どうりょうない)に右の方法を、施行(しこう)したる大略は、一村一村に諭(さと)して、極難(ごくなん)の者の内、力役(りきえき)に就(つ)くべき者と、就くべからざる者と、二つに分ち、力役に就くべからざる、老幼病身(ろうようびょうしん)等千有余人(せんゆうよにん)を烏山城下なる、天性寺(てんしょうじ)の禅堂(ぜんどう)講堂物置其の外寺院又新(あらた)に小屋廿棟(にじっむね)を建設(たてもう)け、一人白米一合づゝ、前に云へる方法にて、同年十二月朔日(ついたち)より翌年五月五日まで、救ひ遣(つか)はし、飢人(きにん)欝散(うっさん)の為に藩士(はんし)の武術稽古(ぶじゅつけいこ)を此処(ここ)にて行はせ、縦覧(じゅうらん)を許し、折々空砲(くうほう)を鳴らして欝気(うっき)を消散(しょうさん)せしめたり、其の内病気の者は自家(じか)に帰し、又別に病室を設(もう)けて療養(りょうよう)せしめ、五月五日解散(かいさん)の時は、一人に付白米三升、銭五百文(もん)づゝを渡して、帰宅せしめたり、又力役に付くべき達者(たっしゃ)の者には、鍬(くわ)一枚づゝ渡し遣はし、荒地(あれち)一反歩(いったんぶ)に付、起返(おこしかえ)し料金三分二朱(さんぶにしゅ)、仕付料(しつけりょう)二分二朱、合(あわ)せて一円半、外に肥代(こやしだい)壱分(いちぶ)を渡し、一村限り出精(しゅっせい)にて、事に幹(かん)たるべき者を人撰(じんせん)し、入札(にゅうさつ)にて高札(たかふだ)の者に、其の世話方(せわかた)を申付(もうしつ)け、荒田を起反(おこしかえ)して、植付(うえつ)けさせたり、此の起返し田、一春間(いっしゅんかん)に五十八町九反歩(ごじゅうはっちょうくたんぶ)植付けになりたり、実に天より降(ふ)るが如く、地より湧(わ)くが如く、数十日の内に荒田変じて水田となり、秋に至りて其の実法(みのり)直(ただ)ちに貧民食料の補(おぎな)ひとなりたり、其の外沓草鞋繩(くつわらじなわ)等を、製造せし事も莫太(ばくだい)の事にして、飢民一人もなく、安穏(あんのん)に相続(そうぞく)し、領主君公の仁政(じんせい)を感佩(かんぱい)して、農事を勉励(べんれい)せり、豈(あに)悦(よろこ)ばしからずや。
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二宮翁夜話・巻之五翁(おきな)曰(いわ)く、予(よ)此の時駿州御厨(みくりや)郷、飢民の撫育(ぶいく)を扱(あつか)ふ、既に米金尽き術計(じゅっけい)なし、仍(よっ)て郷中に諭(さと)して曰く、昨年の不熟(ふじゅく)六十年に稀(まれ)なり、然(しか)りといへども、平年農業を出精して米麦を余し、心掛宜敷(よろしき)ものは差閊(さしつかえ)有るまじ、今飢(う)ゑる者は平年惰農(だのう)にして、米麦を取る事少く、遊楽を好み博奕(ばくえき)を好み飲酒に耽(ふけ)り、放蕩(ほうとう)無頼(ぶらい)心掛宜しからざる者なれば、飢ゑるは天罰と云ひて可なり、然らば救はず共可なるが如しといへ共、乞食(こじき)となるものを見よ、無頼悪行、是より甚しく、終(つい)に処を離れて、乞食する者なれば、悪(にく)むべきの極なり、されども、是をさへ憐(あわ)れんで、或は一銭を施し、或は一握(にぎり)の米麦を施すは、世間の通法なり、今日の飢民は、是と異(こと)なり、元一村同所に生れ同水をのみ同風に吹かれ、吉凶葬祭相共に、助け来れる因縁(いんねん)浅からねば、何ぞ見捨てて救はざるの理あらんや、今予飢民の為に、無利足(むりそく)十ケ年賦の金を貸与へて是を救はんとす、然りといへども飢