韓非子 / 忠孝第五十一
故人臣無稱堯舜之賢、無譽湯武之伐、無言烈士之高、盡力守法、專心事主者、為忠臣。
新字:故人臣無称堯舜之賢、無誉湯武之伐、無言烈士之高、尽力守法、専心事主者、為忠臣。
書き下し
故に人臣は堯・舜の賢を稱する母く、湯・武の伐を譽むる母く、烈士の高きを言う母く、力を盡くし法を守り、心を主に事うるに専らにする者を忠臣と為す。
現代語訳
ゆえに、臣下は堯や舜の賢さを称賛せず、湯王や武王の挙兵を誉めず、烈士の高潔さを語らず、力を尽くして法を守り、専心して君主に仕える者を忠臣とする。
解説
家来たるものは、昔の聖王・尭や舜の賢さをことさら称えたり、湯王や武王が兵を挙げた武勇を誉めそやしたり、義に殉じた志士の気高さを語ったりする必要はない。ただ力を尽くして決まりを守り、心をこめて仕えることに専念する者こそ忠実な家来である、と韓非は言います。立派な理想を語ることや、遠い昔の英雄を持ち出して評論家のように語ることは、実はそれほど値打ちのあることではありません。それよりも、目の前の役割を誠実に果たし、決められたことをきちんと守り抜くという地道な行いこそが、本当に頼りになる働き方です。これは家庭でも、家族のために黙々と家事や仕事をこなす人の方が、口だけの理想論よりもずっと尊いという話に通じます。
この章句が説くこと
実行力コンプライアンスフォロワーシッププロフェッショナリズムロイヤリティ
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