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二宮翁夜話 / 巻之三

翁曰、某藩某氏老臣たる時、予礼譲謙遜を勧れども用ひず、後終に退けらる。今や困乏甚くして今日を凌ぐ可からず。夫れ某氏は某藩衰廃危難の時に当て功あり、而して今斯の如く窮せり、是れ只登用せられたる時に分限の内にせざる過ちのみ。夫れ官威盛んに富有自在の時は礼譲謙遜を尽し、官を退て後は遊楽驕奢たるも害なし。然る時は一点の誹なく、人其官を妬まず。進んで勤苦し退て遊楽するは、昼勤て夜休息するが如く、進んでは富有に任せて遊楽驕奢に耽り、退て節倹を勤るは、譬ば昼休息して夜勤苦するが如し。進で遊楽すれば人誰か是を浦山ざらん、誰か是を妬まざらん。夫れ雲助の重荷を負ふは酒食を恣にせんが為なり、遊楽驕奢をなさんが為に国の重職に居るは、雲助等が為る所に遠からず。重職に居る者、雲助の為る処に同くして能く久安を保んや。退けられたるは当然にして不幸にはあらざるべし。

書き下し

翁曰く、某藩(それのはん)某氏老臣たる時、予礼譲謙遜(れいじょうけんそん)を勧(すす)むれども用ひず、後終(つい)に退けらる。今や困乏(こんぼう)甚(はなはだ)しくして今日を凌(しの)ぐ可からず。夫れ某氏は某藩衰廃(すいはい)危難の時に当て功あり、而して今斯の如く窮(きゅう)せり、是れ只登用せられたる時に分限の内にせざる過ちのみ。夫れ官威(かんい)盛んに富有自在の時は礼譲謙遜を尽し、官を退て後は遊楽驕奢(ゆうらくきょうしゃ)たるも害なし。然る時は一点の誹(そしり)なく、人其官を妬(ねた)まず。進んで勤苦し退て遊楽するは、昼勤て夜休息するが如く、進んでは富有に任せて遊楽驕奢に耽(ふけ)り、退て節倹(せっけん)を勤るは、譬ば昼休息して夜勤苦するが如し。進で遊楽すれば人誰か是を浦山(うらやま)ざらん、誰か是を妬まざらん。夫れ雲助(くもすけ)の重荷を負ふは酒食を恣(ほしいまま)にせんが為なり、遊楽驕奢をなさんが為に国の重職に居るは、雲助等が為る所に遠からず。重職に居る者、雲助の為る処に同じくして能く久安(きゅうあん)を保(たも)たんや。退けられたるは当然にして不幸にはあらざるべし。

現代語訳

翁が言われた。ある藩の某氏が重臣であったとき、私は礼儀と謙譲を勧めたが用いず、後についに退けられた。今はひどく困窮して今日を凌ぐこともできない。そもそも某氏はその藩が衰え危機に瀕したとき功績があった。それが今このように行き詰まっているのは、ただ登用されたときに分限の内に暮らさなかった過ちだけが原因だ。地位が盛んで財力が自在なときにこそ礼儀と謙譲を尽くし、役目を退いた後なら遊び楽しみ贅沢をしても害はない。そうすれば少しも非難されず、人もその地位を妬まない。地位に進んでは苦労して働き、退いてから楽しむのは、昼働いて夜休むようなもの。逆に、地位にあるうちは財力に任せて遊興や贅沢に耽り、退いてから倹約するのは、昼休んで夜苦労するようなものだ。地位にあって遊び楽しめば、誰がうらやまずにいよう、誰が妬まずにいよう。そもそも雲助(人足)が重荷を担ぐのは酒食を思うままにするためだ。遊興や贅沢をするために国の重職にあるのは、雲助のすることと遠くない。重職にありながら雲助と同じことをして、どうして長く安泰でいられよう。退けられたのは当然のことで、不幸ではないのだ。

解説

地位と権力のあるときこそ身を慎み、贅沢は退いてからにせよ、と説く一条です。功績ある重臣が没落したのは、登用されたときに分限を守らず遊興や贅沢に耽ったからだと尊徳は指摘します。順序が逆で、進んでは苦労し退いてから楽しむのが昼働き夜休む正しい姿。地位にあって贅沢すれば人の妬みを買い、それは酒食のために重荷を担ぐ人足と変わらない、というのです。ここには分度を守り驕りを戒める報徳の精神が貫かれています。現代でも、権限や収入が増えたときほど暮らしを慎み謙虚に振る舞うことが、長く信頼され地位を保つ道である――順境にあるときの自制の大切さを教えてくれます。

この章句が説くこと

二宮翁夜話報徳分度謙遜驕奢節倹

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