ゑに望む程のものは、困究(こんきゅう)甚しければ、返納は必ず出来ざるべし、仍て来年より、差支なく救を受けざる者といへども、日々乞食に施すと思ひ、銭十文又廿(にじゅう)文を出すべし、其の以下中下のものは、銭七文又五文を出すべし、来年豊年ならば、天下豊かならん、御厨郷のみ、乞食に施さゞるも、国中の乞食、飢ゑる事あらじ、乞食に施す米銭を以て、彼が返納を補(おぎな)はゞ、自(みずか)ら損せずして、飢民を救ふべし、是(これ)両全(りょうぜん)の道にあらずや、と諭せしに郡中の者一同、感戴(かんたい)して承諾せり、仍て役所より、無利子金を十ケ年賦に貸渡して、大に救助する事を得たり、是上に一銭の損なくして、下に一人の飢民なく、安穏(あんのん)に飢饉を免(まぬが)れたり、此の時小田原領のみにして、救助せし人員を、村々より書上げたる処、四万三百九十余人なりき。
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二宮翁夜話・巻之五翁(おきな)曰(いわ)く、天保四年同七年、両度の凶歳七年尤(もっと)も甚(はなは)だし、早春より引続き、季候不順にして梅雨(さみだれ)より土用に降り続き、季候寒冷(かんれい)にして、陰雨(いんう)曇天のみ、晴日稀(まれ)なり、晴ると思へば曇り、曇ると思へば雨降る、予(よ)土用前より、之を憂(うれ)ひ心を用ひしに、土用に差掛り空の気色(けしき)何となく秋めき、草木に触るゝ風も、何となく秋風めきたり、折節(おりふし)他より、新茄子(なすび)到来せるを、糠味噌(ぬかみそ)に付けて食せしに、自然秋茄子(なす)の味(あじ)あり、是に依て意を決(けっ)し、其の夕より、凶歳の用意に心を配(くば)り、人々を諭(さと)して、其の用意を為さしめ、其の夜終夜書状を作りて諸方に使を発して、凶歳の用意一途に尽力したり、其の方法は明き地空地は勿論、木綿(もめん)の生立ちたる畑を潰(つぶ)し、荒地廃地を起して、蕎麦(そば)大根蕪菁菜(かぶらな)胡蘿葡(にんじん)等を、十分に蒔付させ、粟(あわ)稗(ひえ)大豆等惣(すべ)て食料になるべき物の耕作培養(ばいよう)精細を尽させ、又穀物の売物ある時は、何品に限らず、皆之を買入れ、既に借入れの抵当(ていとう)なく貸金の証文を抵当に入れて、金を借用したり、此の飢饉の用意を、諸方に通知したる内、厚く信じて能(よ)く取り行ひたるは、谷田部茂木(もてぎ)領邑(りょうゆう)なり、此の通知を得るや、其の使と同道にて、郡奉行自(みずか)ら馬に鞭(むち)打ちて来りて、其の方法を問ひ、急ぎ帰りて郡奉行代官役等、属官(ぞっかん)を率(ひき)ゐて、村里に臨(のぞ)み懇々(こんこん)説諭(せつゆ)して、先(ま)づ木綿畑を潰し、荒地を起し廃地を挙げて食料になるべき蕎麦大根の類を蒔付けたる事夥(おびただ)しく、堂寺の庭迄も説諭して蕎麦大根を蒔かせたりと云へり、下野国真岡(もおか)近郷は、真岡木綿の出る土地なれば、木綿畑尤も多し、其の木綿畑を潰して、蕎麦を蒔替(まきか)ふるを愚民殊(こと)の外歎(なげ)く者あり、又苦情を鳴(なら)す者あり、仍(よっ)て愚民明らめのため、所々に一畝づゝ、尤も出来方の宜敷(よろしき)木綿畑を残し置きたるに、綿実(わたのみ)一つも結ばず、秋に至りて初めて予が説を信じたりと聞けり、愚民の諭し難きには殆(ほとん)ど困却(こんきゃく)せり、又秋田を刈取りたる干田に、大麦を手の廻る丈け多く蒔かせ、夫(それ)より畑に蒔きたる菜種の苗を、田に移し植ゑて、食料の助(たすけ)にせり、凶歳の時は油断なく、手配(てくば)りして食物を多く作り出すべし、是(これ)予が飢饉を救ひし方法の大略なり。
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二宮翁夜話・巻之五救荒(きゅうこう)の事を詳(つまびら)かに説き、草木の根幹皮葉(こんかんひよう)等食(しょく)すべき物数十種を調(しら)べ、且(かつ)其(そ)の調理法(ちょうりほう)等を記せし、小冊(しょうさつ)を贈(おく)れる人あり、翁(おきな)曰(いわ)く、草根木葉(そうこんもくよう)等、平日少しづゝ食して試(こころ)むる時は、害なき物も、是(これ)を多食(たしょく)し日を重(かさ)ぬる時は病(やまい)を生ずる物なり、軽々(かるがる)しく食するは悪(あ)しき事なり、故に、予(よ)は天保両度の飢饉(ききん)の時、郡村(ぐんそん)に諭(さと)すに、草根木葉等を食せよと云ふ事は、決して云はず、病を生ずる事を恐(おそ)るゝが故なり、飢民(きみん)自(みずか)ら食するは仕方なけれど、牧民(ぼくみん)の職に居る者、飢民に向ひて、草根木皮を食せよと云ひ、且之を食せしむるは、甚(はなは)だ悪しゝ、之を食する時は、一時の飢(うえ)は補(おぎな)ふべしといへ共(ども)、病を生ずる時は救(すく)ふべからず、恐れざるべけんや、されば人を殺(ころ)すに杖(つえ)と刃(やいば)との譬(たとえ)と、何ぞ異(こと)ならん、是深く恐るべき処なり、然(しか)といへども、食なければ死を免(まぬか)るべからず、之を如何(いか)んせん、是深く考へずばあるべからざる所以(ゆえん)なり、予之に依(よ)りて、飢人(きにん)を救ひて、病を生ずるの恐(おそれ)なき方法を設(もう)けて、烏山(からすやま)、谷田部(やたべ)茂木(もてぎ)、下館(しもだて)、小田原等の領邑(りょうゆう)に施(ほどこ)したり、されば是等の書は、予が為(な)る処と異る物なれば、予は取らざる也(なり)。
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二宮翁夜話・巻之五翁(おきな)曰(いわ)く、予(よ)不幸にして、十四歳の時父に別れ、十六歳の折(おり)母に別れ、所有の田地は、洪水の為に残らず流失し、幼年の困窮(こんきゅう)艱難(かんなん)実に心魂(しんこん)に徹(てっ)し、骨髄(こつずい)に染(し)み、今日猶(なお)忘るゝ事能(あた)はず、何卒(なにとぞ)して世を救ひ国を富(とま)し、憂(う)き瀬(せ)に沈む者を助けたく思ひて、勉強せしに、斗(はか)らずも又天保両度の飢饉に遭遇(そうぐう)せり、是に於て心魂を砕(くだ)き、身体を粉(こ)にして、弘(ひろ)く此の飢饉を救はんと勤めたり、其の方法は本年は季候悪(あ)し、凶歳ならんと、思ひ定めたる日より、一同申合せ、非常に勤倹(きんけん)を行ひ、堅く飲酒を禁じ、断然(だんぜん)百事を抛(なげう)ちて、其の用意をなしたり、其の順序は先(ま)づ申合せて、明地(あきち)空地を開き、木綿畑を潰(つぶ)して瓜哇薯(じゃがたらいも)蕎麦(そば)菜種(なたね)大根蕪菜(かぶな)等の食料になるべき物を、蒔付(まきつ)くる手配を尽し、土用明け迄は隠元(いんげん)豆も遅からねば、奥の種を求めて多く蒔(ま)かせ、夫(それ)より早稲(わせ)を刈取り、干田は耕(たがや)して麦を蒔き、金銭を惜(お)しまず、元肥(もとごえ)を入れて培養(ばいよう)し、夫より畑の菜種の苗を抜きて田に移し植ゑて、食料の助(たすけ)とせり、此の如く其の土地土地に於て油断なく勉強せば、意外に食料を得べし、凶荒(きょうこう)の兆(きざし)あらば油断なく食料を求むる工夫を尽すべし。